かつ鳥羽崩御後の政局を一手に取り仕切ってきた信西が、官位の壁を乗り越えて一躍政治の表舞台に飛び出したのです。
乱の直後から、大規模な荘園整理令や神人悪僧統制令などの新制の発布するとともに、内裏や朝儀の復興による宮廷秩序回復に勤めました。
そうした突出した手法の信西による政治の再構築では、さまざまな波紋を呼びこした。
当時後白河上皇に取り入って寵を得ていた藤原信頼は、近衛大将を希望したのを信西に阻止され、これもまた信西に恨みを抱いていた。そして、この信頼と義朝が手を結び、さらに二条天皇による天皇親政を策していた権大納言藤原経宗、検非違使別当藤原惟方を抱き込んで、反信西、反平家のクーデターが勃発した。
平治元年十二月九日、清盛が熊野詣でに出かけて京都を留守にしている虚をついて、信頼・義朝の軍勢は三条烏丸にある院の御所を急襲した。
参考文献:五味文彦著・平清盛 吉川英治著・新平家物語 元木泰雄著・平清盛の闘い 池宮彰一郎著・平家 安田元久著・後白河上皇 下向井龍彦著・日本の歴史07 武士の成長と院政 関幸彦著・武士の誕生〜坂東の兵どもの夢

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