1156年、崇徳上皇+藤原頼長+vs後白河上皇+藤原忠通の対立がおこり、それぞれに武士が駆りだされ源為義+平忠正vs源義朝+平清盛と源平合い分かれての対戦となり、その結果、後白河側が勝利。敗北側の源為朝が超人的なヒーローに描かれていますけれども、これも一種の判官びいきなんでしょう。
保元の乱後、政治の実権を握ったのは信西でした。鳥羽法皇の崩御により院政は一時中断し、表面上は後白河による天皇親政が始まりました。
しかし「中継ぎ」天皇である後白河に親政を実現するほどの権威はなく、天皇を支えるはずの摂関家も乱の過程で一気に弱体化していました。
天皇の乳母の夫であり、かつ鳥羽崩御後の政局を一手に取り仕切ってきた信西が、官位の壁を乗り越えて一躍政治の表舞台に飛び出したのです。
乱の直後から、大規模な荘園整理令や神人悪僧統制令などの新制の発布するとともに、内裏や朝儀の復興による宮廷秩序回復に勤めました。
そして、この信西の国政改革を財力・武力の両面から支えたのが、清盛および平氏一門でした。
武力面では京中での武装停止のほか、荘園整理や悪僧の統制など諸国の治安維持に活躍。
財政面では、保元二年(1157年)の内裏造営において、清盛が播磨国の知行により仁寿殿(紫宸殿に次ぐ規模を持つ殿舎)を造営したほか、経盛が淑景舎、教盛が陰明門、頼盛が貞観殿を造営するなど一門そろって主要殿舎を担当、北廊(内裏北側にある廊下)担当の義朝との格の違いを見せつけました。
参考文献:五味文彦著・平清盛 吉川英治著・新平家物語 元木泰雄著・平清盛の闘い 池宮彰一郎著・平家 安田元久著・後白河上皇 下向井龍彦著・日本の歴史07 武士の成長と院政 関幸彦著・武士の誕生〜坂東の兵どもの夢

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