2008/5/20

ジョン・レスター投手、ノーヒット・ノーラン達成!おめでとう。  Boston Red Sox・MLB

現地時間の5月19日、ジョン(ジョナサン)・レスターは、130球目となる渾身のストレートを、途中出場のアルベルト・カラスポ、目掛けて投げ込んだ。空振り三振!この瞬間、ノーヒット・ノーラン試合(無安打無得点試合)が達成された。レッドソックスでは、昨年9月にクレイ・バックホルツが達成して以来、(2001年の野茂英雄を含む)、18回目の偉業となった。私は、久しぶりにリアルタイムで、TV放送を観ていたが、その瞬間、涙が止まらなかった。振り返れば、一昨年の2006年8月23日…、レスターは、新鋭左腕投手としてデビュー五連勝を飾り、その活躍が期待されていたが、オークランドへの遠征途中に、背部痛で戦線離脱、そして9月1日、血液癌の一種である、未分化大細胞型リンパ腫(anaplastic large cell lymphoma)と診断され、マサチューセッツ・ゼネラルホスピタル(MGH)にて、年内だけで6回もの化学治療を受けていた。
クリックすると元のサイズで表示しますノーヒット・ノーラン達成の瞬間!
(Yahoo photoより引用)

当時のレスターは、野球人生の為というより、まず生きる為に…癌との闘いを余儀無く強いられた。現地の報道によると、髪の毛は抜け落ち、副作用にも苦しんだという。しかし、その治療に勝ち抜いたレスターは、メジャーのマウンドで投げるという夢を捨てきらず、昨年(2007年)4月から3Aで調整、そして7月23日にクリーブラント戦でメジャー復帰し、ご両親が見守る中、見事、勝利投手となった。尚、レスターは、ワールドシリーズの優勝が決定した試合でも、登板し勝利投手となっている。このレスターの活躍は、癌と戦っている世界中の人達は勿論、病と闘っている人達全ての希望の光となった事だろう。
Tシャツ展示品の数々…クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示しますレスター(No31)のTシャツ
(レッドソックス公式ショップにて撮影)

昨年の11月、ボストンに出向いていた私は、レスターと同じリンパ腫と戦われた、あぜ丸さんという方の依頼で、レスターのTシャツを求める為に、フェンウェイパークの公式ショップを訪れた。あぜ丸さんは、ネット等、あらゆる手段を通じて、レスターのTシャツを手に入れようとなさったそうだが、入手は困難を極めたとお聞きしていたのである。訪れた公式ショップには、レスターの31番のTシャツが、展示こそ成されていたものの、やはり品切れで、店員さんに尋ねてみると「その問い合わせばかり…」といささかうんざりした様子さえ見せ、「来年度まで製作される予定もない」と答えられた。ハーバード関係の病院が立ち並び、メディカルエリアと呼ばれる地区を近隣に持つフェンウェイパークでは、お守り代わり?に、お見舞い品としても、数多く買い求められていたのだそうだ。私は来季まで待って頂くよう…あぜ丸さんに連絡した。

★あぜ丸さんのブログ→ http://azemaru.at.webry.info/

ところがオフに、ヨハン・サンタナ獲得の動きの中、レスターもトレード要因の1人として名前があがっていた。サンタナ投手獲得は魅力のある話だが、レスターがトレードされるのは、嫌だ…とレッドソックスファンは誰も思っていたに違いない。結果トレードは、不成立。サンタナはメッツへと移籍した。そして、フランコナー監督を第二の父と慕うレスターは、今季レッドソックスの先発ローテーションの1人に定着、今日まで11試合に登板し、2勝(2敗)をあげていた。そして(体調重視の厳しい球数制限もあり)初完投のこの試合が、ノーヒット・ノーランという偉業となったのである。フランコナー監督は、レスターを包むように抱き抱え、温かく祝福した。レスターの顔は紅潮し、目には涙が溢れていたようにも見てとれた。
赤靴下とジミーファンド基金箱(右)クリックすると元のサイズで表示します
(フェンウェイパーク内にて撮影)

レスターのリンパ腫の病型は、基本的に切除による治療は困難で、放射線療法及び化学療法が一般的であり、寛解(かんかい)という症状が消えた状態に一旦はなったとしても、5年間の経過観察が必要であるという。その5年間に再発する事がなければ、ようやく「治癒」とみなされるそうだ。メジャーリーグでは、先週12日の母の日に、選手達が使用したピンクバットやリストバンドをオークションにかけ、乳癌基金に協力した。また、レッドソックスは、ジミー・ファンドという小児癌基金活動も、積極的に行っている。レスターのTシャツやグッヅ等も、この偉業を機に数多く生産されて、癌基金に一部を貢献する形を執って貰えたら…と願うと共に、今後もレスターが更なる活躍をし続け、病と闘う人達の力となり続けるようにと…祈っている。

※お詫びとお礼
先月、スタッフと共に車で移動中、衝突され背部と足首を痛めた私は、リハビリに通いながら、仕事をしています。公私共に忙しく、長期間ブログ更新が出来ず、ご心配をおかけしました事、お詫び致します。またご心配のメール等頂きました方々に、この場で恐縮ですが、お礼申し上げます。ありがとうございました。

※トラックバックは↓「ジョン・レスター投手、悪性リンパ腫から復活!勝利投手となる」
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2008/2/6

レッドソックスの首脳陣達No1…岡島秀樹獲得の舞台裏  Boston Red Sox・MLB

2月3日に放送されたNHKスペシャル…『日本とアメリカ』の第三回「日本野球は“宝の山”〜大リーグ経営革命の秘密〜」は、レッドソックスファンの私にとって、大変興味深く観る事ができた。番組は、6年前、経営難に陥っていたレッドソックスを買収した筆頭オーナー…投資家でヘッジファンドの社長である、ジョン・W・ヘンリーさんにスポットを当てていた。ヘンリー氏は、イリノイ州の農家に生まれ、9才の時にメジャーリーグを観戦したのを契機に、大の野球好きとなった。当時から数字には強く、常に頭の中で、選手達の打率や防御率を換算していたという。大学はUCLA等4つの大学で哲学を学ぶも学位は取得せず、父親の死を転機に農場を継いだ。そして、独学で為替ヘッジ(ヘッジとはリスク回避の意)を学び、大豆の先物取引で、まず75000ドルの利益を得た事を始めに大成功を収めた。
クリックすると元のサイズで表示します ワールドシリーズ観戦の首脳陣。
左からJohn W. Henry, Tom Werner, Larry Lucchino(yahoo photoより)


