「新・世界の七不思議」に清水寺が候補として挙がっていることが、新聞に載っていた。
しかし、この「新・世界の七不思議」というのは誰が決めて、いったいどの組織がそれを募集しているのだろう。謎というかかなり怪しい。
ウェブ上で募集しているとかいう話であるが。
各国の人のウェブ投票で、最終的に七不思議が決まるらしい。
そのほかの候補として、万里の長城とか、エッフェル塔、タージマハールなどがあがっているという。
万里の長城は七不思議に相応しいと思う。でも、エッフェル塔はないだろう。
あんなもののどこが不思議なのだろう。普通に建設すれば出来るものではないのか(違うのか?)
それに比べればはるかに清水寺の方がマシだと思うが、でも、清水寺より投入堂の方が本当はふさわしいのではないだろうか。
どの県にあるのだったか忘れたが、とにかくあれは不思議だ。どうやって作ったのか、あれこそ分からない。
ずいぶん前の新聞に、この投入堂の修復が行なわれていて、ついに完成したという記事が出ていた。今年(2006年)になってからだと思うが、もしかしたら去年だったかもしれない、記憶があやふやだ。
その時、修復作業をした人は命がけだっただろうなと思った。
べらぼうだっただろうなと工事の人たちの勇気に感嘆した。
記事では確かに、工務店の人が、誰も怪我することがないようにとだけ念じながら、誰も死ぬ者がないように、細心の注意を払って作業をしたというようなことを言っていたように思う。
あのお堂は多分、修行のために作ったのだろう。
あそこへ行くことが修行なのだ。
多分、役行者のような行者が切り立った崖を見て、あそこは人が滅多に行けるものではない、あそこへ命がけで行くことはきっと修行になるに違いない、あそこにお堂を建てれば良い修行の場になる、と、閃いたのだろう。
そして、宮大工にあそこにお堂を作ってくれと無心した。
閃いて、作ってくれと頼むのは簡単でいい。でも頼まれた大工さんはたまったものではなかっただろう。
そんな命知らずなべらぼうなことが出来るわけがない。
しかし、行者は食い下がった。
あそこへ命がけでお堂を作ることこそが修行なのです。仏様への功徳になるのです。
そうかき口説かれて大工はついに決心した。
功徳を積むためにも作ろう。そうだ。命を賭けて、命を差し出しても作ろう。
実際の工事では、死人も出ただろう。
宮大工の大事にしていた一番弟子が犠牲になった。
嘆き悲しむ宮大工。けれども工事を辞めることは出来ない。何としても完成させるのだ。愛弟子の命を無駄にしてはならない。
そのようにして、投入堂が作られたのだった。
(仮説)
まあ俗説では何たら行者が神通力で、お堂を放り投げてあの崖にすぽんとはめ込んだと言われている。
だから投入堂と名がつけられているのだ。

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