あるある大事典とかいう番組で、納豆ダイエットを捏造していたというニュースがあった。
案の定、新聞のテレビ欄を見たら、8チャンネル以外のテレビ局がこの番組の捏造について、鬼の首を取ったように取り上げていた。
久しぶりに過激心を刺激する恰好のネタが出て来たので、ちょっと過激なことを書いてみる。過激が嫌いな人はご注意を。
私はあるある大事典という番組を一度たりとも見たことがないし、どのような番組であるかまったく知らなくて、また納豆は食わず嫌いで、生涯で食べたことがなく、これからも一生食べることがないであろう。
このように、この事件に対しては私は語る資格も何もない。
ないのだが、この番組が納豆ダイエットを取り上げたことによって、納豆が売り切れ状態になっていたということを初めて知った。
テレビ番組を見て、それを信じて納豆を買う人がいる、ということに驚いた。
あほちやう〜と、末成由美のように突っ込んだ。
というか、納豆を食べてダイエットをしようというような、さもしい根性に呆れた。
と、同時にこれほどテレビを見ている人が多いということに驚いた。
商品の売り上げを左右するほど、テレビというものが影響があるということには、恐怖さえ感じる。
そして、テレビの情報を何の吟味もせず無反省に信じる人にも恐怖する。
だって、昨今のスポーツ放送ひとつを取ってみても、テレビのひどさは分かっているはずなのに、こうも簡単にテレビ番組に影響される人がいることが情けなく浅ましい。
この問題は、テレビを作る側と同じくらい、見る側の問題でもあるだろう。
テレビを見る側、つまり一般大衆である。
一般大衆が問題なのは、「信じたいことを信じる」という事実があるからである。
テレビは、その大衆の欲望を具体化したに過ぎない。
大衆、とくに女性の大半は、ダイエットに興味がある。彼らのうち、テレビを見るのが好きな人は、楽してダイエットをする方法を紹介する番組があれば、喜んで見るだろう。
食べてダイエットが出来るなら、もっと喜ぶ。
だからそれが事実でなくても信じる。いや、彼らはそれを信じたい、だから信じるのだ。
くだんの番組は多分、だから、信じたい人が見る新興宗教的な番組なのだろう。
私はダイエットにこれっぽちも興味がないので、この騒ぎにはあほちやう〜、という感想しか出て来ないのだ。
まあ、テレビに乗せられて納豆買い漁って売り切れやて〜、アホや
という感想である。
ダイエットについては、別にじっくりと文章にしたいという思いがある。

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