ヘンリー氏は、1980年に独自のトレーディングシステムを作り上げ、1981年には、ジョン・W・ヘンリー・アンド・カンパニーを設立して、マネーマネジャーに就任、以降6つのトレーディングシステムを使用して、通貨から穀物まで多種に渡るトレードを行ってきた。結果、現在では約30億ドルの資産運用をしており、世界で最も優れたトレーダーの1人として、マイケルコベス著の「トレンドフォロー入門(トレンドの魔術師達の売買戦略と成功の秘密)」にもその名をはせている。ヘンリー氏は、投資家として培ったデータ分析を野球にも応用して、球団の運営を行い就任から6年間で、売り上げを2倍に伸ばすと共に、チームを常勝球団へと育て上げて来た。ヘンリー氏は、現在も自らスコア表をつける習慣を続けているという。
ファン投票で最優秀中継ぎ投手にクリックすると元のサイズで表示します
選出された岡島秀樹。(2007年7月撮影)


過去100年のデータを元に、安い品を買い高く売って利益を得て来たヘンリー氏は、投手の「指標」として「防御率」(自責点÷投球回×9)だけではなく、アナリスト(分析家)として採用した、野球愛好家のポロス・マックラゲン氏の論文から見つけた「指標」によって、巨人時代の岡島秀樹投手に注目し、日本ハムへ移籍後は特に岡島獲得へと強い意志を固めたという。ヘンリー氏が見つけた新たな「指標」とは「三振の数÷四球の数」だ。その「第二の指標」は、高い程能力のある投手と言えるそうだが、メジャー投手の平均が2.00に対し、岡島は巨人時代で2.95、日本ハム時代には、何と4.75まで上げ、他のプロ野球選手の中でも抜きん出ていた。2006年11月、レッドソックスが岡島を獲得したというニュースを耳にした時、私は左腕だから…くらいにしか捉えていなかったが、既にこの時、ヘンリー氏は、岡島の成功を裏付けるだけのデータを握っていた事になる。

また、ヘンリー氏は、球団経営を既にボルチモア・オリオールズとサンディエゴ・パドレスの経営を立て直した、ラリー・ルキーノ氏に任せた。ルキーノ氏は、狭くそして、歴史的価値から解体は不可能なフェンウェイパーク(球場)の改装に着手した。リキーノ氏は、まず初めにグリーンモンスターの上に270席の客席を造った。フェンウェイの名物とも言われるグリーンモンスターは、建設当初は、レフト側が狭く市街地が近い為に、ホームランが出難くする為にボールを遮る壁を作ったという、苦肉の策であったが、その上を観客席として活用した所、最もホームランボールが飛んで来易く、また見晴らしが良い為、大人気となった。定価約1万5千円のシートも時にネット場では、5万円から10万円以上出しても手に入らない事さえあるそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します 記者席から見たレフトスタンド側

また、ファミリー向けに、選手達がバッティング練習している時、グランド後部で球拾いが出来る権利付のチケットを販売、定価約3万円はけっして安くないと思うが、ボールを拾えるだけでなく、選手達と同じグランドに立てるという感動も手伝ってか、人気の的となった。私がフェンウェイパークを訪れた時も、センターの後のブルペンの横に仕切られた区域があって、子供達がボール拾いをしていた。抽選か何かで選ばれた子供達かな?と思っていたが、そういう特権付シートがあったのだと、今更ではあるが納得した。他にも、フェンウェイツアーと題して、球場の記者席やダックアウト、グリーンモンスター内等を見学出来るガイド付のツアー(大人18ドル)をシーズンを通して行っていたり、公式ショップは年中無休で営業するなど、シーズンオフも売り上げを伸ばしている。その背景には、親会社の宣伝目的という日本プロ野球の指針と違い、独立した企業として収益を上げるという確固とした経営理念がある。
外野席増設等改装中のフェンウェイクリックすると元のサイズで表示します
(以上2007年11月フェンウェイツアーにて撮影)


ヨハン・サンタナのメッツへのトレードというニュースが届き、レッドソックスのストーブリーグには、大きな動向はなく、主力選手は揃ったままで、データ的には二連覇を狙えると言えよう。しかし、ヘンリー氏は、自身の言葉で語っている。

「I don’t believe that I am the only person who cannot predict future prices.」
(私は将来の価格を予測することはできない。それは誰にも出来ない)

レッドソックスの春季キャンプの日程が、2月22日からと決まり(投手陣は2月16日)いよいよ、選手達も始動する。首脳陣はキャンプ中にも新たな戦力発掘の為に視察をし、データを集積し続けるという。(選手名敬称略)。

◎参考 
・NHKスペシャル…『日本とアメリカ』「日本野球は“宝の山”〜大リーグ経営革命の秘密〜」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080203.html
・マイケル・コベル(Michael Covel)著
「トレンドフォロー入門(トレンドの魔術師達の売買戦略と成功の秘密)」
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2008/1/2

新人ベスト9、最優秀中継ぎ投手…岡島秀樹帰国後のTV出演に思う  Boston Red Sox・MLB

岡島秀樹が、レッドソックスのユニフォームをグレーのフロックコートに着替え、NHK紅白へゲスト審査員として出場した。慣れない礼装姿に肩が凝っただろうと推察したが、意外に?よく似合っていた。帰国以来の岡島は、様々なTV番組やイベントに出演していて「出過ぎでは?」との批判の声もあるようだが、岡島がよくTV番組に出るのには、訳があった。元々メジャー移籍に拘りもなく、英語力は皆無に近い状態でレッドソックス入りが決まった岡島は、野球に専念したいとあえて英語の勉強はしなかったそうだが、5月に専属通訳として、ジェフ・山口氏が着くまで、アメリカでの生活面では、高校時代アメリカ留学の経験があり、元アナウンサーの妻、由佳さんに依存出来たものの、キャンプ地などでは、高橋トレーナーが通訳を兼任していたという。
クリックすると元のサイズで表示します アメリカで販売されている岡島人形。

しかし、高橋トレーナーにはトレーナーとしての仕事があり、常に岡島に着いてくれていた訳ではない。2月に始まったキャンプからオープン戦、そして開幕後1ヶ月を足した計3ヶ月間の大変な時期を、公私に渡り、日本のマスコミ関係者に、言語面で随分助けて貰ったのだそうだ。岡島は、その事を恩義に感じて、オフとなっても、マスコミの取材や出演依頼には時間の許す限り、全て応じているというのだ。マネジメント事務所によると「2日に1度のペースで、番組収録やイベントが入っている」そうで、岡島にとって「こんな事は、プロ生活14年間で初めて」らしい。本人も「活躍した年しか取り上げてもらえませんから」と苦笑いしながらも、「メジャーでは、(打者の)対応能力も、データの量と質も、日本より上。僕が今年と同じことをしていたら来年は絶対にやられる。球種を増やしたい」と、平行して自主トレも怠っていないという。

