2006/8/31

伊藤翔選手…高校生からいきなり英・アーセナル!入団テスト合格  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

サッカーU-19(19才以下)日本代表の伊藤翔選手(中京大中京高校・18才)が、去る8月20日、イングランドのプレミアリーグ・アーセナルの入団テストを受ける為に、渡欧したニュースを新聞で読んだのは記憶に新しい。既に伊藤選手は、フランスの2部リーグ、グルノーブルからは正式オファーを受けており、先にフランスのグルノーブルの練習に2日間加わった後、ロンドン入りしていた。このテストは、春休み(4月)に練習参加した際に、ドイツのキーパーレーマンからゴールを奪う等、その身体能力を認めたアーセン・ベンゲル監督(1995年〜1996年、名古屋グランパスエイト監督)の要請で実現した。伊藤選手は「オファーが来れば一番いいけど、まずは精一杯やりたい」と出発の新聞記者のインタビューに答えていた。
クリックすると元のサイズで表示します アーセナル入団テストに合格した伊藤翔選手(中京高3年)。

伊藤選手は、現地時間の28日、入団トライアルテストの2日目、トップチームで行われたミニゲームで、トーゴ代表FW、アデバヨルと2トップを組み、イングランド代表DFのA・コールを巧みにかわして得点する等、計5得点を挙げた。アデバヨルや17歳でW杯のイングランド代表に選ばれたFWウォルコットが、1点ずつしか決められない中での大量得点の結果に、ベンゲル監督から「気に入った。獲得したい。エクセプショナル・タレント(稀な才能を持つ選手)として、特例的に労働許可証を発給してもらうように手続きする」と伝えられたという。

欧州連合(EU)籍外の日本人選手がイギリス国内のクラブと契約し、選手登録するには、労働許可証の発給を受けなければならない。これは、EU諸国に籍のある選手の労働の機会を保護する為の決まりで、その資格を得るには、秀でた能力を持っている事が条件となる。その目安としては、自国のA代表として過去2年間の公式戦に75%以上出場している事が条件とされている。伊藤選手は、U-19代表などの経験はあるが、フル代表の経験歴はなく通常に申請しても労働許可証は発給されない。しかし、近年10代の優秀なプロ選手の台頭により、エクセプショナル・タレントとしてフル代表の経験がなくても発給されたケースがあった。昨季アーセナルは、期限付き移籍で獲得、今季より完全移籍で獲得した、カメルーンのMF、アレキサンドラ・ソングがいる。
伊藤選手を召集、テスト合格を伝えたベンゲル監督。 クリックすると元のサイズで表示します

伊藤選手は、ニックネームで和製アンリと呼ばれている。50メートル走は6秒1というスピードを生かしたプレースタイルが似ている一方、183cmの長身でありながら本人曰く「ヘディングが苦手なのもアンリ選手と同じ」と語り、中京大中京高校でもゼッケンは「14」とアンリ選手と同じ番号をつけている。伊藤選手は、憧れのアンリ選手と同じチームでプレーしたいと願っているだけでなく、「アーセナルのパスが綺麗に繋がって行くサッカーが好き」と答え、アーセナルのテスト合格に喜びの表情を見せたという。伊藤選手の移籍は、早くて来年1月の全国高校選手権の後と予想されている。それまでに充分な時間がある為、アーセナル側は、プレミアリーグとプロ選手協会からの推薦状を添え、労働許可証の申請をする見込みで、順当に行けば来春、日本人として初めて、Jリーグを経由する事なく、高校から直接欧州の主要クラブへ移籍するプロ選手の誕生という事になりそうだ。恐らく伊藤選手は、渡英後、リザーブリーグからのスタートとなるだろうが、シーズン終盤には、名将、ベンゲル監督の元、W杯でドイツのゴールを死守したレーマン選手をGKに、憧れのアンリ選手と2トップを組んでプレーする姿が観られる日も、遠くない気がして楽しみである。

◎追記
結局、ビザの関係でアナーセルとの正式契約には至らず、フランス・グルノーブルフット38に入団が決まった。...by hotaru


★伊藤翔
1988年、7月24日、愛知県春日井市生まれ、18才。クラブチームの名古屋FC、フエルボール(元名古屋グランパスMF、安原成泰氏の指導)を経て、中京大中高高校に進みサッカー部所属。U−15から世代別代表にも選出され、2004年9月には、U-17としてアジア選手権に参加。しなやかな動きと、決定力が売りで、50メートル走は、6秒1と俊足。今年1月から開催されたカタール国際ユース新親善試合では、U-19代表として2得点を挙げた。中京高校では、年子の弟、伊藤了選手と2トップを形成。尚、弟の了選手も、ナショナルトレセンに選ばれる等、未来の大器である。


★アーセン・ベンゲル
1949年、10月22日生まれ、ドイツ(アルザス)系フランス人。1996年よりイングランド・FAプレミアリーグ、アーセナルの監督。日本では、1995年当時、低迷していた名古屋グランパスエイトを、ドラガン・ストイコビッチ、小倉隆史、浅野哲也らを率いて「常に長所だけを生かすようにする」という勝者の精神を植えつけ、1年で天皇杯優勝に導いた事で知られる。欧州とは全く違った環境で積んだ日本での指導者経験は、その後、多国籍軍団として名を馳せるアーセナルでの指揮に寄与したと著書『勝者のエスプリ』で書いている。日本に10年留まる事を覚悟していたが、ヨーロッパチームからのオファーは、ヨーロッパでの実績のみを基にしていた事から、日本でのキャリアに限界を感じヨーロッパに戻った。名古屋時代からボロ・プリモラツをヘッドコーチに置き、共に指導にあたっている。
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2006/8/19

上川徹氏、ロシア・プレミアリーグへと招かれ主審を務める  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

今年2006年、6月から7月にかけドイツで開催されたサッカーワールドカップで、国際審判である主審の上川氏と副審の広嶋氏が、一次リーグ2試合の審判を務め、高い評価を得て、アジア人初の快挙!決勝トーナメントの3位決定戦で、ドイツ対ポルトガル戦の審判を務めた。その際、破れた方のポルトガルのスコラリ監督から「とても良かった。多くの人が、日本の審判がこれほどのレベルだとは思っていなかったはずだ」と、賛辞された事や、2得点し喜びのあまり思わずユニフォームを脱いでしまい、イエローカードを与えられたシュヴインスタイガーが「とても感じの良い審判だった」と誉めた事は、まだ私達の記憶に新しい。敗者の将やイエローカードを出された選手からの誉め言葉は、上川氏らが、いかに優れた審判であるかを証明できる証拠だと、観ていてとても嬉しかった。
クリックすると元のサイズで表示します シュヴインスタイガーに、笑顔でイエローカードを提示した上川主審。(3位決定戦)

