梅原猛の名が出たので、彼の著書について書きたくなった。
かの人は(出身地は忘れた)大学に入る時、東大か京大か迷って京大を選び、それ以降、ずっと何十年も京都に住み着いている。
西田幾多郎とか、和辻などの哲学者に惹かれたのだろう。
住んでいる所は左京区(若王子)ということで、やはり京大出身の人らしい良いところに住んでいると思う。
長い間京都について書いたことはなかったが、その彼がついに書いたのが「京都発見」。
これは大作で、全10巻くらいあって、ハードカバーで、書店で見るとずらりと並んだ姿が壮観で、威圧感があった(今も並んでいるかは知らない)。
もともとは新聞連載だったらしく、京都の様々な伝説地を巡るような企画だったかもしれない。
だいぶ昔、私の住んでいる所の近くのお寺か神社に、梅原猛が調査のためにやって来るらしい、と聞いたことがあった。
実際やって来て、いろいろ調査して帰って行ったらしい。
それがこの本のためだったようだ。
私が読んだのは10巻くらいあるうちの1巻か2巻くらいなので(ハードカバーだし値段高いし、そんな買えないし)、まああまり大した感想は言えた義理ではないのだが、とにかくよくこれだけ調査したものだと感心する。
町のものすごく小さな、目立たない、見過ごしてしまうようなお寺に、かつて都にいた天皇や法王の気配をしっかりと見逃さず、食いついて、その彼らのかつての姿に思いをはせる。
本の最初に、何十年と京都に住み、その恩恵を受けていながら(京都から奈良は近いからね)、これまで京都について何も書かずに来た、これまで世話になった京都について、恩返しのつもりで書いてみたい
というようなことが書かれてある。
梅原氏は他府県から来て京都に住み着いた人であるから、何十年と住んでいてもこのように素直な京都に対するリスペクトが出来るのだろう。
住んでいる場所にもよると思う。
ガチガチの京都人なら、完全に「京都中華思想」に染まっているから、こういう本は書けない。
タイトルこそ「京都発見」となっているが、むしろ日本の歴史発見、歴史探求の本である。
京都に対して非常にフラットで、京都だからといった偏った見方がされていない。
あくまで日本の歴史の上に紡ぎ出されて来た、歴史の断片を、それぞれの寺や訪問地から探ってゆく。
さすが京都はすごいですね、というような態度とは無縁だ。
あるいはだから京都は駄目だ、ということもない。
それが心地よい。
つまり、「京都という過剰な自意識」とは何の関係もなく成立している本ということだ。
この連作が、梅原猛の著作の上でどのような位置を占めているのか、それは分からないのだが、さすがに探究者だけあって、奥の奥まで入って極めようとする、あくなき探求心に心を衝かれた。
「隠された十字架」に対する感想はこちら
http://isabeau.fc2web.com/bookb/horyuji.htm
「水底の歌」については下の項の2番目に書いた
http://purple.ap.teacup.com/applet/isabeau/200912/archive

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