さて、そんな岡島だが、レッドソックスの地元ボストンでも、シーズン後の人気度は高まったままである。まず11月26日に発表された、メジャーリーグ全30球団の監督投票で選ばれる、新人ベストナイン(投手は左右1人ずつ選ばれ、正確には10人)にチームメイトで二塁手のダスティン・ペドロイアと共に選出され、12月18日にはファン投票で選ばれるベスト中継ぎ投手(セットアッパー)に、約960万票の投票中、45%の票を集めて、堂々の1位に輝いた。更に26日には、ボストンヘラルド誌による、レッドソックスのチームの出来事ベスト5とワースト5が発表され、岡島とパペルボンの必勝リレーがベスト5中の2位となった。同紙は、球界最高レベルのクローザーまで成長したパペルボンを、メジャーデビューしたばかりの岡島がセットアッパーとして完璧に支えたと評価し、このコンビのお蔭で先発投手陣の負担が軽減した…と書いている。(因みにベスト1位は、ジョシュベケットが名実共にエースとなった活躍)。

また、ボストン(厳密に言うとMA州)では、アメフットのペイトリオッツが、脅威の16戦全勝をおさめ、バスケットもボストン・セルティックスが25勝3敗と首位を独走中で(2007年12月31日現在)、史上初のプロスポーツ3チームのタイトル独占の可能性が高くなっている。更に昨年最下位のアイスホッケーのブルーインズも、プレイオフ圏内におり、地味ながらサッカーの二ューイングランド・レボリューションズも、日本で言う天皇杯に値する「USオープンカップ」で初優勝して、レッドソックスのワールドシリーズ制覇に於ける相乗効果が上がっているとも言われている。よってプロスポーツの先陣をきってワールドシリーズ制覇に貢献した岡島ら選手達の存在感は大きいといえよう。レッドソックスの開幕戦は日本で行われる事も決定し(この件に関しては、少し複雑な気持ちではあるが)、松坂や岡島が来期も更なる活躍をしてくれて、日本に於いて、ボストンという街の知名度が上がって行くのは、大変嬉しい限りである。(選手名、敬称略)

※以下は、ボストンのローガン空港に展示されていたワールドシリーズ制覇の写真と記念品

クリックすると元のサイズで表示しますニューバランス提供のギャラリー

ボストンヘラルド誌の一面 クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 岡島とハイタッチするティムリン。

パペルボン(右)とオルティーズクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますバリテック着用のユニフォーム

パペルボンのユニフォームと帽子クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますフランコナ監督とヘンリーオーナー

※オマケ…11月、フェンウェイツアー後の筆者↓。寒くて寒くて、この格好!
とても銀行へは行けません…。
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2007/11/15

ダスティン・ペドロイア、最優秀新人選手受賞、おめでとう!  Boston Red Sox・MLB

体全体で打って、体全体で守備をする…ペドロイアのプレーを追いかけていると、高校球児を観ているようで清々しい。身長は、公称175cm(もう少し低い気もする)とメジャーリーガー1、2を争う小兵であるため、余計そう見えるのかもしれないが、溌剌としたプレー姿から『山椒は小粒でもピリリと辛い』という言葉まで浮かんで来る。ペドロイアは2006年9月、メジャーベンチ枠を25人から40人に増やす「セプテンバー・コールアップ」によって、3Aポータケットよりメジャーに昇格した。当時からフェンウェイパークでも、小柄な為、一際目立っていて、(横っ飛びで捕球とか)守備が上手い選手だなぁ…と思っていた。更に私にとって一番印象深かったのは、昨年の「ルーキー・ラギングデー」で試合の後、ベビー服を身にまとい、哺乳瓶まで持って登場、気軽にサインをしてくれた事だった(当時の記事と一部重複)。
クリックすると元のサイズで表示します新人仮装でベビー服を着た
ペドロイア(2006年9月21日撮影)


今季のペドロイアは、序盤の4月打率1割8分2厘とスロースタートで、地元では使い続ける首脳陣への非難もあったが、5月に入ると4割1分5厘と、その鬱積を跳ね飛ばす勢いで数字に残る活躍をし始め、結果シーズン終了時には打率3割1分7厘という好成績を収めた。守備については、試合を観ていればよく分るが、反射神経の良さで体格をカバーし、好守備を見せ、何度も松坂を始めとする投手陣、果てはチームの危機を救って来た。ペドロイアが打つとチームは元気になる…そういっても過言ではない程のムードメーカーでもあった。そんなペドロイアが、一生に一度しかチャンスがないアメリカンリーグの「rookie of the year(最優秀新人選手)」に選ばれた事を、レッドソックスの選手及び首脳陣、ファンを含む関係者全員が喜んでいるに違いない。
ギブス姿で記者会見のペドロイアクリックすると元のサイズで表示します
(Yahoo photoより引用)

アリゾナで行われた喜びの記者会見場に、ペドロイアは左手をギブスに包んで現れた。報道によると左手有鉤骨の骨折で、11月6日に折れた骨の摘出手術を受けていたという。有鉤骨とは手根骨(手の平の根元部分にある骨)の1つの事で、この骨の手の平側の突出を「有鉤骨鉤」と言い、野球のバットを握ったまま、小指球(小指側の手の平の筋肉のふくらみ)を強打したり、ゴルフで芝生を打ってしまった際に骨折する事が多く、正式には「有鉤骨鉤骨折」と呼ぶそうだ。ペドロイアの話によると、骨折した日は定かではないが、レギュラーシーズン終盤の9月10日に骨折は判明したという。しかし「優勝争いの佳境にあって 戦列を離れたくなかった。痛みと折り合いをつける方法を見つけるしかなかった」と、バットの握り方を変える等、工夫をして怪我を隠し通した。以降、ポストシーズンも含め約30試合に出場したが、本人とごく一部の関係者以外、知らなかった為に、地区シリーズ前半の打撃不振には、TVの解説者も「気持ちが空回りしている」等と声高らかに言っていたものだった。
クリックすると元のサイズで表示します手の骨の図から有鉤骨骨折(図は右手)

メジャーではレギュラーシーズンが、162試合と試合数も多い上に、移動距離もアメリカの東から西、北部(カナダも含む)から南部と半端な距離ではない。シーズンを通してそのコンデションを維持するのは並大抵の努力では不可能だと思う。よってシーズン終盤ともなると、ポストシーズン進出か否かを分ける大事な試合の時期に、負傷を抱えている選手が少なくない。9月半ばから約2週間の休養を貰った岡島でさえ、ワールドシリーズの時は、彼方此方痛く体はボロボロで、精神力だけで投げていたという。長いレギュラーシーズンを戦った後、更に10月、メジャーの長いポストシーズンを戦い抜く…並みの根性では乗り切れないと思う。「心頭滅却すれば火もまた涼し」…ではないが、ペドロイアもなかなか根性が座っている。手術は無事成功、後遺症は心配ないという。人一倍向上心が強く努力家のペドロイア…。『最優秀新人選手賞、おめでとう!』。しかしながら今は怪我を理由に、ゆっくり休んで欲しいと願いたい。

 クリックすると元のサイズで表示します体全体を使って振り切る。
フェンウェイの電光掲示板クリックすると元のサイズで表示します
(2007年8月3日撮影)