上川氏らは、試合の直後に行われた3位チームの表彰式で、ドイツチームと同じメダルを授与された。その栄誉を讃え、ドイツから帰国後には、日本サッカー協会からも表彰された。前回のワールドカップから、イタリアの国際審判・コリーナさん(決勝戦は勿論、因縁の対戦、イングランド対アルゼンチン戦の主審を務めた)のファンになり、審判の仕事に興味を持っていた私は、ドイツ大会開催前から、上川氏を応援して来た。そんな私としては、サッカー協会の表彰だけでは、物足りなく感じたが、TVのスポーツ番組に出演した上川氏には、表彰される事より、名誉或る仕事を無事にやり遂げたという満足感が満ち溢れていた。上川氏は、8月に入って、各地でW杯の体験を元に講演活動をしていたが、この度、ロシア1部リーグ(プレミアリーグ)で主審を務めることが、16日、同リーグ関係者からロイター電を通じて明らかにされた。
銅メダルを胸に…上川主審と広嶋副審。クリックすると元のサイズで表示します

その報道によると、上川氏が主審を担当するのは、現地時間の19日開催の、ロシア・ウラジオストックで行われる、地元ルチ・エネルギア対スパルタク・モスクワの試合だそうだ。同リーグは今までの例で、ヨーロッパ諸国から審判を招いた事があったが、日本を含めアジアからの審判招待は、初めての事だという。ワールドカップの最中、上川氏は、国外のスポーツ誌等でも高い評価を得ており、もしかしたら国外から主審依頼の声がかかるのでは?と予想はしていたが、この時期にとは?!ニュースを見て一番に驚いたが、やはりとても嬉しかった。まだまだ、サッカーでは欧州から比べて「後進国だ」と言われている日本に於いて、欧州に属するロシアから声がかかるのは、大変名誉な事だと思われる。あまり、スポーツには政治を絡めたく無いが、日本とロシアの関係は、北海道の漁船拿捕問題で、政治的にも揺らぎそうな気配がするだけに、上川氏の毅然とした、そして紳士的な試合裁きは、好印象をもたらしてくれるのでは?と期待していたい。日本では、その試合が観られなくて残念だが、引き続き応援して行きたいと思っている。
 クリックすると元のサイズで表示します 筑波大学で講演する上川氏。(8月6日)

また、ワールドカップで優勝したものの、不正疑惑に揺れるイタリアの国内リーグでは、定年になったコリーナさんの復帰も切望されているという。途方も無い運動量を必要とする審判の仕事ゆえに、FIFAの「45才定年」という設定は、止むを得ないとは思うが、せめて日本サッカー協会と同じ、50才まで定年の年齢引上げて貰えないだろうか…。出来れば次のワールドカップ・南アフリカ大会でも、日本チームの試合とともに、上川氏の勇姿を観て見たい…とも、密かに願っていたりする。
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2006/7/21

オシム監督就任に寄せて…イビチャ・オシム氏と故郷、サラエボ  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

学生時代、世界史・地理で習ったユーゴスラビアは、「7つの隣国。6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)。5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人)。4つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、アルバニア語)。3つの宗教(カトリック、セルビア正教、イスラム教)。2つの文字(ラテン文字、キリル文字)により構成される1つの国」と表現され、多民族国家として混沌とした政治背景があり、掴み所が無かった。1984年にサラエボで冬季オリンピックが開催され、その地名は記憶に刻み込まれたが、1992年に内戦が勃発、4年間続いた戦火の中心となったサラエボでは、多くの犠牲者を出した。その有様は「50万人の市民が世界から切り取られ、肉親を失わない者は誰1人としていなかった」と語り継がれている。ヨーロッパという地域で、第二次大戦後最悪の被害(死者20万)を出す内戦を、平和を謳う世界や隣国が何故止められなかったのか?私には計り知れないが、その悲しい物語はイギリス人記者の実録を元に、1997年映画化された『ウェルカム・トゥ・サラエボ』でも、伺い知る事が出来た。奇しくもサラエボオリンピックのメインスタジアムは、内戦で破壊され、現在は、亡くなった人々の墓地になっているという。
クリックすると元のサイズで表示します 実録の映画化「ウェルカム・トゥ・サラエボ」

イビチャ・オシム(本名、イワン・オシム)氏は、1941年、オリエントとヨーロッパ文明の交わる美しい町、サラエボ(トルコ語で「宮殿のある平地」の意)で生まれた。サッカー選手としては、FWとしてプレーし、1960年、サラエボのゼレズニチャル・サラエボでプロデビュー。1964年の東京オリンピックには、旧ユーゴスラビア、サッカーチームの代表として来日した。1970年から、フランスのストラスブールに籍を移しプレーした後、1978年に引退。1986年にユーゴ代表監督に就任し、1990年のW杯では、ベスト8へと導いた。しかし、1991年、日ソ冷戦後の東欧諸国で民主化運動が進む中、ユーゴスラビア内のスロベニアとクロアチアで独立を宣言、当時のユーゴ政府は、その報復措置として1992年4月6日、サラエボを侵略した。この内戦が、オシム氏の祖国を離れた監督人生の発端となった。
旧ユーゴスラビアの地図クリックすると元のサイズで表示します 

オシム氏は、内戦勃発当時仕事の為、セルビアに出むいて居り、次男と共に戦火を免れる事が出来たが、サラエボに残った夫人と長女は、脱出することが出来なくなってしまった。悲しみにくれるオシム氏は、ユーゴ軍のサラエボ侵攻に対し、抗議する意味を込め、欧州選手権開催直前の5月、「サラエボの為に唯一私に出来る事」という言葉を残して代表監督を辞任した。監督不在のまま、W杯ベスト8のメンバーであり、日本でもプレーした経験のあるストイコビッチら代表選手達は、開催国スウェーデンへと向かったが、国連からユーゴへの制裁の命を受けたFIFAとUEFAは、代表選手の大会参加を認めず、選手達は、到着したばかりの空港で入国を許される事無く、強制帰国させられてしまった。正にスポーツ選手が、戦争や政治に巻き込まれ、国と共に代表チームも解体してしまったという悲しい出来事だった。皮肉な事に、その年の欧州選手権は、ユーゴの代わりに出場したデンマークが制覇している。

