七月十三日、お盆の宵、軍治は自ら門口に出て迎え火を焚いた。
さだが特に念入りに作った肴に、酒さえ添えてあった。
「何時の間にか強くなったの」
病後の軍治は、武門の盃に酒をついでやり、自分の膳の上の銚子ごと彼に押しやったりした。
二、三杯の酒に臉を紅らめている軍治にひきかえ、武門はけろりとしていた。
「兄上の兵学講義を、待ちあぐねて入る者がおりますよ」
武門が鴫焼き茄子を頬張りながら言った。
「それよりお前はどうだ?」
軍治はにやりととした。それに答えるように,武門もにやりと笑うだけだった。
夕食を済ませると武門と共に、すぐ近くの慈雲山龍華院へ行くことにした。外出は春以降初めてであった。龍華院は村瀬家の菩提寺で、亡父、亡母の墓に詣でるためであった。
大きくはないが、整った寺の横に雑然と並んでいる墓地は、高燈籠や七尺ほどの高さの竹に掲げられた小燈籠で賑わっていた。だが、それは華やかそうであっても、寂然とした眺めであった。
晴れた夜で、樫の木の上に、満月が皎々と輝いてい、月光と燈籠の灯りが微妙な奥深い感じで交じり合っていた。
軍治は、両親の墓碑に何時までも額づいている武門の後姿を眺めて、限りない愛しさを汲み取っていた。
それは、両親の人並みはずれた武門への愛情を思い出したからである。その愛情に比べれば、自分の彼に対する態度は、げんせいであり批判的であって、愛情には乏しいもののように思われた。武門が額づいている姿には、両親への限りない思慕の心が溢れている。それだけで自分への抗議にさえ思えてきた。
昌樹や軍治に対する父の態度は峻厳そのものであった。それは山縣家の血や、村瀬家の家格へかけて恥ずかしくない人間たらしめたい意味もあって、人間練成的な愛情であった。それも愛情には違いなかった。ただその愛情に父自身の欲求が過度に加味されていたのである。だが、、父は武門にまでそれを続けることのできない好人物であった。 続く
石井計紀著 黎明以前より転載

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