★ダスティン・ペドロイア(二塁手)
1983年8月17日生まれ、カリフォルニア州出身、右投右打。
高校時代から抜群の野球センスの良さが光り、アメリカ代表チームに選ばれるも、当時170cm足らずの身長ゆえに、ドラフトで指名するチームは何処にも無かった。そこでペドロイアは奨学金を受けながらアリゾナ州立大に進学すると、1年生にしてショートのレギュラーとなり、大学の最多安打記録を塗り変えた。そして「大学界のピートローズ」と呼ばれる程打ちまくった。2004年、大学4年の時、再びドラフトにかかる。体格のハンディを問題にして手を挙げないチームが相次ぐ中、レッドソックスが2位で指名した。当時、その指名に対し過大評価と貶す声を、マイナーリーグで通算打率3割を超える高打率を記録して一蹴した。

※以下、週間ベースボールより引用した、アリゾナ大野球部監督の言葉…
「彼(ペドロイア)程、向上心が強い選手は見た事が無かった。体格の面から言えば、どう考えても他人に負けている。しかし正確なスローイングと抜群のバットコントロールを武器に、向かって来たボールは全て捌き、打席では常にボールを芯で捉えていた。彼は自分の限界を突き破り続けた選手だった」。

※更にレッドソックスGM(ゼネラルマネージャー)…セオ・エプスタインの言葉…
「彼をドラフトで獲得し、育て上げているこの球団を誇りに思っている」。

クリックすると元のサイズで表示します「ペドロイア式ロータッチ!」
このようにチームメイトからも愛されて?いる。(Yahoo Photoより)
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2007/11/1

レッドソックス優勝パレード…「Rolling Rally」  Boston Red Sox・MLB

レッドソックスの優勝パレードは、試合の興奮覚めやらぬ、現地時間の30日に開催された。2004年のパレードが優勝決定から3日後だった…のだから、かなり早い日程である。このパレードに、もし日本から駆けつけよう…と思い立ったファンがいても、自家用ジェット機を持っている人か、チャーター機を飛ばせる人か、或いは『どこでもドア』を持っているドラエモンと知り合いでない限り、不可能な日程だった。ボストンに住んでいる私の知人でさえ、会議等の予定が入っていて出向く事は無理だと聞き、ボストンに居ても観られないのだから…と私は自らを慰めた。そんな急な日程で平日だったというにも関わらず、沿道には延べ100万人のファンが詰め掛けた。ニュースでその映像を観たが、いかにも学生というファンも多くいた。ボストンでは、市内の公立小学校に『レッドソックスデー』という日を設け、好きな選手のユニフォームを着ていく日…がある程に、地域に根付くフランチャイス体制を取っている。よってこの日は学校を欠席しても「おとがめなし?」…だったのかもしれない。
     
クリックすると元のサイズで表示しますパークストリート教会前のパレード

選手達が乗った「ダック・ボート」は、第二次世界大戦中に使用した海からの上陸用艇(映画『プライベート・ライアン』のノルマンデイ上陸シーンに登場する)を改造した水陸両用車で「ダックツアー」という、ボストンで1番人気の観光ツアーに使用されている。私も乗った事があるが、ボストンの史跡をめぐった後、チャールズリバーの川原に下り、水に入った途端ボートに変身して川下りをする。運転手さんが解説係りで、私が乗った時は、名所旧跡の説明をしながらマジックなども披露してくれ、とっても楽しいツアーだった。この「ダック・ボート」は、観光シーズン(6〜7月)ともなると、市内の至る所で走っている姿を目にする事が多く、ボストンの夏の風物詩の1つとも言えよう。
ダックツアーで川に入ったボートクリックすると元のサイズで表示します
(2006年9月撮影)

幸か不幸か、岡島は唯一台、パペルボンダンス用に?用意されたトレーラーに、レッドソックス、公認バンド『ドロップ・キック・マァフィーズ』と、ブルペンのリーダー、マイク・ティムリンらと共に同乗した為「ダック・ボート」に乗る事は出来なかった。そればかりか、パペルボンのアドリブで、3人が一緒にダンスを踊るというサプライズまで飛び出し、ファンを熱狂させた。(岡島が一番驚いていたように思えた)。

クリックすると元のサイズで表示しますドロップキックマァフィーズとパペルボン
…岡島は密かに黄色い耳栓を…


※「You Tubu」のパペルボンダンス。(後半に注目!ティムリン、岡島も踊らされて?いる)
http://jp.youtube.com/watch?v=SxIBml2byoo

2004年の優勝時は選手達を乗せたまま「ダック・ボート」ならではの、チャールズリバーにも入り込み、ファンが川岸からも見られるようなコースを組むという演出もあったが、川に飛び込むファンが続出したため、今回は安全性を最優先として、道路のみ使用のパレードとなった。そのコースは、フェンウェイパークを出発して、レンガ造りの古い街並み…バックベイを抜け、プルデンシャルセンター(フェンウェイパークから見えるビル)やコプリープラザのある街の中心街…ボイルストン通りを抜け、ボストンコモン(アメリカ最古の公園)のあるダウンタウンに入って、奴隷制度廃止演説が初めて行われた…パークストリート教会を左折、ボストン市役所等があるガバメントセンター前を通って、地下鉄のブルーライン終点(ボウドイン)辺りが終点だった(以下の地図参照)。パレードは、そのコースを約2時間かけての行程だったという。

コースの地図…(クリックで拡大)クリックすると元のサイズで表示します

※以下に、Yahoo photoより引用した写真と、知人が撮った写真を掲載する。

クリックすると元のサイズで表示します選手を乗せた「ダック・ボート」とファン

MVP受賞のローウェルクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します手を振るレスターと松坂。

バリテックとミラベリの捕手コンビクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します投げる為のサインボールを受け取る
ラミレスとタバレス

ボストンコモン前の沿道…クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますトロフィを抱えるオルティーズ

キルティ、エルズベリー、ドリュー。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します手を振る岡島(この時は余裕の表情)

パペルボンの餌食?に…。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 箒をギター代わりにノリノリ…
パペルボンとティムリン。

窓にはベケットのポスター。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますフェンウェイ近くのランドマークタワー

国旗の下にレッドソックスの旗。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します岡島達の乗ったトレーラー(奥)

トロフィの看板にズーム。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますボストン名物?騎馬警官。

……夢のあと…。
  クリックすると元のサイズで表示します
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2007/10/30