オシム氏は、戦火のサラエボに夫人と長女を残したまま、1992年から1993年 ギリシャのパナシナイコスの指揮を取った。更に1993年から2002年 オーストリアのシュトゥルム・グラーツという小さなクラブチームの監督を務め、チームをUEFAチャンピオンズリーグに3度出場させた。夫人と長女には、グラーツに就いてから1年後、ようやく再会を果たせたが、オシム氏は、当時の事を「とてつもなく多くの事が起き、それをサッカーを通じて忘れる事が出来た」と振り返っている。「サッカーだけが、安らぎの場所だった」とも語るオシム氏の事を、欧州のジャーナリスト達は、ただの監督ではなく、『サッカーの哲学者』と評価しているそうだ。日本でも、そのサッカー哲学の評価は高く、実際に2003年 ジェフユナイテッド市原(現・千葉)監督に就任後. チームを2005年 Jリーグ、ヤマザキナビスコカップ初優勝に導き選手からも厚い人望が寄せられている。
クリックすると元のサイズで表示します 既に代表人選に入っているオシム監督。

そんなオシム氏が、いよいよ日本代表監督に就任する日が訪れる。2006年、ワールドカップ・ドイツ大会は、旧・東西ドイツが力を合わせ、大盛況の中、無事に幕を降ろした。多くの感動とドラマを生んだ大会だったが、日本代表チームにとっては、世界との差を見せつけられた苦い大会となった。また、決勝戦では、世界中のサッカーを愛する人々が、後味の悪い思いをした。現地時間の20日、その当事者である2人の選手に、FIFAは処分を下した。その処分が軽いか重いか?は、既にメディアで論点となっているが、むしろ本人達の心には、償えば済むという問題よりも、重い影が落ちている気がしている。戦争の苦しみ、人と人が争う事の醜さを身を持って知っているオシム氏は、きっとその重みを一番知っている監督だと思った。因みにオシム氏は、12年間の選手生活中、イエローカード制が導入された1970年から引退までの8年間、イエローカードの提示は一度もされなかった選手であった。逆境を糧にサッカー哲学を大成させて来たオシム氏…既に19日には、Jリーグ、大宮対磐田戦を選び視察したという。両チームの中でW杯の代表は、川口選手と福西選手のみ…。新しい代表選手の発掘にも期待したい。
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2006/7/11

その時、ジダンに何が起きたのか?…その退場劇に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

ジダンに何が起きたのか?試合終了後、今までのどの試合とも雰囲気が違っていた。それは決勝戦だからという特別な雰囲気とも、かけ離れていた気がした。双方の選手同士の讃えあいも無く、フランスの選手達には、敗者の重みだけが重く圧し掛かっていたように見えた。敗者と言っても決勝戦…まぎれも無い準優勝国なのだ。しかし、どの選手にも笑顔が無かった。そして表彰式のフランスチームの中にジダンの姿は無かった。更にジダンと共に代表復帰したマケレレは銀メダルを授与後、すぐ外してしまった。私は、今大会、日本の上川主審を追いかけながら、試合を観てきたせいか、選手達の動きは勿論だが、どうしても審判の一挙一動にも目が行ってしまっていた。決勝戦の審判は、アルゼンチンのエリゾント主審…開幕試合も担当したベテランだった。
クリックすると元のサイズで表示します 退場処分となり会場を去るジダン。

この試合、ファールも多かったが、何よりボールと離れた所での選手達の小競り合いが多かった。しかしその為にホイッスルが吹かれる事は少なかった気がした。実際に後半 34分、ジダンはヘディング時にイタリアのカンナバロと交錯し、肩を痛め、一旦ピッチから出た場面もあったが、そのクロスプレーにはノーホイッスルだった。ジダンは痛めた肩の痛みを堪えながら、ピッチに戻りプレーを続けていた。そして延長戦に入って4分、パスから攻め入ったフランスのマルーダが、ペナルティエリア手前で倒された。VTRで観ると明らかにガットゥゾの肘が顔に当たっている。しかし、ずっと起き上がらなかったのは、ガットゥゾの方で、やはりファールは取られなかった。もし主審からは見えなかったにしても、副審には見えていたはずだと思ってしまった。更に延長前半14分、ジダンの強烈なヘディングシュートはイタリアGKブフォンの片手による好セーブで得点にはならなかった。今振り返ると、ジダンの中に溜まったフラストレーションは、既にこの時点で限界だったのでは?と思われる。
カンナバロと交錯し肩を痛めたジダン。クリックすると元のサイズで表示します

そして延長戦の後半2分過ぎ、足の筋肉に異常を来たしていたアンリの退場直後、その事件は起きた。私はエリゾント主審に誤審があったとは思わない。ただ、何故選手からの訴えの前に審判が伝えなかったのか?疑問が残った。それに全体に渡って3位決定戦の時の上川主審とは違い、エリゾント主審の表情は強面で固いままだった。上川主審は、イエローカードを出した選手の抗議にも、時には毅然とした表情で、時には笑顔でさとすように、フェイスコントロールをしながら身振り手振りを使い、選手達を落ち着かせていた。アドバンテージを取った時も、大きく両手で示して「アドバンテージを取っているよ」と選手達にPRしていた。サッカーの試合は勿論戦いであるが、喧嘩ではない…あくまでもフェアプレーであるべき…当り前の事であるが、大切な事を選手達に改めて認識させていたように思った。仮説に過ぎないが、もしこの試合を上川主審が担当していたら…私は、選手間の小競り合いも少なく、ジダンの退場劇は無かったかもしれない…と、つい思ってしまった。

