コヴァルスキー、以前はコワルスキーと書いていたけれど
本当はコヴァルスキーと書くのが正しいみたいなのでそうする…。
ヨッヘン・コヴァルスキーのことを語るには、
自分的にはまず、映画「カストラート」から
始めなくてはならないのだが、
いずれ語りたいのだが、まあ今回はさくっと飛ばす。
飛ばして、いきなりコヴァルスキー体験を語り出す。
このことは、私の根幹?に関わることで、自分にとってはとても重要な
一件だったので、どうしても自分を見つめるために書いておく。
ちょっとだけふれておくと、
彼の出演したオペラ関係のレーザーディスクの解説で、
「オペラ歌手とはとうてい思えないほどの、
スラリとした映画スターのような風貌」
と書かれている。
まあそういう人だった。
ミーハーだ。
完全にミーハー。
当時オペラのテノール歌手と言えば、
太ったおっちゃん、というのがたいていだったから、
コヴァルスキー(彼はカウンターテノール/アルトだったが)
のような容姿はそらもう目立ったろう。
当然日本でも大人気で、(もう大人気だったさ)
何度も日本に来て、リサイタルなんかも開いていた。
私は追っかけをしていた。
倉敷、大阪、横浜、
リサイタルがあると聞けば、
自分の出来る限りのおしゃれをして、
新幹線に乗って、どこまでも出かけた。
多分ミーハーとして追っかけするのは初体験だ。
倉敷ではシューベルトを歌ったが、アンコールで、
ドミニク・ヴィスで聞いていた私の好きな
「ヴィオレッテ(すみれ)」を歌い出した時には感激した。
いつもヴェルサーチのスーツで決め、おしゃれで男前だった。
東ドイツ出身だというのに。
横浜でコンサートがあった。
日帰りで行ったものか、東京にも寄ったものか、
もう覚えていない。
コンサートが始まるまで、横浜の街を
ふらふらと歩き回っていたのは覚えている。
前にコヴァルスキーのあるコンサートへ行った時、
ファンの女性が、コンサートの終わったあと、
挨拶のあとで舞台上のコワルスキーに近づいて、
何かプレゼントを渡していた。
そんな人が何人もいて、彼に用意して来たプレゼントを
渡している。
それは、コヴァルスキーのリサイタルでは常の光景らしかった。
その光景を見て、私も彼に近づいて、ぜひプレゼントを
渡したいと思った。
なぜそう思ったのだろう。
皆がそうしていたからだろうか。
自分もその仲間に入りたいと思ったからだろうか。
仲間に入って、思いを共有したいとでも思ったのだろうか。
そうすれば、
彼女たちの気持ちが分かるとも思ったのだろうか。
横浜のコンサートの券が、とてもいい席が取れ、
前から3列目くらいのすごく前の席だった。
これなら、舞台に近づいて何か渡せると思った。
家にあった、浮世絵の舞扇を持ち出し(無料)、
専用の箱があったのでそれに入れ、日本的だから
ちょうどいいと思い、それをプレゼントしようと思った。
それを用意して横浜へ行った。
そっと自分の席の横に置いた。
コンサートの終わったあと、例によって
プレゼント渡しの儀式が始まった。
一人ずつ、どこからともなく女性が現れ、
舞台上のコヴァルスキーに用意して来たものを渡す。
花であったり、ウィスキーのようなものであったかもしれない。
コヴァルスキーはかがんで、いちいち丁寧にそれを受け取る。
そして、二人はプレゼント渡しのあと、何ごとかをしばらく喋り、
握手をし、女性が戻っていくと、また次に構えていたように
別の女性が現れ、同じようにプレゼントを渡し、彼と何ごとかを
喋り合う。
コヴァルスキーはにこやかに女性に相手をする。
その間、ずっとコヴァルスキーは舞台にかがんだままである。
慣れているのである。プレゼントをもらい慣れしている。
私は、持参して来たプレゼントを渡そうとタイミングを見計らい、
一大決心をして立ち上がった。
せっかく京都から持って来たのだ。
日本らしい土産物だ。渡して帰ろうと思ったのだ。
女性たちが彼と何を喋っていたのかは分からない。
とにかくしばらくの間、一人ずつ何事かを彼に語りかけ、
コヴァルスキーはそれににこやかに一人ずつ丁寧に返事を返していた。
何を喋って良いのか分からない。
自分には何を喋る必要性もなかった。
ただせっかく持参したプレゼントを渡したかっただけだ。
おそらく女性たちは、コヴァルスキーを称える言葉を
かけていたのだろう。
今日のコンサートはよかった、とても感激した、
あなたの声が好きです…、
