2011/9/22  12:09 | 投稿者: ikko




最近、ハマって観てる韓国のドラマです。
不思議なくらい今自分が思っていること、行動していることとかぶったテーマを持ち、考えさせられるドラマです(もちろん私のは大変微力ですがw)

韓国の芸能高校でデビューを目指して勉強中の若者の物語ですが、今回お話したいのは音楽の(ドラマの中では「歌」ですが)伝達力について。
学校で歌のテストがあるんですが、それに点数をつける先生の評価基準について生徒達が相談するシーンがあります。
カラオケマシーンを使って1曲歌うのがテストで、そのカラオケマシーンの点数と評価する先生の点数は異なります。でもその公開テストを聴いている生徒達はその先生の点数に毎回納得するんです。

ではその先生の評価基準とは?何だと思いますか?(^o^)


その先生は生徒の歌を聴いて審査しているのではなく
会場で聴いている生徒達がどれだけ歌っている生徒のほうに意識を向けているか?
を見ている


というのが正解です。つまり

より聴衆を惹きつけた歌に良い点をつけていた
というわけです。


これはクラシック系の先生方には思いもよらない基準でしょうね☆と感じました。

それを100%肯定すべきと言っているわけではありません。100%聴衆に迎合しようとしては自分の音楽を見失ってしまいますから。逆にエンタメの世界では、こっちのパーセンテージはかなり高くなりますよね。聴衆に受け入れられなければどうしようもない。

自分が納得いく音楽をリスナーの皆さんと共有するためにはどうしていくべきか

これがこれからの大きな課題です。
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2011/9/1  10:38 | 投稿者: ikko

海女の玉とり伝説  香川県さぬき市・志度寺真珠島

藤原鎌足の娘が唐の皇帝に嫁いでいましたが、兄藤原不比等が亡父藤原鎌足の供養のため奈良興福寺を建立すると聞き、唐に伝わる面向不背(釈迦三尊が刻まれ、どこから見ても背を向けない)の宝珠を奈良に送り届ける途中、志度浦の沖で龍神に襲われてしまいました。

藤原不比等は宝珠を取り返すため、志度に来て、志度浦の海女と通じ一子房前をもうけます。
藤原不比等は海女に事情を打ち明け、宝珠を取り返すことができれば房前を藤原家の後嗣にするといいました。

海女は子供の出世のためならと命綱を腰に巻き、海底に潜っていきました。
見事に宝珠は取り戻しましたが、龍神に覚られた海女は自分の乳房をさいて、龍神の嫌う血を流し、宝珠を乳房の中にかくして死体となって引き上げられました。

藤原不比等は、海女の真情に心を打たれ、海辺に墓をたて堂宇を建立して「死度寺」としました。

藤原不比等は心を残しながらも、宝珠と共に房前を伴い、奈良の都へ帰って行きました。

それから13年後、持統7年藤原北家の祖となった房前は、僧行基を伴って志度浦を訪れ、母供養のため千基の石塔を建立したという。
今も、その千基の石塔の一部といわれる石塔20基が残っています。


志度寺にはこのような伝説が残っています。
以前『竜神の玉』というオペラになり、国民文化祭でも上演されましたよ。ただね〜、この不比等が悪いんだあwww奥さんいるのに、最初から玉が目的で海女さんに近づき、子供作る仲になっちゃって、その子供の出世をえさに、命がけで海女さんをもぐらせるんですよ〜(- -;)
まあ、私が思うに藤原房前の出自が問題になったときもっともらしい話を作った・・・ってことですかね?





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2011/9/1  10:30 | 投稿者: ikkomusic

何故この音楽ブログに…とお思いでしょうね。
地中美術館で一番気に入った作家はジェームス・タレルで、彼の作品にはジョン・ケージと共通点があるなあ、と思った訳です。
例えば…「制限(美術で言えば切り取られた面、或いは一定の空間。音楽で言えば時間)」は設けるものの、その中で主役となるのはあくまで受け手である、という作品作り。最初はそういう鑑賞の方法に気づかないで鑑賞を始めた受け手も、その作品に触れているうちにわかってくる、という点も共通していますね♪
また、意外な素材を扱う点。二人共、単に楽音かそうでないか、絵の具か光か、という違いではなく、もっと組合わせている使い方のように思いました。
タレルのは地中美術館の作品だけでなく、家プロジェクトの中の「南寺(みなみでら)」のも必見、要鑑賞ですよ(^o^)/是非どうぞ。
Ikuko Ishimoto

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