ジェディーヌ・ジダンはアルジェリア移民の二世としてマルセイユに生まれた。ジダン独自のドリブルは、既に幼少期から身につけており、マルセイユルーレットと呼ばれていた。左足、右足に関係なく繰り出す巧みなマルセイユルーレットの最中に、相手選手の股抜きや、ヒールパス等を仕掛けてくる為、相手選手には脅威そのものだという。またフランス政府はアルジェリア等の国からの移民問題を抱えており、同じ境遇を克服したジダンならでは…と引退後の政治活動にも期待を寄せていた。1998年のフランス大会優勝の立役者となったジダンは、過去にも熱くなって退場処分を受けた事も何度かあるが、サッカー協会会長就任とか、果てはフランス大統領就任とまで噂される程の人気ぶりだ。決勝前のシャンゼリゼ通りをTVで観たが「シズー、シズー」と大歓声だった。フランスの英雄として尊敬され、世界中のサッカーをしている若者や子供達の目標でもあり、憧れの的なのだ。フランス国内のスポーツ誌・レキップは、社説の中で、「(フランスの)敗戦はそれほど受け入れ難い事ではない。むしろ困難なのは、世界中の何千万人もの子供達に、(ジダンが)どうしてあんな頭突きをしたのか説明する事だ」。と書いている。
クリックすると元のサイズで表示します ベルリンの空を見上げるジダン。

この衝撃的な事件?は、多くの人を悲しませたが、誰よりジダン本人が一番悔やんでいると推察する。決勝戦をTV等で観戦した人は、60億以上と言われている。その決勝の舞台で、有終の美を飾れるはずだった寸前、自らの愚行で、スーパースターとしての現役生活の最後に、汚点を残してしまった。ジダンに何がそうさせたのか?私達はあれこれ想像を巡らせてしまうが、真実はジダン本人のみぞ知る。しかし、何があろうと、プレーヤーとして、決してしてはならない行動だった。ジダンは投票によって今大会のMVPにも選ばれている。その栄誉と「頭突き王」の汚名…。ジダンはこの両極をどう捉え、これからどう行動するのだろうか?名声のある人は、その名声によって滅びるとも言われるが、ジダンには、自分の起した事が如何に多くの人に影響力があるのか?現実から目を反らさず反省し、乗越えて欲しいと思う。樋口廣太郎氏の言葉…「逆境こそチャンス!」。ジダンにもこの言葉を届けたい。ジダンにいつか真の笑顔が帰る日を信じて……。
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2006/7/10

W杯…イタリア優勝!カテナチオの要・カンナバロの活躍に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

クリックすると元のサイズで表示しますイタリアチーム、優勝! 

イタリアのカテナチオ(閂…かんぬき)は健在だった。
そのディフェンスの要であり、
キャプテンのカンナヴァロの代表100試合目は、
W杯決勝戦であった。

その記念すべき試合に優勝という最高の贈り物が着いた。
怒涛のようなフランスの攻撃を、防ぎ続けたカンナヴァロ…。
私は今大会活躍した、それぞれの国のディフェンスの選手達の、
象徴的存在として、心から讃えたいと思った。

クリックすると元のサイズで表示します
身を呈し、フランスの攻撃を凌ぎ続けたカンナヴァロ。

唯1つ、ジダンの退場に至る行為は、
それまで、有終の美を飾ろうと、
懸命に試合をコントロールし
主導権を握っていただけに、とても残念だった。
確かに、イタリア選手の執拗なマークがあった。
イタリアのファールにも、ノーホイッスルだった事が多い気がした。
その時、ジダンの背後からイタリア選手が罵声を浴びせたようにも見えた。
しかし、スポーツマンとしてやって欲しくない事だったと思った。

イタリアチームの栄誉を讃え、
イタリア国歌の歌詞をここに書き留めようと思う。
 
クリックすると元のサイズで表示します 「イタリア国歌」

イタリアの国、
いま目覚めぬ 勝利の女神よ、
いずかた(何方)にありや
わがイタリアは
主のつくりたもう ローマのしもべ
そのうるわしき髪にささげよ、
友よ いざ隊列を組み、死に臨まん
美しき イタリアに召されて
この身 捧げん
 
 
         
          -小学館「伊和中辞典」より-

◎試合の後、肩がずっしり重く、物凄い脱力感が残った。
ジダンの退場劇で、少し後味が良くない…。

詳しい投稿は、改めて書かせて頂きます。


★以下、イタリア在住のスピンさんが、7月4日のコメント欄で、イタリアサッカー界の裏事情?を分り易く書いて下さいました。ご一読下さい。

…前略。
お友だちのパパが言うには「アズーリ(イタリア代表)は、演奏で言えばクレッシェンド(<)。準決勝の頃はフォルティッシモ(ff)、決勝ではフォルティッシシモ(fff)かな?」だって。「イタリアはだんだん強くなって行くよ」ってことだけど、ちょっとそんな気もします。

カルチョ・スキャンダルで、大会前からゴタゴタしてるイタリアのサッカー界。でも、ユヴェントス幹部のペッソットさんっていう元イタリア代表選手の自殺未遂があってからは、アズーリの一体感が増してる感じです。ウクライナ戦の直前なのにカンナヴァーロさんとかザンブロッタさんは、ペッソットさんのお見舞いに帰国していて、ウクライナ戦のあとで、カンナヴァーロさんたちが持っていたイタリア国旗には"Pessottino Siamo Con Te"(ペッソッティーノ、みんなは君と共に居る)って書いてました。トリノのユヴェントスビルの回りには、ペッソットさんの回復を祈るファンが大勢行っているみたいですよ。不正は良くない、でもそれで人が死ぬのはもっと良くない。そんな感じです。

こういう時に意外に頑張るのがイタリア人。あなどれませんよ〜♪
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2006/7/10

ドイツ…4年後に繋がるシュバインスタイガーのミドルシュート。  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

0対0の均衡は、両国ゴールキーパー、ディフェンス陣の好セーブが続き、なかなか破れなかった。特に今大会、初めて登場したドイツのカーンの好セーブが光った。彼のプレー1つ1つに会場からは、大きな拍手が起こった。カーンは、今大会、同じ年のレーマンに正GKの座を譲ってきたが、ベンチでは、大声を出し、チームメイトを力づけていた。カーンの3位決定戦でのスタメン発表は、ドイツ国民を始め、多くのサッカーファンを喜ばせただろう。久しぶりに見せてくれる、その勇姿に大きな期待を持っていたと感じた。カーンもその期待に充分応えていた。試合が動いたのは、後半に入ってから…11分に、21才の若きMF・シュヴインスタイガーが、ペナルティーエリアの外でボールをキープし、フェイントでポルトガルDFをかわして強烈なミドルシュートを放った。更に4分後には低いFKでゴールを狙って、オウンゴールを誘った。そして33分、1点目のシュートより更に鋭い弾道のミドルシュートでゴールネットを揺らした。
クリックすると元のサイズで表示します 全得点に絡んだシュヴインスタイガー。

