というわけで無事ブログが戻って来た。良かった良かった。
その間に京都に雷が来襲、K新聞には「雷公、大暴れ」という見出しが。
K新聞の見出しはセンスが良いのう。
今日のニュースには、シュレッダーで幼児が事故というのがあった。
社会性を忌避している私であるけれども、ひとこと言ってみよう。これが最後ということにして。
昔、中学か高校の時の英語の先生にシュレーダーという人がいて…、という話は関係ないのでした。すみません。
シュレッダーは私も持っている。手動式でハンドルをぐるぐる回すやつだ。
家庭でもこのようにシュレッダーを使う人が増えているのは、それは昨今の事情を顧みると、まあ仕方ないと言えるかもしれない。
メーカーは、幼児が機械を使うことを想定していなかった、と発言したが、それは当然のことだろう。
2歳の幼児が指を切断したという事故は痛ましいけれども、これをメーカーの責任にしてしまうのはあまりにも自己中心的なように思う。
幼児が家庭にいる時には、細心の注意をしなければならないのは基本だろう。
その年齢の子供はなんでも触りたがるし、ましてやシュレッダーが紙を切っている所を見たら、子供は機械が紙を食べていると思うだろうし、近寄りたくなるのも無理はない。
だけど、やっぱりそれは、親が注意をして子供を見て、機械を使わない時にはフタをするとか、フタがなければ自分で布の覆いを作って被せるとか、それくらいのことはしないと。
メーカーの責任を問うなら、それらをしてから、と思うのだが…
京都でも、子供(1歳7ヶ月の幼児)を会社に連れて行って、会社のシュレッダーで怪我をしたという事件があったらしい。
大体そんな小さな幼児を会社に連れていくのからしてヘンだし、記事では分からないが、子供にシュレッダーを使う所を見せていたらしい。それで子供が手を伸ばして挟まれたのだろう。
そんなの、完全に親の責任じゃないだろうか。
普通は、幼児が触って危険なものや、触れられたくないものは幼児の手の届かない所において下さい、というような注意書きがあり、子供の手の届かない高い場所に置くものだが、シュレッダーを高い所に置いたら使えない。
昔はこんな便利な機械がなかったから、親は子供がそれで怪我をする心配もしなくて済んだ。
だけども、便利な世の中になればなるほど、危険も増大するのだ。
機械でお金をやり取り出来るようになれば、それを悪用して盗まれる。
便利さと危険は隣り合わせ。
便利さを手に入れた分だけ、危険ということを常に認識していなくてはならないのだ。
そういう世の中になっているのだ。
それがいやなら、子供が幼児のうちは、シュレッダーなどというやばい機械は家に備えない、という対処法しかないのでは。
昔はそんな機械はなかったのだし、書類はハサミで切るとか。
私の父は、いらない書類などは年末に庭で焼いていたが、最近は焼くことは禁止なのだろうか。

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