「ルードウィヒ」を見た。
と言ってもお風呂に入ったり、よそ見したり、用事をしながらだからちゃんと見たわけではないけど。
4時間、真面目に見た人はチャレンジャーだ。
私は映画館でちゃんと見たのだが。
3時間版と4時間版を複数回見ている。
ヴィスコンティ・フリークだからな〜。
それで、4時間版を特別上映で見終わった時に、若い男女数人の観客とすれ違い、男性がつまらなくて寝てしまった、と言っているのを聞いた。
「ベニスに死す」も、気持ち良くて寝てしまったという人を、複数知っている。
だからヴィスコンティは、一般人には受けが悪いのだなーと、私の中で何となくトラウマがあるのだ。
ヴィスコンティ映画は、多分オカマに受けるのだと思う。
ヴィスコンティ本人が同性愛者ということもあるが。
仮屋崎センセにも受けていたし。いや、その、私自身、自分はオカマではないかと時々思う。
私の感覚がオカマだと思うのだ。
私がもし生まれ変ったとしたら、絶対オカマになると思う。
そんなわけで、ヴィスコンティ映画はわりと特殊な感性を持つ一部の人にだけ熱狂的に指示される映画、と言えるのだろう。しくしく。
「ルードウィヒ」一番の問題は、イタリア語吹替えだということだ。
オリジナルは英語である。英語で撮影され、俳優は英語を喋っている。
シナリオは多分イタリア語で書かれたのを英語に翻訳して使われたと思う。
ヴィスコンティ映画は国際俳優(英国、ドイツ、イタリア、フランス等)を使うので、共通語の英語を使うのだ。
「ルードウィヒ」は72年に作られ、翌年くらいに公開されたと思うが、日本ではその時輸入されなかった。
製作に莫大なお金がかかり、そのせいで輸入買い付け額が高くなり、けれどもヴィスコンティ映画は買い付け額に見合うほどヒットする訳ではない。
それで公開が見合わされた。
日本で最初に公開されたのは1981年だったと思う(独立系、エキプドシネマ)。
その時、イタリアで公開された3時間バージョンを輸入した。
それがイタリア版だったのでイタリア語に吹き替えられていたのだ(ヘルムート・バーガーの声はジャン・カルロ・ジャンニーニ)。
その後80年ころにイタリアで映画祭があり、その時に特別公開されたのが、再編集された4時間のバージョン。
しかしこれもイタリアでの公開だったのでイタリア語に吹き替えられていた。
ついにヘルムートの本物の声を、「ルードウィヒ」では聞くことが出来なかったのだ。
では、オリジナルの英語バージョンはないのかというと、ある。
アメリカで公開された世界公開バージョンだ。
でもこれは、ワーナーの意向で2時間半に短縮された短縮版であった。
短縮されすぎたためか、アメリカでの評判はさんざんだった。
日本での初公開の時のタイトルは「ルードウィヒ/神々の黄昏」。
4時間版が「ルートヴィヒ」なのかもしれない。
私は初公開時の時のタイトルを略して「ルードウィヒ」というのが癖になっていて…。
もちろん、どちらのバージョンのビデオも持っている。映画館でも両方何度も見ている。
確かに「ルードウィヒ」は冗長な映画だ。そして、明らかに退屈なのだ。
だけども、だらだらと長い、ということが必然である映画もある。
だらだらとしていることに意味があるのだ。
「ルードウィヒ」が2時間半の映画であったら、私はこんなに入れ込まなかったと思う。
だらだらと退屈な長い時間をかけてしか描けない世界もある。
ヴィスコンティは恐らく、この映画に24時間くらいかけたかったのではないだろうかと思ったりする。
おそらく、NHK大河ドラマのように1年かけてじっくり描く、のがヴィスコンティの最も望む形だったかも、と。
ビデオ、DVD10枚組「ルードウィヒ」とか。
ああ、そんな映画だったらどんなに嬉しいだろう!1日中でも見続けていられるのだから…
と、ヴィスコンティ・オタ爆発の私であった。

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