このシュヴインスタイガー…私には、日本が親善試合で戦った時、加地選手を怪我に追いやった…というマイナスのイメージがあったが、その足前は、なかなかのものだった。今大会、ベストヤング賞に選ばれたチームメイトのFWポドルスキとは、同年。ユース時代からの長い付き合いで、ポドルスキのゴールアシストをする選手としてその名を馳せていた。そして、キャプテンでMFのバラックとは、現在同じバイエルンでプレーしている。大会委員長・ベッケンバウアー氏が、『世界で最も得点力のあるMF』とバラックを称賛すれば、バラックは、『自分の後継者となるだろう」と、シュヴインスタイガーの名を挙げた。バラックに叩き込まれたミドルシュートは、鋭くゴールに突き刺さるだろうと、大会前の予想誌にも書かれていたのだ。2点目を決めた時、興奮のあまりユニホームを脱ぎ、上川主審からイエローカードを出されてしまったという、若さゆえの青さも見せたが、ポドルスキと共に4年後のW杯へ向けて、ドイツサッカー界を担う選手に育つのは間違いないと思った。

ドイツチームは、大会前、クリンスマン監督の若手起用というメンバーの改革に賛否の声が上がっていた。チームとしての完成度もホームの利を生かせるとは言いながら、決して高くなかった。しかし、開幕試合のドイツの得点ラッシュに大会は、急激な盛り上がりを見せ、ドイツチームは、試合を重ねるごとに選手達は成長し、ベテランの選手達は更に円熟味を増して行った。ドイツは惜しくも決勝には進めず、優勝こそ逃したが、大会前、不安視されていたディフェンス陣の好守が目立ち、引き締った試合ぶりで愉しませてくれた。特にGKレーマンの好セーブの数々は、W杯の歴史上に刻まれるシーンとなるだろう。そしてこの試合のカーン…。ドイツには素晴らしいGKが2人いた。レーマンとカーン。この2人の長年の経験を生かした働きぶりと若手の成長が、ホスト国ドイツを3位へと導いたのだと思った。
有終の美・好セーブを見せたカーン。 クリックすると元のサイズで表示します 

カーンは、試合後のインタビューで感謝の意を示しながらも、引退の強い意志を表明した。準決勝まではベンチで、そしてこの試合中は、ゴールネットの前で、チームの選手達を見守り続けたカーンは、ドイツサッカーの伝統が、既に若い選手へと引き継がれつつある事を確信したに違いない。また、この試合の舞台となったシュトゥットガルト出身のクリンスマン監督は、故郷のファンの声援に勝利で応えた。メダル授与の際、クリンスマン監督を抱きしめて讃えたのは、クリンスマン監督が現役時代の監督、ベッケンバウアー氏だった。私はその映像を観て、伝統とはこのように引き継がれていくべきだと痛感した。
クリックすると元のサイズで表示します ドイツチーム・表彰式後の記念撮影で。

4日前、イタリアに破れて、涙を流したドイツの選手達…。モチベーションの維持も懸念されたが、会場の大声援と揺れるドイツ国旗に後押しされて、引き締った試合ぶりを披露してくれた。試合後の表彰式…ホスト国のプレッシャーから解放され、精一杯戦った充実感溢れる選手達の、こぼれんばかりの笑顔が眩しかった。
観客に応えるドイツ選手達。 クリックすると元のサイズで表示します

尚、この試合の主審を務めた上川氏は、好ジャッジを見せた。黄の蛍光色の審判服を着てピッチに立った上川主審は、前半7分に、ドイツのフリンクスに初のイエローカードを出し、選手達のプレーを引き締めた。ファウルの度に、観客にも分かりやすい大きな身ぶりと豊かな表情で、選手とは対話をしながら高揚している気持ちを静めさせた。選手に先駆けて渡された審判メダルを胸に、誇らしげな上川氏の笑顔が輝いていた。Jリーグのジュビロ・磐田の監督経験を持ち、前回大会ではブラジルを優勝に導いたポルトガルのフェリペ監督も、上川主審のジャッジを絶賛したという。敗者側からの賛辞は、とても嬉しいニュースだった。

◎箸休め
観客席に設けられた「RECARO」製の特別シート。そこに座っていたのはミヒャエル・シューマッハー夫婦だった。会場には、F1のチャンピオン「赤い皇帝」と、サッカー界の皇帝(ベッケンバウアー)、小皇帝(バラック)と「皇帝トリオ」が揃った事になった。因みに私の車も運転席だけは、レカロのシートが取り付けてある。(長距離運転も腰の負担が少ないです)。

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2006/7/8

日本人初、W杯3位決定戦で主審を務める上川徹氏…その試合を前に  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

後、数時間経つと、シュトットゥガルト競技場では、アンセムの曲をバックにして、ドイツとポーランドの選手が入場してくる。その先頭には、公式球・チームガイストを持った上川氏と、広嶋氏、金氏(韓国)の姿が観られるのだ。私はあの入場のシーンにはいつも、立毛筋が刺激されて、震えが来るほど興奮する。今から各国からの選りすぐられた選手達が、自分自身と国の誇りをかけて、1つのボールに夢を託して追いかける…。そう思うだけで胸が熱くなって来る。1ヵ月に及んだW杯も残す試合は後2試合…その名誉ある3位決定戦の主審に選ばれた上川氏は、NHKのインタビューで
 「ここまで来ると全ての選手が勝者。勝者達のプレーに笛が吹ける事を光栄に思う」 と答えていた。
クリックすると元のサイズで表示します大会前の主審達…既に約半数は帰国。
前列一番左端が、笑顔の上川氏。