レッドソックス…ワールドシリーズ制覇!MVPはローウェル  Boston Red Sox・MLB

勝って一気に優勝を決めたいレッドソックス。一矢報いて第5戦に繋げ、奇跡の逆転優勝を信じたいロッキーズ。ワールドシリーズ第5戦が、気温10度と、この時期にしては比較的暖かいクアーズ・フィールドで始まった。先発は、レッドソックスがジョン・レスター…。ナックルボーラー、ウェイクフィールドが背筋痛で故障者入りした為、ポストシーズン初登板にして、この桧舞台に抜擢された。レスターは丁度1年前、血液癌の1つである「未分化大細胞型リンパ腫」(anaplastic large cell lymphoma)の抗癌剤治療の為に、マサチューセッツ・ゼネラルホスピタルのベッドの上にいた。抗癌治療を経て今期4月からマイナーで調整、7月23日にメジャー復帰した。
クリックすると元のサイズで表示しますご両親と優勝を祝うレスター

一方、ロッキーズの先発はアーロン・クック。クックは8月に脇腹痛で故障者入りしており、以来2ヶ月ぶりの登板となったが、クックも2004年、肺血栓症による2度の手術を経て2005年に復帰、病気や怪我等をして復活した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞している。現地では「大病からの復帰投手同士の対決」という鳴り物入りの対戦に大いに沸いていた。双方の投手とも、5回以上(レスターは6回裏まで、クックは7回表まで)投げ、先発投手としての役割をしっかり果たした。

試合は1回表、レッドソックスは、エルズベリーが先頭打者ヒットで出塁、オルティーズのタイムリーで先制点を挙げた。更に5回にローウェルが二塁打で出塁し、バリテックのタイムリーヒットで生還。7回にはローウェルのソロホームランで3対0とした。対するロッキーズは7回に代わったデルカーメンからホープがソロホームランを放ち1点を返したが、8回にレッドソックスの代打、キルティのソロホームランで再び3点差とした。

8回裏からは、3連投の岡島がマウンドに上がった。第3戦でホームランを浴びたホリディは、セカンドゴロに打ち取るも、続くヘルトンにヒットを許し、更にアトキンズには、2ランホームランを浴びてしまい1点差に迫られた。やはり疲労が重なっているのか?それとも1600メートルの高地では縦に落ちるチェンジアップが落ちにくいのか?マウンドをパペルボンに託して、ベンチに下がった岡島は、下を向いたままだった。しかし「胸を張ればいい、対したのはナショナルリーグチャンピオンの主軸、レギュラーシーズン100打点トリオなのだから」…私はそう声をかけたかった。

トロフィーを持つ岡島と松坂 クリックすると元のサイズで表示します

パペルボンも3連投だった。まして2イニング、6個のアウトを取らなければならなかった。もし打たれて逆転された場合、第6戦の先発がいくら難攻不落のベケットでも、完投する事は厳しい。よってレッドソックスもこの試合を落とす訳にはいかなかった。相手はワールドシリーズまでのポストシーズンを7連勝、無敗で勝ち上がって来たロッキーズ…。勢いがついてしまえば、ワールドシリーズ初の3連敗から4連勝をしてしまう可能性もけっして低くない。満身創痍のクローザー…パペルボンに全てを託す…それは正に大きな賭のように思えた。パペルボンは8回の2者を打ち取り、続く9回一死、松井に代わって二塁を守ったキャロルにホームラン性の当たりを許すも、エルズベリーの好守で凌ぎ、最後は代打スミスを三振に仕留めた。「ワールドシリーズ制覇!」チーム全員がマウンドに集まり讃え合った。リーグ優勝時は、陽気に弾けて、パペルボンダンスを踊ったパペルボンだったが、この時の目には涙がうっすらと滲んでいた。
クリックすると元のサイズで表示します勝利の瞬間のパペルボン。
コロラドに駆けつけたファン
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ワールドシリーズのMVPはローウェルが選ばれた。ポストシーズン、7試合連続安打を続け、ワールドシリーズ第3戦では、二塁打の後、三塁へ執念の盗塁もした。優勝を決めたこの第4戦では、左中間への二塁打、ソロホームランを打った。また、ローウェルも、先に述べたトニー・コニグリアロ賞を精巣癌からの復帰で受賞している。ローウェルはドイツ系キューバ人を両親に持ち、一家でプエルトリコへ亡命後、マイアミに移住した。スペイン語も英語も堪能で、チーム中の(ラミレス、オルティーズ、ルーゴ達)スペイン語圏の選手と、英語圏の選手の橋渡し的存在となり、事実上チームの纏め役になっているという。2003年はマーリンズでワールドシリーズ制覇を果たしたものの、2005年はスランプに陥り、レッドソックス移籍時は、選手としての『旬は過ぎた』とまで報じられた。再び返り咲いたローウェルは、今期レギュラーシーズンのチームMVPも受賞している。逆境を乗り越えた選手は、強く優しく逞しい。そして他の選手達を牽引して(ペドロイアは地元誌で最も尊敬する選手にローウェルの名を挙げている)チームをワールドシリーズ制覇へと導いた。
クリックすると元のサイズで表示しますシリーズMVPのローウェル
(以上の写真はYahoo photoより)

それぞれの選手に、語りきれない程の物語がある。家族、スタッフ、チーム関係者の方々、そして、ファン達に支えられて、レッドソックスは、今ベースボールの頂点を極めた。
今はとにかく祝いたい。「レッドソックス!ワールドシリーズ優勝、おめでとう!」
クリックすると元のサイズで表示しますトロフィと筆者(2004年撮影)
※3年ぶりに、↑このトロフィーがボストンにやってくる。
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2007/10/29

ワールドシリーズ第3戦…初めてづくしで育まれたチームワーク  Boston Red Sox・MLB

ロッキーズの本拠地、クアーズ・フィールドで行われたワールドシリーズ第3戦は、序盤レッドソックスのワンサイドゲームになるかと思われたが、6回好投を続けていた松坂が2つの四球で降板すると、見所満載のゲームとなった。結果は、レッドソックスが10対5で3勝目を挙げたのだが、その数字だけでは表せないような多くのドラマが含まれていた。そして、その中からそれぞれの史上初という記録が幾つか生まれた。まず、松坂が日本人初のワールドシリーズ先発投手となり、そして1回表、松坂と松井稼頭央のメジャーでの初対決の場面を迎えた。これは松井が初球をヒットし、先輩メジャーリーガーの意地を見せた。更に3回表、松坂のメジャー初ヒットが2点タイムリーとなって自身のバットで6得点に絡んで貢献した。
クリックすると元のサイズで表示します ワールドシリーズ…初登板、
初ヒット、初勝利の松坂大輔。


