平氏興隆の礎を築いた人物
「平家物語」は、平維盛の嫡男六代が斬られることをもって、「それよりしてこそ、平家の子孫はながくたえにけれ」と、壮大な叙事物語の幕を下ろします(「灌頂巻」を除く)。六代とは変わった名前ですが、これは平家興隆の礎を築いた平正盛から数えて六代目に当たるとして名付けられた童名です。六代の曾祖父には、位人臣を極め初の武士政権をうち立てた清盛という巨人がありながら、平家興隆の基礎を作ったのは、あくまで清盛の曾祖父正盛であると、平家の人々は考えたわけです。
それほどまでに平正盛という人物は、「偉大な祖先」として一門の人々に強烈に意識されていたのでした。
正盛は伊勢平氏の“祖”といわれる平維衡から数えて四代目にあたります。維衡以降、伊勢平氏の一族は次第に京の政界へ地歩を固めていきました。正盛の祖父正度は越前守となり、父正衡も兄弟の駿河守維盛や下総守季衡と同様、出羽の国守を務めたほか、検非違使として京の治安維持や御所の警備に当たりました。
正衡については、伊勢国において東寺の末寺法雲寺の所領荘園に対して濫行におよんだうえ、東寺の使者を責め侮ったという記録が残っていることから、伊勢地方に所領をもつ有力武士だったことがわかります。このように、維衡から数代は京に進出していたとはいえ、目立たない在京武士にとどまっており、栄達にはほど遠い状態でした。
もっとも、それは正盛の代になってからもあまり変わりはありませんでした。時は白河上皇による院政の草創期(院政開始は応徳二年〈1086年〉)。正盛も他の一族同様、京の政界において特に注目される存在ではなく、官もわずかに隠岐守に過ぎませんでした。受領といえども山陰隠岐の国守では、とても経済的な余裕はない。そのため当時の正盛は、父祖伝来の伊勢・伊賀の所領経営に勤しんでいたのが実情のようです。
参考文献 上横手雅敬著・源平の盛衰 梶原正昭編・平家物語必携 和田英松著・新訂官職要解 五味文彦著・平清盛 吉川英治著・新平家物語 元木泰雄著・平清盛の闘い 池宮彰一郎著・平家 安田元久著・後白河上皇・平家の群像 下向井龍彦著・日本の歴史7武士の成長と院政 関幸彦著・武士の誕生〜坂東の兵どもの夢 竹内理三著・日本の歴史6武士の登場

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