姪がまだ結婚する前、「容疑者Xの献身」の単行本を面白かったのでと言って私に渡してくれた。
だいぶ前のことだ。
姪がそんなことをしたことは今まで全然なかった。
その本をタダでくれたのか、それとも貸してくれたのかすらよく分からなかった。
いつまでとか期限を言うでもなく、ただ本を渡してくれたので、自分はもう読んでしまって、いらないのでくれたのかもしれない。
せっかくくれたので読んでみようかと思い、ページを繰ったら、主人公のだるい出勤風景が続き、挫折しそうになった。
さらに読むと、水商売上がりの女が別れたぐうたら亭主に付き纏われているという描写が続き、いっそうだるくなり、そこで読むのを中断してしまった。
そのうち姪は結婚し、本を返さないまま、読まないまま月日が過ぎた。
最近この作品が文庫化され、なかんずく映画化されるというので、そう言えば、という感じで思い出し、今度こそ読んでみようと思い、今度は最後まで読んだ。
視点がすぐにころころ変わるのが、はじめ良くないと思ったのだ。
「容疑者X」ははじめ高校教師の視点、次に水商売上がりの女の視点、さらに警視庁の刑事の視点、探偵の視点という風に、短い間に視点がものすごくころころ変わる。
視点があまり変わるのは良くない小説だと思っているから、そういう意味では読みにくい、と感じても無理なかったと思う。
――――――以下、ネタバレはしませんが、ひょっとしたらデリケートに言及していることがあるかもしれないので、これから「容疑者X」読もうと思っている人はこの先を読まないで下さい。――――――
だが根本的には、この作品はある大胆なトリックが使ってあり、そのワントリックによって全体が支えられているという、ある点では推理小説の王道を行く作品でもあった。
本のキャッチコピーには、「人はどこまで人を愛せるのか」というような、ウエットな文句が書かれているが、確かにそれは間違いではないだろうけれど、それよりは、いかにも大胆なトリックが使われていることの方が私には驚きだった。
東野圭吾という人の作品をこれまで読んだことは一度もないし、これからもあまり読もうと思わない。
あまり自分の好みではないという予感がする。
読み進んで行くうちに物理学者の探偵がガリレオ先生と呼ばれている描写があり、ガリレオって、そう言えばテレビで何だかやっていたような気がする、あれが東野という人の原作だったのか、これはそのシリーズのうちのひとつなのか、と気がついたくらいだ。
私は推理小説は好きだが、ベストセラーは嫌いというか読まないので知らないのだ。
ミステリーに関しては、何度か言ったことがあるように、本格もののパズラーが好きで、情や愛憎などが絡む情緒連綿たるものは基本的に好きではない。
殺人事件を現実に即して考えたら鬱々としてしまう。
だから物語に於いてはからっと乾いたものの方が割り切って考えられるので、その方が好ましいと思っているのだ。
東野のほかの作品がどのようなものか、したがって良く分からないのだけれども、何となく愛とか情だとかが絡んでいそうだ。
ただ「容疑者X」は、少なくともワントリックのために献身的な愛という「感情」を使ってあって、トリックの成立のためにはそれが必要な描写であって(主人公の容姿なども)、そういう点が新鮮だった。
そのトリックがあまりにも大胆で非現実的過ぎるので、それをいかに読者に納得させるかが、この作品の要になって来るだろう。
「容疑者X」はベストセラーになり、このミスの一位になり、直木賞を取り、映画化もされた。
そういう点からすれば、これだけの支持を集めたのだから、読者を説得せしめることに成功したと言っても良いのではないだろうか。
でももちろん納得出来ないと言う人だっているだろう、とは思う。
普通の思考回路を持っている人なら、この主人公のような手段は取らず、水商売母子に自首を勧めるだろう。
それが最も真っ当な方法だし、考えられる最良の方法だ。
でも主人公はそうしなかった。出来なかった。なぜか。そこから物語が始まる。
そこが、説得のポイントになる。
なぜ出来なかったかと考え、想像を巡らすことも、物語を読むという行為のひとつだろう。

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