クアーズ・フィールドが湧き上がったのは、6回裏、ノーアウト一塁、二塁で松坂降板の後を引き継いだロペスが、連続安打を浴び2失点。ロペスは1アウトを取れないまま、ティムリンにマウンドを任せた。レッドソックスはその回は、2失点に防いだものの、7回裏、松井稼頭央が見事なバントヒットで出塁すると、2塁へと盗塁、打者トゥロウィッキーもヒットで一塁、三塁となった。結局、ロッキーズは、第2戦で3インニングをまたいで投球した岡島を、ブルペンから引き出す事になった。海抜1600メートルのクアーズ・フィールド…変化球は変化し難い…岡島の左腕の疲労…その時、偶然仕事の手が空き、試合の実況を見ていた私は嫌な予感がした。打者はナショナルリーグ2冠王のマット・ホリディ…。ホリディは岡島の投げた初球(チェンジアップだったと記す新聞が多いが、私には直球に見えた)をセンターへ運び、3ランホームランとしてしまった。1点差…クアーズ・フィールドは、白いハンカチが舞い、大歓声に包まれた。私は胸が苦しくなりそうだった。
バントヒットを含む3安打クリックすると元のサイズで表示します
盗塁を決めた活躍も実らなかった松井稼頭央。(二塁手はペドロイア)


しかし、岡島の粘り強さはそこからだった。NHKの森中氏の説明によるとロッキーズへ入団して11年…1578試合目にして、初のワールドシリーズ出場のトッド・ヘルトンにもヒットを許したが、続く3人の打者からアウトを奪った。投げている岡島も、リードするバリテックも、そして「岡島しかいない」…と交代させなかったフランコーナ監督にとっても、耐え忍んだ長い時間だったに違いない。及ばずながら、その時私も「(ホームランを)打たれたけど勝っている。第2戦だって1点差を守りきれたではないか!」と自分に言い聞かせていた。チーム内にもファンの中にも、誰も岡島を責める者はいなかったに違いないが、唯1人…岡島だけはこの感触を忘れはしないだろう。それが「初登板で、いきなり初球をホームランされた事を戒めとして、投げ抜いて来られた」と語っていた岡島だからこそ…である。

本塁打を打たれた後、渾身の力投で得点を許さず3アウトを奪った岡島に、8回裏、チームメイトが応えた。2度に渡る好守備で投手陣を救って来たルーゴが四球を選んで出塁すると、途中から出場していたココ、エルズベリー、ペドロイアの連打で7回裏にとられた3点を奪い返した。尚、この試合、エルズベリーの4打数4安打は、ルーキーとして、ワールドシリーズタイ記録(1イニング2本の二塁打もタイ記録)であったが、エルズベリーとペドロイアの…ルーキー選手2人が揃って3安打以上打ったのは、ワールドシリーズ史上初めての事だという。更にレッドソックスは、9回、先頭バッターのローウェルが、センター前にヒットで出塁すると、コーラがバントで二塁にきっちり送った。そしてバリテックの打席時、足の速くないローウェルが、三盗を決めタッチアップで帰還した。この三盗は相手バッテリーの隙をついたもので、かつて『隠し球』を披露したこともある、頭脳派のローウェルらしいプレーだった。ボストン・ヘラルド紙にも載ったFOX TVの資料によると、レッドソックスのポストシーズン史上において、1975年のリーグ チャンピオンシップの試合でJuan Beníquezが決めて以来、実に32年ぶり。ワールドシ リーズでは初の試み…初成功!となったそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します ヘルメットを飛ばし激走するラミレス。
(写真はYahoo photoより引用)


1点でも多くとって岡島の気持ちを楽に…私はその時、皆がそう思っていたように感じた。結果、岡島が「失投だ」と、おそらく悔いているであろう…あの3ランの1球が、レッドソックス史上に新しい記録を刻む事となった…と言っても過言ではないと思った。開幕から戦ってきたチームメイト、ここに来て、レギュラーシーズンで活躍し切れなかったルーゴやドリューが活躍し始め、序盤は打率1割台だったペドロイアが攻守に渡って、暴れまわっている。ベンチでは、ペドロイアが松坂に(多分、利き腕に負担をかけないような?)バッティングアドバイスしていたりした。オルティーズも痛い右膝を抱えながら一塁を守った。ラミレスもヘルメットを飛ばして爆走…(WBCの川崎のように『神の手』とはならなかったが)、本塁へと走りこんだ。パペルボンも気迫でクローザーの役割を果たした。負ければ終わりという1勝3敗の窮地から勝ち上がったリーグチャンピオンシップから特に感じて来た事で、きっと当たり前の事かもしれないが、選手全員が飛び交う1球を追い駆け、誰のプレーにも心を1つにして一喜一憂する…『ワールドシリーズ制覇!』とは、チーム全員が「1つの家族になるようなものだ」と改めて思った。
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2007/10/27

ワールドシリーズ第2戦…岡島秀樹「player of the game」に選出  Boston Red Sox・MLB

第2戦は、第1戦とは正反対の息を呑むような接戦となった。先発投手は、レッドソックスがカート・シリング…40才。ロッキーズは、メジャー2年目のユバルド・ヒメネス…23才で、ベテランと若手の対決となった。ロッキーズは初回、先頭バッター、タベラスがシリングに与えられた死球をきっかけに、ワンヒット、ワンエラーで三塁まで進塁、1アウト一塁、三塁とした。そして4番打者、ヘルトンのファーストゴロの間に1点先制した。その後、ヒメネスは3回裏まで、四球を出すも、得意のシンカーでタイミングを狂わせレッドソックス打線をノーヒットに押さえていた。
クリックすると元のサイズで表示します僅差で2勝としたレッドソックスの面々。

試合が動いたのは、4回裏…レッドソックスは、ローウェルが制球の乱れたヒメネスから四球を選ぶと、J.D・ドリューがライト前へ初ヒットを放った。この間、ローウェルは好走塁を見せ、三塁に達し、続くバリテックの犠牲フライで同点に追いついた。更に5回、ツーアウトからオルティーズが、四球を選んで出塁すると、ラミレス、ローウェルとヒットが続き、2点目が入った。5回まで両チームランナーを出すも、追加点を上げられず両ベンチには、重苦しい空気が漂っていたように見えた。

圧巻は6回表…。レッドソックスは、ヒットと四球のランナーを一、二塁に置いた所で、フランコナー監督は、シリングから岡島に交代させた。岡島は、ワールドシリーズ初登板となった。緊張感はあっただろうが、堂々としているように見えた。後で本人曰く「昨年日本シリーズで投げた時の経験が役に立った」と語っていたが、5番アトキンズを内野ゴロに打ち取るも、その間に2者進塁してランナー、二塁、三塁。一打逆転という場面となった。この時、岡島は、ロッキーズの6番打者、ホープを落差のあるカーブ、ストレート、スプリッターと3球三振で切ってとり、ピンチを救った。岡島がベンチに向かうとシリングが飛び出して出迎えた。嬉しくて涙が出た、後で振り返ると、この回の攻防が勝敗を分けた重要な場面だったと思われる。
ワールドシリーズ初登板の岡島。クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します岡島を迎えるシリングと拍手の観客。
 