そのようなことを言っていたのかもしれない。
私は自分も何かを喋らなくてはいけないのだろうかと
思いながら舞台に近づき、
とうとうかがんで待っているコヴァルスキーの前に立った。
そして無言のままでプレゼントを彼に渡した。
コヴァルスキーはにこやかにそれを受け取りながら、
私の言葉を待っていた。
私は何も言葉が出なかった。無言の気まずい間があった。
私は何も言うことが出来ず、プレゼントを彼に押し付けて、照れ笑いをした。
彼は肩をすくめてにこやかにオウというような表情をし、
次の女性に注意を向けた。
この時の屈辱的な気持ちは、いまだに忘れられない。
自分に言葉が出なかったからではない。
彼に言葉がかけられなかったからではない。
コヴァルスキーはそれに慣れていた。
その儀式を当然のように思っていた。
私にも、自分への賛辞が貰えると思っていた。
コヴァルスキーはその場では賛辞を受けて当然の人物であり、
私は賛辞を与える側だった。
私は、彼を崇める立場だった。
プレゼントを渡すという行為は、彼を憧れ、彼を称賛するという、
彼に従属する行為であった。
そして彼はその場では、それをされるに値するスターという立場の人間だった。
コヴァルスキーが何も話せないでいる私ににこやかに微笑みかけた時、
私の自尊心はひどく傷ついた。
その職業的な、手慣れした微笑みに、自分と、彼の立場の違いに
愕然としたからだった。
その時
彼は称賛をされ、私は彼を称賛しなければならない人であった。
彼は輝けるスターであり、憧れられるべき人であった。
私はその時、彼を低い位置から見上げてうっとりする、
スターである人物よりも低い位置にいなければならない人になっていた。
そのことに自尊心が傷ついた。
自分は、そのスターである人物よりも劣っているのか。
自分の生きて来た人生が、そのスターである人物よりも
劣った人生だったのか。
だから自分はスターを低い位置から憧れの目で眺めるだけの
人でいなければならないのか。
舞台の上のスターの方が自分の人生よりも上なる人生を歩んで来たのか。
人の人生に価値の高いものと低いもの、上と下の差があるのか。
自分は自分なりの人生を歩んで来た。
自分なりのプライドがあった。
だが、プレゼントを渡すという行為は、そのプライドを
捨てる行為であった。
プライドを捨てなければ出来ない行為であった。
自分の人生が、スターよりも劣る、スターに憧れるしか
楽しみがないつまらない人生を歩んで来たために、
そのプライドは捨てても一向構わない、私はそのような人間だったのか。
私は断じてそのプライドを捨てられなかった。
だから傷ついた。
スターの人生と、自分の人生に区別があるはずがない。
彼が上であり、私が下であるはずがない。
私は彼と対等な人間である。
たとえスターであろうと、無名の人間であろうと、
人間に上下はない。
上の立場から見下されるいわれはない。
自尊心が強すぎたのだ。
コンプレックスの裏返しだったのかもしれない。
コヴァルスキー氏は何も悪かったわけではない。
彼には何の罪もないのだ。
彼はただ自分のするべきこととして私に微笑みを向けた。
それが彼の仕事であった。
ただその微笑みは、上の者が下の者を見る、
その意志で作られた微笑みだった。
その微笑みに屈辱を味わった。
私は二度と追っかけをすまいと誓った。
私にはその行為は向いていない。
自尊心が強すぎて、相手を上と見、自分を卑小とすることが出来ない。
私は誰にも、誰かより下と思われる筋合いはない。
追っかけという行為は、自ら、誰かよりも自分が下とする行為である。
それを自ら肯定してしまう行為である。
それは私には到底肯うことの出来ぬ行為であった。
私は私だ。
誰かに従属などしたくない。
それは自分を捨てる行為だ。
自分の自尊心を捨ててまでする行為ではない。
そんなことはしたくない。
私は屈辱にまみれながら、プレゼントを渡した行為を
帰りの新幹線の中で後悔し続けていた。
***********************
ただこの体験は貴重な経験だった。
自分がいかに自尊心の塊であったかを知った。
そしてそれが根本的な自分を形成しているものであることも知った。
多分今もそれは変わっていない。
それが非難されるべきものなのか、当然とされるものなのかは
分からない。
ヨッヘン・コヴァルスキーは今も好きだ。

なぜシューベルトなのか、今も意味不明

4