NHK、BSでちょっと前「眠狂四郎」シリーズを放映していた。雷さまのこととなるとひとこと言わずにはおれないよ。
このころの大映は、…というより大映映画はこのころで終わるのだけれど…、本当に素晴らしかったと、何度も言ったことをまた言ってしまう。
私は大映が生きていた頃を殆ど知らず、ただ、京都駅前にステーションキネマという大映映画館があったのは何となく覚えている(ってそれでじゅうぶんだ)。
私たちが日本映画で見ていたのは東宝映画で、大映は何となくエッチという噂があった。
「羅生門」や「雨月物語」などは確か大映なのにな。
それから時は流れ、ビデオ時代になってから大映映画を見てみたら、その色の美しさにびっくりしたのだった。
私たちが見ていた東宝映画のカラーは、とてもきたなかった。
そして、それが日本映画のデフォルトだと思い込んでいた。
当時、外国映画ばかり見ていたから、たまに日本映画(東宝の)を見たら、その色彩と声(音)のひどさに驚くことが多かったのだ。
東宝は、当時フィルムはフジカラーを使っていた。
フジカラーの映画フィルムの発色はろくでもなかった。
基本色というものがなく、どの色も同じ階調で出すものだから、散漫で、目に痛く、色が汚らしく見えたのだ。
(多分青を基調としていたのかもしれない。青がメインだと赤の発色が良くない)
後年、60年代大映の映画を見て、日本映画の色はこんなにきれいだったのかと驚いたのは、東宝映画を日本映画の全てだと思っていたからだろう。
大映の映画の赤が美しい。そして黒が美しい。
「眠狂四郎」を見ていたら、その赤と黒のコントラストが目に飛び込んで来て、否が応でもこの映画を作る人々の美意識の高さに気付かされてしまう。
さらに構図が美しい。
音楽があまり入っていない。
ストーリーを語り過ぎていない。
和服を着た女優の立ち居振舞い、しぐさが美しい。
眠狂四郎のストーリーを追うよりも、そのような映画手法に見入り、浸ってしまうのだ。
いかに大映と言えど、録音技術だけはよろしくない。だからセリフは聞き取りにくい。
市川雷蔵の朗々とした台詞回しは笑える聞き物ではあるが、全部聞き取れないのが残念だ(私の耳が遠いのか)。
そしてこれだけは事実としていつも思うことだけれど、市川雷蔵は殺陣がヘタだ。
彼は時代劇の代表選手として、大映の看板スターだった訳だけれども、でも私は雷蔵の殺陣はすごくヘタだと思っている。
現代の木村拓哉だとか、ジャニ系の人たちや、現代俳優の方がよっぽど上手な気がする。
雷蔵は腰が座ってないし、腕の振り方が奇妙だ。切られ役の人と呼吸を合わせていないのではないかとも思ったりする。
狂四郎の円月殺法も、敵役で出ていた天知茂の方がうまいような気がする。
基本的に雷蔵は、殺陣などの運動系は苦手だったのではないだろうか。
私は雷さまのファンではあるが、ヘタなものはヘタだと思う。
いつもあの殺陣を見るたびにちと見苦しいと思うのだが、他の雷蔵ファン(自体があまりいないかもしれないけども)はそうは思わないのだろうか。
それとも私の殺陣の見方がまずいだけかもしれないが。
ともあれ大映映画といっても私の見ているのは雷蔵のものと「大魔神」くらいなのだが(「兵隊やくざ」も大好きだ!)、それだけを見ていても大映美術のすごさはじゅうぶん伝わって来る。
誰かが、当時の大映のことを「普通がすごい」と言っていたけれど、至言だ。
当時の大映では、あれらのセットは日常的なもので、小道具も大道具も、普通に作り普通に用意され、特別なものではなかった。
現在でそれを再現しようとしたらどれだけの労力が要るか、それを思うと大映の映画は骨董品のようなもの?

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