京都高島屋で開催されている浅田真央の衣装展に行ってきた。
初日で、人はいっぱいいたが十分ゆっくり見られて、予想以上に沢山の衣装が展示してあった。
まだ幼いころの伊藤みどりのおさがりの衣装から、ソチオリンピックのフリー衣装まで…
見ていると、ああ、そうだった、あの時はあの音楽だったと思い出しながらいろいろな思いが駆け巡る。
楽しい思いではない。
浅田真央がいかに苦労をし、苦しい、悔しい思いをして来たか、それが衣装とともに思い起こされるのだ。
彼女は、15歳でグランプリファィナルを制してから、圧倒的な実力でトップに居座り続ける存在のはずだった。
それが、そうはならなかったのは世界的な「真央つぶし」のせいである。
度重なるルールの改正は、真央をピンポイントで狙ったものだった。
特に、セカンドループの回転不足判定は、あからさまだった。
バンクーバーフリーの時、キム・ヨナは3度ダブルアクセルを飛んだ。
ダブルアクセルは、なぜか点数があげられ、そしてヨナのとんだジャンプには露骨な加点が付いた。
バンクーバーの時のヨナは加点で優勝したようなものである。
真央は、バンクーバーで、自分のジャンプの加点が少ないことから、加点の取れるジャンプを飛ぶ意識し、一からジャンプを見直した。
何という、選手だろう。
どんなに下げられても、屈辱を受けてもめげない。
自分を見直し、そしてさらに向上していこうとする。
自分に不利なルールの中で、こんなにもめげることなく戦いに臨んでいった、まだ20歳になるやならずのか細い女の子が。
バンクーバーの時、トリプルアクセルを二つ入れることにしたのは、苦肉の策だったと思う。
トウループ・ループの3-3を入れられない状態で、ヨナに勝つ秘策だった。
タラソワは、見事だったと思う。
そしてSPにもアクセルを入れるという決断も、真央がいかに金メダルを欲しかったか、という気持ちの表れだろう。
ショートが2位になった時、私は目を疑った。
当然1位のはずだった。
バンクーバーは、はっきり言って仕組まれた試合だったのだ。
どうしても真央を勝たせたくない。
それが韓国マネーと世界のフィギュア界が結託してあのような結果にした。
私はそう信じている。
真央の「鐘」の衣装を前に、そんな恨めしい思いが湧き出て来る。
美しく、かわいく、夢のような衣装を前に、私の思いは残念な、無念な思いばかりが駆け巡る。
苦労したね、あの時は大変だったね。
あれは悔しかったね。
もちろんトップをとった時もあったが、それさえも大変な苦労だったねと、真央のネガティブ部分ばかりが思いやられる。
トリプルアクセルがいかに難度の高い技か、いかに真央がそれを誇りにしていたか、それにかけていたか。
とくに「真央つぶし」が始まってから、それにかけるしかなくなっていって、墓穴を掘っていったこと。
真央は、大変な戦いを世界に向けて、あのきゃしゃな体でぶつかっていったのだ。
衣装を見て、ほとんどそんなことばかりを考えていた。
でもそればかりではない。
エキシの衣装も展示され、楽しい思いをさせてくれた。
エキシも含めてほとんどの衣装が置いてあったのだ。
メダルもあった。いろんな大会でもらった金メダルだ。
そしてこの展示会は京都がファイナル。
真央が舞妓さんに扮してポーズを取っているパネルもあった。
それは文句なくかわいい。
何枚もあって、白川でポーズしている絶妙の写真もあった。
等身大のソチの真央と舞妓真央の間で記念写真が写せるサービスがあって、列が出来ていた。
全国の高島屋であった展示会の真央を応援する寄せ書きのパネルが展示されていて、京都でも描くことが出来たのだが、もうびっしり書き込まれていて、私が書くことは出来なかった。
寄せ書きを見て、真央は改めて日本中で愛されているのだと思った。
彼女は私が思っているよりずっと遠くにいるアイドルなのだ。
たった23歳で、それだけしか生きていないのに、彼女は日本中に知れ渡り、そして日本人の愛を受けている。
それで十分じゃないか。
それで、もう彼女はトップだ。
それでも、私は彼女がいかに世界と戦い、苦しんで来たか、日本中の人に知ってほしい。
彼女は本来ならずっと、世界のトップに君臨し続けた人であったのだと。
追記
文中のトウループ・ループの表記は、フリップ・ループの誤りでした。
ヨナのルッツ・トウループより難度の高いコンボです。

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