「祇園囃子」というスペシャルドラマはどうだろうと思って、まあ見てみた。
京都がドラマの舞台になっているというだけで見たわけです。
まあ、見たばかりだからざっと書くだけにしようかな…。
脚本が有名な倉本聡なのだが、私はこの人の作品をまったく見たことがない。
「北の国から」の脚本家らしいがそれをまったく見たことがない。
また、このドラマは石原プロ作品なのだが、私は「西部警察」も、「太陽にほえろ」もまったく見たことがない。
まあとにかく、テレビドラマを見ない人間なのでしょうがない。
生涯で見た日本のテレビドラマって、片手で数えられるくらいだ。
「古畑仁三郎」「砂の器」…あとは思い出せない。というか、多分もう見ていないだろう。
それくらい見ないのでどうにもこうにも。
ただ倉本氏の脚本は、さすがに良く出来ていた。
ぐいぐいと引っ張ってゆくストーリーテリングが上手い。
「ほそなんとか桜」の家紋が出て来るあたり、なんかもう、脚本のお手本という感じで、もの書きならばぜひ、参考にしたいテクニックではないか。
欲を言えばもう少し早くこの伏線を出したいところだが、精一杯だったのだろう。
だが、京都の人間として言うならば、このドラマ、もう、あまりにも初歩的なミスがあり、これは致命的であり、すべての京都人が見過ごすことは出来ないと思う。
ラスト、十朱幸代が、「祇園祭が始まりましたなあ」…と言うのだが、何ともかんとも…。
7月17日の朝に、十朱幸代と渡哲也の娘の結婚式がある。
祇園祭、山鉾巡行の当日だ。
十朱幸代が渡哲也を待つのがその夜。
ならば、京都の人間が「祇園祭が始まりましたなあ」というセリフなど、絶対に言わない。
「終わりましたなあ」なら言うだろう。
山鉾巡行が終われば祇園祭は終わり、と思う京都人は90%以上と思う。
それに、祇園祭が始まるのは7月1日だと、京都人は思っている。
(巡行は朝のうち。昼過ぎには終わる)
どうして、最後の最後にあんなセリフを入れたかなあ、と思う。
セリフにどうしても祇園祭、と入れたかったのだろうけれど。。
どうしても入れるなら、「今日は祇園祭どしたなあ」だろうか。
それと、まあ、ありていに言えばこれは別に京都が舞台でなくてもちっとも差し支えなかったと思う。
芸妓さんだって、京都でなくてもいるだろう。
どうしても京都と言うなら、せっかくの祇園祭の宵山、山鉾巡行の日という設定なのだから、それを生かすべきだろう。
ともにちっとも生かせていなかった。
鉾の巡行に逆らって走る主人公、などのベタな場面が欲しかったなあ。
あと藤原紀香が宵山をうろつくなどの配慮があっても良かった。
でも、宝ヶ池の全面協力があったらしく、国立国際会館と宝ヶ池プリンスホテルの詳細な描写はさすがに臨場感があった(笑)。
宝ヶ池プリンスホテルは西武グループの所有で、売却されるらしいが、石原プロは堤オーナーと接点があるのかも。
そして、良かったのは十朱幸代の京都弁。
ほぼ、100%の出来。紀香よりも良かった(関西人のくせして)。
「そんな、せっしょうやわ」
という呟き。あれは、素晴らしかった。
京都の人は、せっしょうやわ、とよく言う。
それをふまえた上での、あの震えた声の響きは、見事だった。
このドラマは、「カサブランカ」のオマージュなのか。
あの映画を見たことはないけど、ラストが何となく…。
あと、舘ひろしが、渡哲也のことを先輩かとか聞かれて、それ以上です、なんて答えていたので、期待してしまった(笑)。
だって、学生時代にしばらく一緒に暮らしていた、という設定なんだもん。
でも、渡に舘ではちょっとキツイか。
ざっと、と思っていたわりにはどんどん書いてしまった。

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