上川チームは、W杯で一次リーグの2試合を担当したが、最初は開幕当日のポーランド対エクアドル戦だった。上川氏も念願叶い、意気揚々とピッチに立ったが今大会の審判の改革の目玉とも言われた、無線交信システムが故障してしまったそうだ。主審と副審2人の声が同時に聞こえ、より精度の高いジャッジを下す為の新兵器がいきなり壊れてしまったのだ。副審の広嶋氏には、雑音と共に「聞こえる?返事ないなぁ」という上川氏の声が聞こえてきたという。結局後半は3人とも外し、自分達個人の冷静な判断だけを頼りにジャッジしたそうだ。この試合のジャッジが好評を得て、掴んだ2試合目のイングランド対トリニダード・トバコ戦では、無線の故障はなくその威力が発揮できたそうだが、上川氏らの、どんなハプニングにも冷静に対応できる事…審判として大切な1つの技量だと思った。
ピッチを走る上川氏…勇姿が間もなく観られる。クリックすると元のサイズで表示します

上川氏が、2試合を担当して、とても嬉しかった事は、試合後に負けたチームの選手が握手を求めてくれた事だったそうだ。敗者から、自分の判定を認めて貰える程光栄な事はないのだろう。上川氏は「世界の大会でも通用するんだという充実感があった」と語っていた。いよいよ3位決定戦…それも開催国ドイツの試合の主審…。この審判に選ばれた事を、メダルで評価するなら銀メダルに匹敵する価値があると思う。今から始まる試合は、日本サッカー界にとっても、歴史に刻まれるべき試合になるだろう。上川チームの偉業を、ここまで勝ち進んできたドイツ、ポルトガル2チームの選手、関係者と同じく、敬意を持って見届けたい気持でいる。入場後、両国・国歌斉唱の後、コイントスをし、両チームキャプテンとの固い握手の後、やがて上川氏の吹く試合開始のホイッスルで、歴史に残る試合の幕が開けられる。

◎箸休め
私は結局、ベッドに入って寝付いても、すぐ目が覚めてしまう状態で、まるで遠足前の子供のようだ。何だか、歴史的瞬間を観られると思うと、胸が躍ってしまうのだ。深呼吸してもう少し横になり「その時」を待とうと思っている。。

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2006/7/7

上川徹主審、決勝Tで笛…9日・ドイツ対ポルトガル3位決定戦  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

国際サッカー連盟(FIFA)は6日、W杯ドイツ大会の3位決定戦のドイツ−ポルトガルの審判員を発表し、日本人審判員の上川徹氏が主審を、広嶋禎数氏が副審を担当する事にが決まった。上川氏は、日本人初の決勝トーナメントのレフリーとして、現地時間の8日、シュツットガルトのピッチに立つ。上川氏はW杯開催前から、決勝Tで笛を吹くのが夢だと熱く語っていた。先月28日、決勝Tで担当する可能性の無い帰国審判も発表になり、残った上川氏らは、自信を持って毎日の発表を待っていたが、回ってくるのは第4・第5審判だけだった。上川氏は、インタビューで「わくわくしながら待っている。いつでも準備してはいる」と話していたが、控え審判ばかりで、この先、出番はないかとも思っていた。思えば準決勝のイタリア対ドイツ戦での第4・第5審判の割り当ては、目の前の試合で敗れたチームが3位決定戦へと回るゆえ、そのチームを観察出来る絶好の機会だ…。あれはこの発表への序章だったのかもしれない。
クリックすると元のサイズで表示します イングランド対トリニダード・トバコ戦
開始前の上川氏と広嶋氏。


さて今大会の審判団は、ここまで62試合を消化して来たが、前回大会に比べるとレベルの向上が明確に伺えるようだ。細やかなミスはあったにしても、オフサイドやゴールシーンをめぐって物議を呼ぶ判定は少なかった。これには、FIFAが今大会から導入したレフリープロジェクトが功をなしていると思われる。当ブログ内で「もう1つのW杯…」として上川氏の記事でも書いたが、従来の選抜起用システムを大きく変更し、大会の1年半前から、研修と選考試験を行い、各種の大会で追跡調査も重ねた上で、各大陸から選抜された主審23名、副審46名の精鋭を採用した。日韓大会までは、200に近い加盟国から、広く主審と副審を招集し、一次リーグでは試合を均等に振り分けた為、力量の差が出来、判定にもばらつきが出た。日韓大会では36人いた主審も今大会では最終テストに合格した23人のみに絞り、少数精鋭とした。

また、同一国か、同大陸出身の主審1人と副審2人が1つのチームを編成したのも今大会初の試みだった。上川氏は、日本の広嶋氏と韓国の金氏と組み、予選リーグ2試合を担当した。複数の知らない審判と組むことによる気疲れや不安感が無くなり、意志の疎通が円滑になっていたという。上川氏は「お互いが補え合える」と言い、広嶋氏は「言葉も通じるし、普段から一緒にやっているので、あうんの呼吸が作れている」と話している。この主審と副審の会話にも、初の試みとして小型マイクとイヤホンを導入され、試合中の情報交換が可能となった。実際に上川氏らが担当したイングランド対トリニダード・トバコ戦で、FKの位置取りの確認をしている上川氏の背後でちょっとした選手間の小競り合いが起きた際、広嶋氏が無線を通して連絡、選手のヒートアップを未然に防いだ。
毅然とランパードにカードを切る上川氏クリックすると元のサイズで表示します

更に勝っているチームの露骨な時間稼ぎは、相手チームの苛立ちを煽り、一触即発の危険性が伴うとし、この遅延行為には厳重な処分が徹底された。この事によって怪我人が減少しただけでなく、試合のスピードアップにも繋がった。副審の広嶋氏の談話によると、サッカーで最も論争が起きるオフサイドの判定も、誤審が明らかに減ったという。年々向上して来た選手達の技術とスピードアップに伴って、オフサイドラインの突破も巧妙化して来た。審判(副審)の重圧も増してはいるが、審判の力量が上がって来ているのも事実だそうだ。

中日新聞の小杉記者は、優れた主審には「嗅覚も優れている」と書いている。優れたストライカーもボールが何処に出てくるか?を嗅ぎ分ける嗅覚があるというが、優れた主審も、選手がわざと倒れこんで相手の反則に見せかけるシュミレーションを見分け、これに伴う小競り合いを防いでいるというのだ。勿論ボールに近い位置でプレーを判定するには、次はどの選手にバスされるか?というような試合の流れを読む必要があるのだ。決勝Tの審判として残った12名の主審と、24名の副審達は、フランクフルトの郊外で、試合で想定されるシーンを再現して対処法を磨くテクニカルトレーニングを繰り返しているという。上川氏も広嶋氏も43才。45才定年制の審判では、最後のW杯となる。2人がジャッジするW杯最後の試合が、開催国ドイツとポルトガル戦だという事にも、大きな意味と敬意を感じる。
クリックすると元のサイズで表示します フランクフルト郊外で、トレーニングを積む上川氏。

