忌野清志郎さんが亡くなった。
…。
前に闘病から復帰して、復帰コンサートをした後、再発したことは知っていた。
だから、もう新聞に名前が出るなんていうことのないように、そんなことのないように、ひたすら祈っていたのだが。
再発しても治る人もいるし、病を抱えながら戦い続ける人もいる。
だからきっと大丈夫だとある時は思い、でももしかしたら悪い結果になるかもしれないとも思い、その可能性は半々かもしれない、などと思ったりもしていた。
だけど、その悪い結果になってしまい、新聞の記事を見た時は、まさか、というよりは、ああ、やはり駄目だったか…、とうとうこの時が来たのか、と心臓がどきりとした。
昔から日本の音楽が苦手で、まあはっきりと言うと、きらいだった。
小さい時から洋楽ばかり聞いて育ったから、吉田拓郎から始まってJポップに至るまで、ザードも宇多田もきらい、というより聞かない。
というか名前もろくに知らないのだ。
何て言ったっけ、ビーズ…だったけ。
そんなに日本のポップスに無知だった私がRCサクセションを聞くようになったのはなぜだっただろう。
ある時、雑誌に乗っていた清志郎氏の写真を見て、まるで、唐十郎の状況劇場の再来だ、と思ったことがあり、多分それは、RCを、音楽と言うよりは演劇的なイメージで見ていたからだろう。
それからある時、やはり雑誌か何かで「雨上がりの夜空に」の歌詞を知った。
オー、雨上がりの夜空に流れる
ウー、ジンライムのようなお月さま
こんな夜にお前に乗れないなんて
こんな夜に発車出来ないなんて
清志郎の詞は素朴でシンプルだ。
小学校の子供が作ったような詞だと思う。
だけど、本当に子供では作れないことは分かっている。
子供のようなナイーブな感性を持った人にしか作れないのだろう。
「雨上がりの夜空に」の、ロックだというのに"お月さま"という言葉を選ぶ感性に、私はノックアウトされた。
雨上がりの空を見上げた時に、雲の切れ間に散りばめられたダイヤモンドや、ジンライムのようなお月さまを見ることが出来る感性に、感動した。
RCサクセションのコンサートには何度か行った。
清志郎は、まるでステージが彼の住まいであるかのように、ステージ上で、生き生きと、自然に振舞っていた。
そこが、そこだけが彼のテリトリーなのだと思った。
いいかい、聞きたいことがあるんだ。イエー。
愛し合ってるかい。愛し合ってるかい?
私には愛し合っている相手はいなかったが、イエーと答えた。
普段コンサートなどへはほとんど行かない。
だけど、そんな孤独な私でもその時は孤独を忘れた。
コンサートで、歌の合間に語りを入れるのが上手な歌手の人は多いだろう。
でも清志郎のあの語りは、語りではなく、そのまま歌だと思った。
アメリカのブルース歌手のように、語りにもひとつの「型」があり、そのままそれがパフォーマンスになっている。
清志郎氏の中で、もっとも惹かれる部分は歌声だ。
彼のあの声、発音、歌い方、イントネーション、すべてに惹かれるが、中でも声が好きだった。
それは言葉では言い表せない。
今思うと、あの声は宝石なのだった。暖かく、素朴だった。
RCは解散し、それから随分時が経った。
忘れていたと思っていたのに、なぜこんなに辛いのだろう。
写真入りの新聞記事。
そんなの見たくないと思っていたことが現実になった。
辛くて二度とそこを開けない。

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