新聞(当然、「京都新聞」というローカル新聞だ)に、「ファッションドールの流行」という記事が出ていた。
ボークスのSDとブライスについての記事で、東京のドールズパーティーを取材していた。
思うに京都新聞の独自の取材ではなくて、どこかが書いた記事のたらい回しというか、使い回しだろう(京都新聞独自なら、京都のイベントを取材するはずだから)。
その記事では、人形が、子供のおもちゃではなく、大人の女性の趣味になっていると紹介している。
SDを買う人は20〜40代の女性だとか、SDには15万人の愛好者がいるとか。
記事の中身は、人形者ならもう了解済みの、何年も前から知っていることで目新しい事実はないのだが、記事の中身が問題なのではない。
こういう人形についての記事が、一般の、ローカルな新聞にさえも載ったということが、重要だ。
人形が、子供のおもちゃであり続けていたらこういう記事は載らない。
人形が大人の間でブームになっているから、こういう記事が書かれる。
だんだんと、大人の間での人形ブームが、世間一般の間で認知されて来たということだろうか。
これは主にボークスのスーパードルフィーが、これだけメジャーになって来たということだろう。
SDがメジャーになるということは、それがさまざまな問題を含んでいる現在、良いことなのか良くないことなのか、それが分からない。
これらの人形ブームが女性を中心にしていることから、メイド喫茶やら、コスプレやらのオタク文化と一緒くたにされていないだけマシだとは思う(その記事を読む限り)。
女性の間のブームであるから、世間では、韓流ブームとか、ジャニオタあたりと同列に見られているのかもしれない。
私が憂えるのは、ボークスの抱えている問題だ。
こうしてSDが有名になればなるほど、ボークスの危うさが増大していくことだ。
有名になることと、それが良い商品であるということは同じではない。
少なくとも、何の問題もない良品だとは到底言えない、と思う。
商品そのものも、そして売り方にも問題が多すぎる。
有名になることで、今の形…即ち今の商品のあり方、今の商品の売り方が良いことなのだ、とボークス側が思ってしまうのではないか。それが恐い。
そこでふんぞり返ってしまって、自分たちのおかげで人形ホビーがメジャーになっただの、自分たちが頑張ったから一般に認められただのと自画自賛して、何の反省もしなくなるのではないか。
ユーザーの求めることと正反対の方向へ走り続けるのではないか。
私がなぜボークスの人形を買わないかといえば、買うチャンスがないから。
欲しいと思った時に、その商品がない。
そんな売り方をしているメーカーが、まともとは到底思えない。
そして、そういう客に対して、少しでも商品が行き届くようにと努力をしているとも思えない。
私はこのことを何回も言って来たし(言ったつもりだが…)、ほかの人もさんざん言っている。
少し、冷静に考える能力のある人間なら、誰でも思っていることである。
それを、新聞に取り上げられるほど有名になれば、自分らがブームを引き起こしたのだ、とメーカーはさらに有頂天になって、新聞に取り上げられたというだけで、自分たち(のやり方)が正しかった、と勘違いしてしまう。
客の望みを叶えられないのであれば、そんなメーカーはメーカーとして失格だ。
メジャーになったというのなら(そう言って喜んでいるなら)、それならそれで、メジャー商品らしいノーマルな流通のあり方に変えて行くべきではないだろうか。
新聞はそれが素晴らしいから取り上げるのではなく、単に話題になっているから載せるだけだ。
オタクであろうがメイドであろうがコスプレであろうが、流行っていれば取り上げられるのは自然なことで、それが良いものであろうと良くないものであろうと関係なく話題には乗る。そこを勘違いしないで欲しいものだ。

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