ドイツ対ポルトガル戦。ポルトガル絡みでは、対オランダ戦で16枚のイエローと4枚のレッドカードが出された試合もあり、激しい試合になると予想される。また、イングランドのルーニーが一発退場になった件で、C・ロナウドが、ルーニーを挑発、退場後は「してやったり」とばかりにウィンクをした映像が流された為、フランス戦でも、C・ロナウドには大ブーイングが起きていた。上川チームが担当する3位決定戦では、地元ドイツ相手…。ブーイングは更に拍車がかかるだろう。異様な雰囲気の中のジャッジは、けっして容易ではない。しかしどんな罵声や中傷の声にも打ち消される事の無い、大きく響き渡る笛の音と、凛とした態度での試合コントロールを期待したい。この3位決定戦は「日本にとってW杯は終わった」というイメージを吹き飛ばすような、上川氏らの活躍ぶりが楽しみである。上川氏の吹くホイッスルが日本サッカー界の未来へと届くように…。

↓「主審を務める上川徹氏…もう1つのW杯の戦い」↓
↓他、上川氏関係の記事(トラックバックの記事へ)↓
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2006/7/6

W杯、準決勝・ジダンとフィーゴ…ライバルの存在に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

試合終了の瞬間、ジダンは、かすかに微笑んだ。チームメイトがジダンを取り囲んで祝福の輪が出来た。スタンドのファンからは、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が流れ「シズー」(ジダンの愛称)コールが起きた。そして流れて来た「オーシャンゼリゼ」の曲を聞きながら、ジダンは、元レアルの盟友でありライバルでもあった、ポルトガルチームのフィーゴの元へ向った。フィーゴとは、互いにキャプテンとして、試合開始前にも健闘を誓い合った。傍に行くと、フィーゴがジダンを抱き寄せ、何かを囁いている様子だった。ジダンはフイーゴの背中をポンポンと叩き、ユニフォームを交換すると、そのままフィーゴのユニフォームを着て、観客席の方角に向って歩き出した…それは正に威風堂々とした姿だった。
クリックすると元のサイズで表示します フィーゴのユニフォーム姿のジダンとドメスク監督。

準決勝のフランス対ホルトガル戦は、両雄譲らず0対0のまま、前半33分、フランスのFW、アンリが、自陣のペナルティエリアで、ポルトガルDFのカルバーリョに足をかけられて倒され、PKを得た。そして、ペナルティスポットに向ったのはジダン…。ポルトガルのGK、リカルドは準々決勝のイングランド戦で、大会新記録となるPKのセーブを3本成功させていた。それでも臆せずジダンは短い2歩の助走を取り、シュートを放った。リカルドも反応したが、ボールはゴール左へと突き刺さった。結果この得点が決勝点となった。ジダンにとってA代表107試合目のこの得点は、記念すべき30得点目になった。既にイエローカードを1枚持っているジダンは、もう1枚出されると次の試合に出られなくなる。しかし、そんな恐れなど微塵も感じさせず、攻撃だけでなく、守備に於いても体を張ってゴール前を守り抜いた。
互いに讃えあう、ジダンとフィーゴ。 クリックすると元のサイズで表示します 

振り返ると昨年初秋、代表引退をしていたジダンは、ビエラとマケレレから、復帰を要請され、DFのティラムと共に、「レ・ブルー」(フランス代表の愛称)のユニフォームに袖を通した。自分達を慕ってくれるチームメイトの気持と、フランスのW杯出場も危ぶまれるピンチに、復帰を決意したのだ。2人はこの大会を最後に現役引退を決意しているが、一試合一試合重ねて行くうちに、成長していくチームにあって、結局最後の試合までピッチに立つ事が可能となった。昨秋、ジダンが代表復帰すれば自分が控えになる可能性が高くとも、自分よりチームの事を優先し、ジダンに復帰を依頼した、ビエラとマケレレの心根も讃えたい。そしてこのポルトガル戦、MOM(マンオブザマッチ)に選ばれたのは、ジダンと共に復帰したティラムだった。特に後半、ポルトガルの猛攻を防ぎきった功績が評価されたのだ。ティラムは今大会中、W杯最多出場を更新し続けている。
クリックすると元のサイズで表示します ジダン不在中キャプテンを務めたビエラと、感涙にむせぶティラム。

ティラムは、チームの決勝進出決定と、自身がMOMに選ばれた喜びを「代表へ復帰して良かった。34才の私が、W杯を見てその美しさに感動している10才の子供のような気持になっている。決勝戦は今大会が始まる前からの目標だった。」とインタビューで語っていた。更に「決勝の舞台には、夢がある。だから逃したくなかった。もし逃していたら悪夢になっていた」とも語った。8年前の優勝に貢献した、試合運びのコンダクター、ジダン。そして、守備の番人、ティラム…。2人は既に4年前の屈辱を晴らし、決勝戦へと駒を進めた。そして2人の有終の美は、決勝戦の地、ベルリンで、その集大成として飾る事となった。

また、前記した2人と共に、8年前の優勝を経験しているGKのバルテスもここに来て、神がかりな守備を披露した。後半33分、FKを得たC・ロナウドは、不規則な回転をかけてゴール前に飛ばした。そのボールはゴール前で急降下する魔球のようだった。咄嗟にバルテスは、バレーボールのようなレシーブ体勢ではじき、つめていたフィーゴの強襲もバーの上に逃れた。蹴ったC・ロナウドも、ヘディングで反応したフィーゴも見事だったが、バルテスのセーブにも魅了された。しかし、このバルテスも代表入りはしていたものの、昨年2月の親善試合でモロッコの審判に唾を吐き、6ヵ月の出場停止処分になって居り、その間代わりにゴール前を守ったクペが、W杯予選4試合を1失点で切り抜け、国内の評価を高めてしまった。
試合終了後、歓喜のバルテスクリックすると元のサイズで表示します

