祇園祭前祭りの山鉾巡行があった。
今年は台風がちょうど巡行の日に直撃して、どうなるかと、何日も前からやきもきしていた。
巡行は雨天決行、大雨強行ということで、ただ暴風が来ると困る。
それで、巡行当日朝5時半に、京都市に暴風警報が出ていないことを確認して例年通り巡行を行う、と決定したものという。
雨ならばいくらでも出来る、のだという。
その山鉾連合会の言葉に感心した。
祇園祭の心意気というか、よほどのことがない限り中止はしないという鼻息というか、そういうものを頼もしく思った。
関西のテレビでも、山鉾巡行が中止されたのは、応仁の乱の時と、本能寺の変と、禁門の変と、太平洋戦争の時、そして阪急地下鉄工事の時のみと紹介されていた。
応仁の乱までさかのぼるのはさすがに京都である。
その頃から祇園祭山鉾巡行は行われていたのだから。
だからこそこれは京都の誇りであり、ちょっとやそっとで中止にはならないのだ。
そして、順延とか日を改めて、というのもない。
行うか、中止か、どちらかなのだという。
そして、雨風など天候の不良で中止されたことは歴史的にないのだと。
ますます中止にはできない。
だからあのような大雨の中で決行されたのだろう。
私は今年も宵宵山、宵山にも結局出かけず、祇園祭には何も参加しなかった。
テレビで巡行を見ていただけだ。
宵山も悪天候だったため、人手はいつもより少なかったという。
ということは、割とねらい目だったのかもしれない。
巡行の日も悪天候のため人手は例年より少なかった。
それでもテレビで見る限り、四条河原町交差点の辻回し地点は人が多く連なっていたし、それなりに人は多かった。
あらかじめ予定されていて、遠くから来ている人もいたのだろう。
その人たちには残念な巡行になったが、めったにない経験にもなっただろう。
ただ、鉾を曳く人たちや、巡行列に参加した人たちは大変だっただろう。
本当にお疲れ様でした。
テレビでは四条通しか映さないが、巡行はそれから御池通、新町通まで進む。
全部終わるころには午後になる。
午後になると余計に雨が激しくなっていたので、さぞかし大変だっただろうと思うと心が痛む。
今年は本当に大変な巡行になってしまったものだ。
よりによって巡行の日の17日に台風が一番接近とはね…
各山鉾では、前掛け、見送りはなし、山によっては御神体も飾らず、周囲を飾るはずの懸想品もなくただの黒幕を施しての巡行だった。
蟷螂山では肝心のカマキリの姿がなく、山から降ろしての巡行だった。
放火鉾は稚児人形なし、そして見送りのバクダッドもなし。
函谷鉾は前掛け見送りなし。
それもこれも残念なことだった。
菊水鉾だけは、四面の懸想品が新しくなったのでそれを飾り、見送りに、以前前掛けで使っていた鯉のタペストリーを使っていたのが頑張っているなあと思った。
あそこで、鯉の前掛けを持って来たのが偉い。嬉しかった。
それと船鉾の先頭の飾りのヘキ(架空の鳥)がむき出しにされていたことにも感動した。
嵐にもめげずに頑張った。
こういう頑張りはやはり雨風の中嬉しいことだった。
まあ、そのほかの懸想品や豪華な見送りは、来年の楽しみということにしよう。
今年は巡行が行われた、というだけで特筆すべき年だ。
後祭もあるし、そこでは確か鯉山が後祭だったはず。
鯉山は重要文化財の前掛けや見送りや懸想品があるのでそれは見られるはず(会所飾りで。巡行には複製品が飾られる)。
今年だって、まだお楽しみはこれからだ。
KBS京都の生中継は、珍しいことに時間を延長して行われ、巡行の最後まで放送し、おまけに河原町御池での辻回しまで見せていた。
えらい。
やれば出来るではないか。
これからは延長と言わず、11時半くらいまで時間を使っての巡行中継をお願いしたい。そうしてください。お願いします。
それから、雨の中、お稚児さんが凛々しく注連縄切りをされていたことにも感動した。
お稚児さんは、各種行事がある中、雨の中での遂行も多かったのだが、終始落ち着いていてりりしかった。よく頑張った。
拍手を送りたい。

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