終った…。外相会議。
京都は狭いから、市の上空にヘリが飛ぶと、どこででもヘリ音が聞こえるのでその道中のうるさいこと。
京都は今は観光のオフシーズンなので、観光客はあまり多くないが、その代わり5月ころから修学旅行のシーズンなので、最近は町で修学旅行生をやたらに見かける。
外相会議にかぶった修学旅行生がいたらちょっと気の毒なことだ。
本サミットが京都で開かれなくて良かった、もしサミットが7月にあるなら祇園祭とかぶってしまう。
そうなったら京都市内はもう大騒ぎどころではないかも…と思っていたら、京都の財界の人たちはまだ京都サミットを諦めていなくて、8年後には是非よろしくと各国の外相たちにアピールしたらしい。懲りない面々だ…。
知事の山田ちゃんが、8年後には大統領や首相となってまた(京都に)来て下さいと挨拶したという。
何をか言わんや…。
それはそうと、フィレンツェの大聖堂で京都産大の学生が落書をしたのがニュースになった。
フィレンツェの大聖堂って、サンタ・マリア・デル・フィオーレ、…あの有名な「花の聖母寺」のこと?。
あのフィレンツェの象徴として有名な、あれ?フラ・アンジェリコだったかの壁画のある?
えらい恥さらしなことをしたもんだ。
この前、立命大生がやはり落書をしたのをこのブログで話題にしたと思う。
最近の大学生は随分程度が低いようだ。
というか、私はどうも落書という行為に関してすごく敏感なようだ。こうして何度も取り上げてるのだから。
それと言うのも、おそらく落書という行為が「幼稚な自己顕示」だという思いがあるからだと思う。
しかし落書は今に始まったことではない。
イースター島のモアイにも日本人の落書があったそうだが、鳥取県だか島根県だったか忘れたが、絶壁に建てられている有名な国宝のあの「投入堂」の、あのお堂にも夥しい落書があるというのを、何かで聞いたことがある。見たのだったか。
断崖絶壁にへばりつくように建てられているお堂だから、滅多なことでは行けない。命がけで行かなければならない。
そんな所に落書をしてある。
こんな困難な場所に辿りついた、という記念に書いたものなのだろう。
今では投入堂は確か人数制限か、限られた時にしか行けないようになっているようだから、昔、自由に行けた時に書かれたものだ。
昔から馬鹿はいたのだ。
落書きをすると、ただでさえ細い、そして古いお堂の木材が弱るらしい。
てめえの記念に書くな、このエゴイストのとんちきが。
と怒りたくなるが、前に東大寺の大仏についての番組をNHKで放送していたことがある。
その時、大仏の背中(後ろ)の真上から大仏を見る、という試みがあって、大仏の後ろのやぐらにカメラが入り、番組のレポーターがそこから大仏の裏がわを見た。
やぐらというか、大仏の後ろの狭い建物の中の、開いている窓のようなところから大仏を見下ろす。
その、足場の組まれたやぐらに、これまた夥しい落書がしてあるのだった。
私は大仏の背中よりも、カメラが偶然にとらえたその落書の方に釘づけになった。
この大仏の裏側は滅多なことでは行けない。特別な機会にしか行けない。
けれど来たことのある人が、そんな所に来た記念に書いたものなのだろう。
てめえの記念に書くなこの野郎、と怒りたくなった。
カメラが必死で落書を避けて映そうとするが、私の目はその見苦しい落書を見逃さなかった。
辿りつくのが困難で、滅多に行けない場所だからこそ、「記念に」思わずそこに落書をしたくなるのかもしれない。
記念に書いて、何がどうなると言うのだろう。
年を取ってから再びそこを訪れて、若い時に馬鹿なことをしたなあと感慨に耽るために落書きをするのか。
それとも、あとから来る人に見せるためなのか。
見せてどうするというのか。
どうも人のこの心理というものは不可解だ。
記念というなら、普通は、滅多に行けない場所に行ったという証拠を持ち帰るのが普通ではなかろうか。
即ちお土産を買うとか。
ここまで考えて、エベレスト山に登ったらそこに日の丸を置いて来るとか、南極大陸へ行って日の丸を置いて来るとか、月へ行って星条旗を置いて来るという類いの「記念」のつもりなのかもしれない、と思うに至った。
そう思うと、落書きが、ますます「幼稚な自己アピール」以外の何物でもないことがよく分かる。
自分と、人類の偉大なことを成し遂げた人とを同類に考えるなよ愚か者。
幼稚なというか、幼稚園児そのものだ。
くだんの産大生はいたく反省しているという。
反省するくらいならしなければいいのに、かっこの悪い。
でも、彼らは落書きをすることがそんなに悪いとは思っていなかったのだろう。
大聖堂には他にも各国の人々の落書がある。だから自分たちも書いても良いと思ったのではないか。
落書が犯罪であるとすら思っていなかったのだろう。
しかし犯罪だとか言う前に、自分の程度の低さが露わになる落書をしたらかっこ悪いとか、恥ずかしいと思う心がないのが気になる。

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