その後はドイツの「レーマンとカーン」のように正GK争いを繰り広げて来たのだ。フランス国内のサッカー誌のアンケートで、支持率はクペが上回り、正GKにドメスク監督の指名後は、ミスをする度に酷評を受けて来た。だが、逆風を受ける事で強くなったバルテスは、経験に打ち出された落ち着いたセービングで、世界の頂点へ後1試合までと迫った。バルテスはクペから「一緒に頑張ってW杯で勝とう」と励まされて今大会に臨んだ。カーンの激励を受けたレーマンにも思ったが、互いに切磋琢磨して競い合ったライバルの励ましの言葉こそが、ファインプレーへと結びつく原動力になるのかもしれない。(photo by AP)

日刊スポーツの記事によると、上川氏広嶋氏共に3位決定戦の審判に決定したそうだ!
嬉しいです。審判については、また後日書きたいです。
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2006/7/5

W杯、準決勝…イタリア対ドイツ戦(親友中田選手に贈るゴール他)  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

ドイツにとって魔の時間が、延長戦の終了間際にやって来た。後少し、後僅かの時間、守りきれば、PK戦に持ち込める。PK戦になったらドイツが有利だろう…。日本時間の5日未明、固唾を飲んでTV観戦をしていた私も、PK戦になるだろうと思っていた。ところがイタリアの思わぬラッキーボーイが、まず延長後半14分、1本目のシュートを決めた。ファビオ・グロッソ…イタリアの28才のディフェンダーだった。この選手は、決勝T、1回戦のオーストラリア戦で、トッティが決めたPKを得た選手だった。このPK判定には疑惑があった。スローVTRで観ると、オーストラリアのDFは、グロッソに触れていないようにも見え、グロッソのシュミレーションではないか?とドイツメディアは、「寄生虫」呼ばわりしていた。しかしそのバッシングを一蹴するかように、グロッソは、試合開始後119分、コーナーキックを浮けたピルロからのパスをドイツのGK、レーマンが止められないのは「もう、ここしかない!」という位置に打ち込んだ。
クリックすると元のサイズで表示します 決定打となったグロッソのシュート。

グロッソは、今大会、190cmという身長を生かした守備力を買われ、リッピ監督はデイフェンダー・左サイドバックとして起用した。所属していたクラブ、パレルモのポジションではMFだった。イタリア代表の中盤にはトッティやピルロを始めとするスター選手が揃い、出番がなかなかまわって来ない故の起用だった。日刊ゲンダイによると、イタリアの現地サッカー記者は、グロッソの事をこう語ったという。「とにかく、よく走るスタミナ満点の選手。若干、スピードには欠けるが、疲れから後半になると足が止まる選手が多い中、先発しても衰えが無い。監督の信頼も厚く、精神的なタフさがある」。来季からセリエAのビッククラブ、インテルへ、DFとしては破格のオファーでの移籍が決まっているそうだ。リッピ監督に見出されて、イタリアの頑強なDF『カテナチオ』(閂…かんぬき)に起用されたグロッソは、そのリッピ監督の目の前で、恩返しを果たした。
喜ぶグロッソ(中央)とデルピエロ(右) クリックすると元のサイズで表示します

また、121分、試合終了直前のロスタイムに追加点を入れた、デルピエロは、先日の引退表明で日本サッカー界を揺らした中田選手の、元同僚であり、親友でもあるそうだ。プロレス好きで親日家のデルピエロは、頻回に中田選手と食事会をしたほどの仲らしい。デルピエロ所属のユベントスは、同日、セリエAで発覚した不正疑惑に関連し、イタリアサッカー協会の規律委員会が、ユベントスの三部リーグへの降格を申請したばかりだ。監督のリアルマドリー移籍にも伴って、有力選手のユベントス離脱が噂されている。そんな中、デルピエロ自身は、「ユベントス残留」を表明しているという。イタリア代表としては、トッティらの台頭により控えに甘んじる事が多く、この日も途中出場で少ないチャンスを生かした。様々な思いを込めたこのゴールは、ドイツを去った親友・中田選手に届け…とばかりに放ったシュートだったに違いない。

一方、2大会連続の決勝進出を逃したドイツだったが、地元開催の責任を充分に果たすべく、今大会を盛り上げてくれていると思う。この試合も前後半、延長戦に渡って、バラックを中心に中盤を支配し、イタリアの多彩な攻撃の目を摘んで来た。大会前、不安視された若いDF陣も落ち着いたボール処理でゴール前を守った。そして何と言っても、守護神・レーマンの活躍が光った。試合中、決定的なイタリアのチャンスに、NHKのBS解説者が「また、レーマン、またレーマンに阻まれました」と何度も叫ぶシーンがあった。レーマンのプレーには、欧州チャンピオンズリーグで、所属チーム、アナーセルを準優勝へと導き、あのカーンを押しのけてレギュラーになった自信が漲っていた。今でも目を閉じるとレーマンの好守の数々は、その一つ一つのシーンが浮かぶ程に、目に焼きついている。
クリックすると元のサイズで表示します 奮闘空しく破れ、項垂れるレーマン。

今大会のドイツは試合をする毎に、チームとして、まとまって来たように思った。前評判はけっして高くなく、その内部事情は、複雑だった。この試合先発した2トップのポドルスキとクローゼは、共にポーランド出身。オドルコンらアフリカ出身の選手もいる。主将のバラックは、旧東ドイツ出身で、『多国籍軍』とも報じられ、主力となる旧西ドイツ選手らとの溝が埋まっていないとされていた。しかしドイツは、東西の力を結集して開催された今大会の成功を物語るような活躍だった。試合後、ピッチに倒れこむ選手達一人一人に声をかけて励ます、クリンスマン監督の姿が印象的だった。クリンスマン監督は、インタビューでこう答えた。「…前略。大会を通じて、情熱的で攻撃的なプレーを続けたチームを、誇りに思っている」。是非3位決定戦でも、進化し続けるドイツチームの姿を観たいと思っている。
1人1人の選手に声をかけるクリスマン監督クリックすると元のサイズで表示します

◎追記
この試合、第4、第5審判として登場した、日本の上川氏と広嶋氏の姿がTVの画像の中に映し出された。主審として笛は吹けなかったものの、とても名誉な事と感動した。日本のメディアでは、予め彼らの情報について、皆無だったのは残念だが、この経験を日本サッカー界に反映して欲しい…と願っている。
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