
坂本龍馬
情報の連鎖を見ると、われらが敬愛する「坂本龍馬」は、武市半平太の使いで長州へ出かけ、久坂玄瑞と会った時に、話の中で、きっと師・松陰から学んだ『柳子新論』の骨格と趣旨を玄瑞から聞いているものと、(勝手ですが)推測することができるのです。
そして、時の流れを敏感に感じ、土佐に帰国後の脱藩に結び付き、龍馬をして胎動し始めた勤皇倒幕思想のうねりの中に身を投じさせる一因になるのです。
河田小龍から「ジョン万次郎の西洋体験や、機械、文明、政治体制などの知識」を得、攘夷よりも産業経済の発展に人生の方向を嗅ぎ取り、江戸では、仕組んで千葉重太郎を誘い込み、会いに行った勝海舟の思想の先見性を取り入れた龍馬はやはり、時代の寵児なのか、いや潮流に乗った大きな龍なのでしょう。
長州には長井雅楽(うた)という家老がいる。この長井雅楽というのは土佐の吉田東洋と同じく佐幕派であり、藩では実力者なのである。主義は「幕府を助けて大いに貿易を行い、西洋の文物を取り入れ、船を造って五大州を横行し、国を富ませたのちに日本の武威を張る」というものである。
龍馬は「幕府を助けて」というくだりを除けば賛成なのである。この主義の「幕府を助けて」に変えて「朝廷のもと日本が一致して」と置き換えれば龍馬の考えそのものになるのである。
山縣神社
参考文献
筑摩書房・日本の思想17 歴史読本・第18巻8号 講談社山岡荘八著・吉田松陰 新潮文庫山本周五郎著・明和絵暦・夜明けの辻 山県神社誌 飯塚重威著・山縣大弐正伝 成美堂出版徳永真一郎著・吉田松陰 山県大弐著・柳子新論 川浦玄智訳注

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