六道珍皇寺はその名の通り、六道の辻にあるお寺で、昔は葬送の場だった。
だからその周辺はなかなか面白い。
珍皇寺自体はものすごく小さいお寺だが、でもそこもなかなか面白い。
私の家から行くには、結局歩くしかない。
京都駅から、東大路を通る206系統で清水道で降りると、わりとすぐ近くだ。
だから、東大路通に近い。
でもだからと言って、京都駅まで歩いていってバスに乗るのもなあ…(反対方向に歩くので)、というわけで、五条通を歩いてゆく。
行ってみると、「京の夏の旅」のひとつに指定されていて、特別公開期間であり、定期観光バスで、団体が2つばかりごそっと来ていた。
それで狭い本堂が、見たことがないほどぎっしりと人で混み合っている。
拝観料は600円。
解説がついていて、京都検定で一級を取ったかのような感じのおっちゃんたちが数人いて、解説してくれる。
珍皇寺には以前にも非公開文化財特別公開時に行ったが、その時は学生の若いボランティアが解説していた。
だが、その人たちは言うことを暗記し、それをただ一生懸命暗唱しているだけのようだったのに比べ、今回のおっちゃんたちは年の功なのか、喋るのが実にうまく、まるで語り部のように面白く語りかけてくれる。
思わず話に惹き込まれる。
でも、話があまりにも上手いので、絵を見るのがおろそかになってしまった。
おっちゃんの話が終わると、皆いっせいに次の間に移動して、自分でゆっくり絵を見る暇がないのだ。
定期観光バスの団体さんは、あんな風に解説だけを聞いて移動してゆくのだろうが、ちゃんと頭に入っているのだろうか、と、心配になった。
おっちゃんによると、六道珍皇寺はもとは真言宗であったが、現在は建仁寺に属する臨済宗の寺だと言う。
これだけでかなり驚いた。
建仁寺と珍皇寺ではあまりにもテイストが違う。
おっちゃんは真言宗から臨済宗に代わった、そのいわれをも実に上手に語ってくれたが、どういうことだったかは、実際に珍皇寺へ行って、解説を聞いてみてほしい。
と言っても京都の人以外ではおいそれとは行けないか。
で、お目当ての「熊野観心うんぬん図」は、やはりあった。
掛け軸で二枚(ニ幅というのか)あった。
数年前に見たのは思い違いではなかった。私の記憶も捨てたものではない。
江戸初期のものと江戸後期のものである。ひとつは指定文化財になっている。
おっちゃんが、あたかも、この絵を掲げて絵解きをして諸国を巡ったという比丘尼そのままに流暢に図の絵解きしてくれ、大満足した。
もっともっと聞きたかった。
六道珍皇寺は、これだけではなく、閻魔大王の像や、小野篁(たかむら)の像、本尊の薬師如来(重文)などがあり、さらに小野篁がそこから地獄へ通ったという伝説のある井戸が、見学者の興味津々。
とにかく、解説のおっちゃんに舌を巻いた今回の見学だった。
ある部屋の展示の前で、名前を忘れたが、何とかいう武士の名前とその人物関係図を示して、その人と足利義政との関係を説き、そこから珍皇寺が、有名な応仁の乱と関連してゆく、その歴史のダイナミックな展開を分かりやすく説明していて、さすがだった。
それはとても込み入った話で、おっちゃんもこの話は聞かないで良いです、3分経ったら出て行って良いです、と話の前に念を押す。
それくらいややこしい話なのだ。
でも、そう言われたら、意地でも聞こうと思うよね。
こんなところでおっちゃんを埋もれさせておくのは勿体無い。
「熊野観心十界図」を手に、全国行脚してその才能を日本じゅうに知らしめてはどうか。
テレビにも出て、その流暢な話で、歴史をとうとうと語る。
歴史の語り部として、今様比丘尼としてきっと評判になるはず。
本堂に展示してあった絵は、ほかに昔の珍皇寺の境内図(迎え鐘が今とは異なる場所に描いてある)、幽霊図(作者を確めなかった)、地蔵菩薩を中心とした三幅対など。
あと、中興の祖の図など。
珍皇寺を始めとした「京の夏の旅」は9月15日までだ。

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