岡島は7回もロッキーズ打線を3者凡退に抑え、8回2アウトまで投げ抜いた。TV報道では、8回一死で『岡島秀樹 対 松井稼頭央』のワールドシリーズ史上、日本人初対決!と盛り上がっていた。私は、日本人対決にあまりこだわっていなかったが、開幕以来、松坂大輔の大々的な報道の陰で、静かに無失点記録を伸ばしていた陰のヒーローが、ワールドシリーズでの日本人初登板、日本人初対決という…野球史上に名前を残してくれた事は、とても嬉しく名誉な事と思った。試合は以降、両チーム共追加点を挙げる事が出来ず、レッドソックスが岡島+パペルボンの必勝リレーで投げ勝った。1戦目とは全く違う僅差の試合を制した事は、レッドソックスにとって大きな糧となったように思う。尚、岡島の打者7人に相対し、4奪三振ノーヒットの好投に、フランコナー監督を始め、シリング、パペルボンも絶賛!。この試合の「player of the game」にも選ばれ、歴史的シーンに花を添えた。
ノーヒットで悔しそうな松井稼頭央クリックすると元のサイズで表示します

第3戦は、コロラド州デンバーのクアーズ・フィールドで行われる。クアーズ・フィールドは、標高1600mの高地にある為、打球が平地より10%以上伸びるらしく、打者有利と言われている。1999年に開催された82試合で、メジャー最多の年間303本塁打(1試合平均3、7本)が記録され「公平ではない」と言う声を受けて、2002年より球場内に『気温21度、湿度50%に保った加湿ルーム』を設け、コミッショナー認可の下、試合使用球を保管しているという。これによって本塁打は平均2/3以下に減り、効果は抜群だそうだ。既にワールドシリーズでも、この『加湿球』を使用する事が決定しているが、それにしても打者有利な環境である事に変わりはない。更にDH制が執られない事によって、レッドソックス側は、一塁手のユーキリスか、オルティーズ(或いはローウェル)を休ませなければならない。また投手も打席に入る為、3戦先発予定の松坂は、先にデンバー入りをして、投球練習をすると共に、バント等打撃練習もしているという。第3戦は、球場の環境の違いだけでなく、DH制が無いというハンディもあり、ロッキーズ有利と言われているが、レッドソックス首脳陣の選手の使い方も、1つのキーとなる気がしている。

◎箸休め
ボストン在住のダイゴさんのHP『ボストンレッドソックス応援日記』によると、ア・リーグ地区優勝シリーズで、800枚売られる当日券を求めて並んだ徹夜組のファンに、ローウェルとぺドロイア本人が「僕らを支えてくれてありがとう」とメキシカンタコスを差し入れをしたそうだ。冷え込む深夜に何と温かいプレゼントだった事だろう。レッドソックスの強さは、このような優しい選手と支えるファンの深い絆から生まれているようにも思った。
※ダイゴさんのHP→ http://www.go-redsox.com/

※以下、練習風景から…微笑ましい親子写真(全てYahoo Photoより)
クリックすると元のサイズで表示します 同じポーズをとるラミレスと息子
ランニングするティムリン親子
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2007/10/26

ワールドシリーズ第1戦…レッドソックス大勝!吹いた追い風?  Boston Red Sox・MLB

ワールドシリーズの開幕戦は、凛として張り詰めた空気が漂い、聖戦のような独特の雰囲気がある。2007年、メジャーリーグのワールドシリーズが、現地時間の24日、レッドソックスのホームであるフェンウェイパークで開幕した。対戦相手は、ナショナルリーグチャンピオン、コロラド・ロッキーズ、ここまでポストシーズン負けなしの勢いがあるチームだった。レッドソックスが開幕戦のホームアドバンテージを得る事が出来たのは、7月11日にサンフランシスコのAT&Tパークで開催された、オールスターゲームでアメリカンリーグが勝利した事による。第1戦は、勿論、試合内容からジョシュ・ベケット、ダスティン・ペドロイアを始めとするレッドソックスの選手達の活躍も、大きな要因ではあるが、私はこのホームアドバンテージが大きく勝敗に関与したように感じた。
クリックすると元のサイズで表示します始球式に参加した1967年のメンバー

この開幕戦で、グリーンモンスターに掛かる星条旗を前に、国歌を演奏したのは「スターウォーズ」や「ハリーポッター」シリーズのテーマ曲の作曲家であり、ボストンポップス・オーケストラの指揮者でもある、ジョン・ウィリアムズ氏。オーケストラ全員が「ワールドシリーズ2007」と書かれたウェアに身を包んでの迫力ある演奏だった。そして、始球式を行ったのは、レッドソックスの永久欠番『8』の「ヤズ」ことカール・ヤストレムスキーで、1967年当時、セントルイス・カーディナルスを相手にワールドシリーズを戦った(3勝4敗)メンバーが終結して、ヤストレムスキーの後押しをした。大歓声が沸き起こる中、ワールドシリーズ初出場のロッキーズの選手達がコールされて行ったが、その緊張した面持ちから、何となく「雰囲気に呑まれている」…ように感じたのは私だけだっただろうか?
ベケットの三振数を掲げる観客クリックすると元のサイズで表示します

更に初回、ロッキーズの打者を圧倒したのが、先発ベケットの投球だった。力強いストレートの攻撃的な投球で三者連続三振を奪い、機動力のあるロッキーズ打線を沈黙させ、2003年ワールドシリーズMVP受賞投手(当時、マーリンズ)の貫禄を見せた。対するロッキーズの先発投手は、メジャー4年目のジェフ・フランシス…。バッターのタイミングを狂わす頭脳的投球で、レギュラーシーズン17勝をおさめた、ロッキーズのエースだったが、ベケットの迫力ある投球に影響を受けたように、投げ急いだ感じがして、先頭バッター、ペドロイアにタイミングを合わされ、先頭打者ホームランを浴びてしまう。因みに第1戦で先頭打者ホームランを打ったのはワールドシリーズ史上、2人目(1人目は1970年オリオールズのドン・ビュフォード…奇遇だがビュフォードも173cmと小柄だった)で、シリーズ中では2004年、レッドソックスのジョニー・デーモンに続く8人目となった。
クリックすると元のサイズで表示します先頭打者HRのペドロイア。
(以上Yahoo photoより)


レッドソックスは、ペドロイアのホームランを皮切りに初回、3点先取すると、5回までに17安打、合計8個の2ベースヒットを放ち(ワールドシリーズタイ記録)、押し出しの四球を含んで13得点と大量点を奪った。一方ロッキーズはベケットの力投の前に、2回トッド・ヘルトンとギャレット・アトキンズが二塁打を放って得た1点のみ…ヒットはこの2回の連続安打と、6回の松井稼頭央が足で稼いだ内野安打を含む6個に留まった。ワールドシリーズまでのポストシーズンを負けなしの7連勝(リーグ優勝を7連勝で決めたのは史上初)上がって来たロッキーズは、8日間実践の試合が空いてしまった影響もあってか、8連勝とはならず、皮肉な事に同一年ポストシーズン連勝記録『8』を樹立して、2004年、ワールドシリーズを制覇したレッドソックスが、記録を途切れさせる事となった。以上のように予想外の大勝で、一見レッドソックスが力の差を見せ付けたように思われるが、ロッキーズは大敗した事によって、反って妙な緊張感も取れ、第2戦からはナショナルリーグチャンピオンの実力を発揮するのでは?と推察する。私は次の試合からが本番と考え、応援して行きたいと思っている。

