「いったい、どうしたことでござろう?」
昨夜から幾度か繰り返した言葉が、また新発田の口をすべった。しかし、結局彼にしても、軍治らにしてもそれがすべてであった。
「死人に口なしでー」
やや皮肉を帯びて、軍治が呟いた。
軍治も昌樹も、眼が血走っていた。
「酒の上では?」
さだが、日頃の酒の嗜み方を思い出して言った。
「他所で飲むほどのゆとりはない筈」
軍治である。
「素直な武門殿が殺害したというのは、よくよくのこと、曲直は既に解かっていもうす」
柴田はきっとして言った。
「曲直よりも、武門は自首すべきです。それが残念ー」
軍治の言葉は厳正で、誰も一言も差し挟むことができなかった。
「斎宮殿は、斬られた新三郎とやらをご存知かな?」
やがて、柴田がぽつりとたずねた。
「その親も承知していもうす」
「どんな人柄かな?」
昌樹は寂しく微笑した。
「今のところ、私の口からはー」
「いや、これは不躾でー」
柴田は軽く頭を下げたが、昌樹がこたえないのが、一つの答えであるような気もした。
代官所のある飯田新町の名主なら、代官を笠にきることも間々あるに違いない。日頃の彼らの仕種が推察されぬ事はなかった。
「武門には、自首するだけの勇気があるだろうか?」
昌樹が、誰にともなく言った。
「自首して欲しいですがー。草の根を分けても探し出して、自首させたい」
軍治の眼は怒りにもえていた。
「わしにも、よう解かる」
柴田は深くうなずいた。
「罰はばつとして受けるべきだ。それに条理を釈明しなければ、武士道が立ち申さぬ」
「確かに。今のところでは一方的で、罪だけが目立って、部門殿には不利だ」
「斬る条理があって斬る。それは止むを得ない。人を斬って自分の命が惜しくなる腰抜け武士では、父上に対しても済み申さぬ。いや、われわれの先祖の血に申し訳が立ちもうさぬ」
軍治はそう言って語を切った。
村瀬家は買った家格だが、血には自信があった。だが、山縣三郎兵衛昌景の血も、永い年代埋もれていれば無力になるのであろうか?軍事は他人事ではなく自分の血を疑った。また一方、この事件は山縣昌景の血への試練であるような気もした。こそこそ逃げ隠れしている惨めな武門の姿が髣髴としてき、軍治はむらむらと胎が立ってきた。
(所詮は百姓の血でござろう)
軍治の眼からは、そのときになって涙が溢れてきた。
「病後のこと、やすまれては?」
柴田は気づかった。
「何もありませぬが、柴田様もご一緒にー」
さだが膳を運んで来た。
「もう、そんな時刻でござったか?」
柴田は暮れはじめた庭先に初めて気づいた様子であった。
昨日と同じように、暮れ六つが鳴っていた。
(今ごろー。昨日のいまごろ)
誰の胸にも、そんな思いが湧き、武門の孤独な姿が浮かぶのだった。 続く
石井計記著黎明以前より転載

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