さて、8月ローガン空港から帰国の途についた私だったが、出発ロビー横のウィンドーに1967年のワールドシリーズの記念品が展示してあり、早朝で眠かったにも関わらず、ヤストレムスキーらのユニフォーム等を前に吸い込まれるように近づき、カメラのシャッターを押していた。1967年のメンバーを代表して、始球式を行ったヤストレムスキーは、レッドソックス一筋に23年間所属し、1967年には打率.326、44本塁打、126打点で三冠王を獲得、以降打撃での三冠王は生まれて居らず『20世紀最後の三冠王』と呼ばれている。またヤストレムスキーは、1989年に野球殿堂入りを果たし『20世紀最後の4割バッター』と言われているテッド・ウィリアムズ(背番号『9』)と共にフェンウェイパークのアッパーデッキに背番号が掲げられ、レッドソックスの英雄として君臨している。このような歴史深い背景も、球団創設16年のロッキーズを相手に追い風となったようにも思った。
※以下、ローガン空港で撮影した写真から抜粋。(クリックで拡大)
ヤズのユニフォームと伝記。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますリーグチャンピオンのペナント

ワールドシリーズプログラム
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2007/10/24

フェンウェイパークで演奏した…ドロップキック・マーフィーズ  Boston Red Sox・MLB

レッドソックスのアメリカンリーグ優勝=ワールドシリーズ進出の喜びに浸っていた私の元に、一通のメールが届いた。それは、NHKのBS放送を観て、クローザーのジョナサン・パペルボンがマウンドに上がり、投球練習したいた時にかかった曲の名前と歌っているバンドを教えて欲しいという内容だった。既に私は、レッドソックスが後がない3連敗の絶対絶命の時、この曲が聞きたい…と願いを込めて当ブログに載せているが『I'm Shipping Up To Boston』という曲で、ロップキック・マーフィーズというバンドが歌っていると、返事をさせて頂いた。また、アクセス解析ソフトをみると、検索でも、「レッドソックス、音楽」というキーワードで引いて来訪頂いている事が多い事が分かったので、この曲やドロップキック・マーフィーズについて、書いてみようと思った。
クリックすると元のサイズで表示しますドロップキック・マーフィーズのメンバー

ドロップキック・マーフィーズは、1995年サウスボストンで結成されたアイリッシュ・パンク・バンドで、アイリッシュの血を引くケン・キャッシュ(ヴォーカル、ベースギター)をリーダーとし、7人で編成されている。ギターやドラムの他に、バグパイプやアコーディオン、マンドリン等を使用し、アイリッシュ・トラッド・ミュージックの影響を受けた曲を演奏している。メンバー全員が熱狂的なレッドソックスのファンで、レッドソックスのチームスタッフ内で1900年前半に歌われていた『Tessie』(元、ブロードウェイの曲)をリバイバルで2004年、CD化して発表した。するとその年、レッドソックスは、86年間優勝から遠ざかり「バンビーノ(ベーブルース)の呪い」と言われたジンクスを破って優勝した事から、レッドソックス主催ゲームでの球団公認歌として認定された。また今季ア・リーグ優勝を決めた第7戦では、試合前の演奏者として招かれている。

また、本題の『I'm Shipping Up To Boston』は、2005年リリースしたアルバム『ウォリアーズ・コード』に収録されていたが、2006年のマーティン・スコセッシ監督が韓国映画『インファナル・アフェア』を大胆にリメークした話題作…ボストンを舞台にアイリッシュ・マフィアの世界を描いた『ディパーテッド』の挿入歌に選ばれた。私は映画館で『ディパーテッド』を観たが、『I'm Shipping Up To Boston』は、正に映画の舞台となったサウスボストン出身のバンドの曲だけあって、バグパイプの音が印象的でインパクトの強い曲だった。余談だが、この映画のサウンドトラックの中では、ドブロと呼ばれているアコースティックギターのオリジナル曲『ディパーテット・タンゴ』(ハワード・ショア作曲)も心に響く調べだった。
『ディパーテッド』サウンドトラッククリックすると元のサイズで表示します 
『I'm Shipping Up To Boston』は、フェンウェイで例えばパペルボンがマウンドに上がった時など、勝利を導く曲として流され、ア・リーグチャンピオンシリーズ第7戦でも、例外ではなかった。更にシャンパンファイトの後、選手達がトロフィーを持ってグランドに再登場した際、パペルボンがこの曲に合わせて、ラインダンス(パペルボンダンス)を踊っている。(東地区優勝の際は、ユーキリスらも参加していた)。

※Dropkick Murphysの「I'm Shipping Up To Boston」
映画「デパーテット」シーンがフラッシュバックする。
http://www.youtube.com/watch?v=MKyLgRzOTsY&mode=related&search=

※ア・リーグ東部地区優勝時のパペルボンのラインダンス
http://www.youtube.com/watch?v=uu43lbTrvOQ

※Dropkick Murphys のメンバー紹介。曲は『Tessie』(於フェンウェイパーク)
http://www.youtube.com/watch?v=FYAijiz7nZM&mode=related&search=

またドロップキック・マーフィーズは、プロ野球ファンの人なら聞き覚えのあるバンド名で、日本でもストリート・パンク系のファンから根強い支持を得ており、2005年10月に来日し大阪、名古屋、東京、と4公演のジャパンツアーも行っている。更に今のメンバーではないが、2001年にリリースされたアルバム『Sing Loud! Sing Proud!』の中の「For Boston」は、千葉ロッテマーリンズに2005年から2006年まで属していたマシュー・ネイル・フランコの応援歌として使用されたり(因みにフランコは俳優、カート・ラッセルの甥)、高校野球の応援歌としても演奏されている。また『I'm Shipping Up To Boston』は、今年7月に訪れた長坂秀樹投手所属のナシュア・プライドチームでも流されていた。

※「For Boston」…ライブより
http://www.youtube.com/watch?v=rp02GBczwI4

ドロップキック・マーフィーズの奏でる音楽は、男らしい力強さと乗りの良い楽しさの中にも、せつなさが見え隠れする。ミスマッチとも思われる、バグパイプ等、トラディショナルな楽器の音色と、へヴィなパンク・サウンドのコンビネーションが絶妙で、フェンウェイパークは勿論、ボストンの古い街並みによく似合っていると思う。ワールドシリーズでも、『I'm Shipping Up To Boston』や『Tessie』を、何度か聞く事が出来そうで大変嬉しく思っている。
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