私がスケートの記事を書く目的は姑息な手段と前に書いたが、
でも、アクセス解析を時々見たりすると、
フィギュアスケートのところ(登録しているところ?)から来てくれる人が
一番多かったりする。
そういう人が自分のブログにもし来て、見て、
そこにスケートの記事が書いてなかったらさぞやがっかりするかもしれない、
とも思ったりして、私でも一応、そういうことは自分なりに気にするのだ…
そうしてスケートについて何か書こうかな、とか、何か書かないといかんかな、
などという気になったりもするのだ。
でも私は自分の興味の中では、普段はスケートは…およそ10%…から20%かな…
くらいの割合なのが通常で、それは正直に言ってしまうが、
…人の興味は一つではないからね…誰でもそうだろうが…。
でもシーズンインすると狂乱してしまい、
永遠にニワカなのにあれやこれやとだらだら語ってしまう。
そしてシーズンが過ぎると渡り鳥としてどこかへ行ってしまう、
というのが私のいつものパターンだ。
今はシーズンだけど、ほとんど何も私の語ることはない。
だけど、この前「文藝春秋」に羽生結弦の記事が出たというのをどこかで聞いた。
文藝春秋なら私のテリトリーだ。
これなら語れるだろう。
…というのは大嘘で、私は芥川賞には何の興味もないし、
ここ何十年文春を買ったこともない。
市川雷蔵さんの奥さんが、珍しく雷蔵さんについて書いた記事
(インタビュー?)が出ていると教えてもらった時も、
買わずに立ち読みで済ませてしまったくらいだ。
雷蔵さんの夫人(大映の故永田雅一氏の養女)が雷蔵さんについて
語っているなんて、本当に珍しいことなのだったが、
それでも買わなかった。
まあ私はそれくらいの人間なので、今度の文藝春秋も立ち読みだけした。
多分、出版されたすぐの時点で、羽生ブログなどでさんざんに
詳細に紹介されたことだろう。
私はいつもまるで周回遅れもいいとこだ。それでも文藝春秋は立ち読みしてみた。
その話をしてみたいと思う。
と思っていたけれど、ユーチューブに行ってみたりしたら…
ブルーオイスターカルトの動画なんかを探しに行ってたのだ…、
そしたらアメリカのスケート大会なんかの動画が上がってる。
今全米選手権をやっているらしい。
ネイサン選手がショートですごい点数を取ったらしい。
ジェイソンは4位だった…リッポンはいない…(涙)
外国のスケート大会なんて、昔は全然情報すら入って来なかったし、
まったく知りようもなかったし、別に知ろうとも思わなかったけど、
今はこうして簡単に動画なんかが見ようと思わなくても、
見られる状況になってしまっている。
もうじき欧州選手権も始まるらしいが、
それもすぐに情報が否応なしに入って来るのだろう。
別の関係ない動画を見に行っているのに、そんなのが自動的に上がってる。
時代が本当に変わってしまった。
ネットをし始めると、こんな風に変わってしまうんだな…。
別にそこまで…
昔と比べてそれほど深くスケートを見たいと思っているわけでもないのに、
なぜか昔よりものすごくスケートに触れる機会がぐんと
増えてしまってる。
これはどういうことなんだろう。
知らなくてもいいような大会の名前まで自動的に知ってしまう。
情報が入り過ぎるというのも、考えものだと思う日々だ…。
…ああ、とにかく、文藝春秋だったなあ…
「文藝春秋」を買わないのは、雑誌は買わないことにしていることもあるし、
何しろよけいなページが多い。
あれは400ページくらいある雑誌なのだろうか、
雷蔵さんの夫人の記事の時も、それくらいのページの中で、
たった数ページだったから、というのもある。
今回の文春の中で、羽生選手の記事は336ページくらいから8ページだ。
ということは、それまでの300ページは全然関係のないことを
書いてある。
最初に東京都の何とかいう…小池だったかな…女都知事と
立花だったかの対談があり、
朴槿恵のなんちゃらがあり、
という具合で政治のことがはじめに出て来る。
羽生の記事は後半も後半の、
どこにあるのか探さないといけないくらい目立たない、
膨大なページの中でたった8ページ。
そしてそのあとには、すぐにオール巨人さんを取材した同じく
8ページくらいの記事が始まっている。
もういろんな記事が雑多に載っている。
毎月、それだけのバラエティに富んだ400ページからの記事を
作り上げてゆく作業には敬意を表したいが、
何せそれだけ膨大な記事にほとんど興味が寄せられない。
ほんの8ページのために400ページの本を買う気にはどうしてもなれない。
それが庶民…いや私だけかな…の感覚さ。
だけど、今月の文春には、昭和の大女優が名監督についてあれこれ
語ったなかなか興味深い記事が出ている。
山本富士子が衣笠貞之助や吉村公三郎など錚々たる監督に起用された話、
彼女が五社協定ではぶられ、市川崑が救ってくれたとか、
(まだ生きておられたのだね…ごめん)
加賀まりこがオンディーヌに出た時の話とか、
岡田茉莉子が小津安二郎は優しかったとか、
夫(吉田喜重)が育ててくれたとか、
大島渚の話はよく聞くが…小山明子の出会いのきっかけとか、
篠田さんは岩下志麻をきれいに撮っているのに、
大島は自分をちっともきれいに撮ってくれなかったという話やら、
まあいろいろ興味深い話が満載で、ちょっと興味を惹かれた。
羽生のあとの巨人さんの記事も、大好きな漫才師の記事だから興味がある。
そんなに興味ある記事が沢山あるなら買えよという話だが、
でも雑誌は買わない。
どうせ読んだら古紙に出すだけだ。お金の無駄だ。
部屋の邪魔だ。だからどうしても買わない。
根性で何回も本屋に通い、暗記に努める。
オール阪神巨人さんも好きだから、立ち読みしたけど、
全部知ってることばかりだった。
阪神さんが離婚問題で悩んで巨人さんに相談した時から、
だんだん打ち解けるようになり、何でも言い合える仲になった、
なんていう、記事に載ってないことまで知っている。
関西人ならみんな知っていることだ。
だからあまり値打ちのないインタだったしやっぱり買わない。
でも阪神・巨人さんは去年(2016年)、上方漫才大賞をもらった。
久しぶりの賞の受賞だ。
このごろの上方漫才大賞は、つまらなくなっていた。
聞いたこともないコンビが受賞したり、
そんなに実力があるとも思えない人たちが受賞したりして、
…多分実力のある漫才師が今、もうあまりいないのだろう…
やすよ・ともこが受賞した時は、
もうほかに人がいないのだろうとその時点であの賞を
見限ってしまった。
だけど、今回はやっと貰うべき人がもらったという感じで、
…もちろん阪神・巨人さんはもう何度も貰っているのだが、
やっぱりしゃべくり漫才の実力がちゃんとある人が、
どう考えても面白いし、聞いていて安心出来る。
そういう意味で阪神・巨人さんの受賞は原点に帰る感じで
嬉しかったのだ。
最近では、笑い飯がうまくて、滑舌もいい。
しゃべくりの新しい地点を模索していると思う。
東京へ行ってしまう人は、その時点でしゃべくりをやめてしまい、
雛段芸人になってしまうのが残念でならない。
漫才をしたらとてもうまいのに、東京では漫才をしない。
東京の漫才師に比べて段違いにみんなうまいのに。
売れるか売れないうちかで東京へ行ってしまった人たちは、
どこがいいのか分からない。
よゐことかキングコングなんてどこがいいのだろう。
でも巨人さんが博多華丸大吉を評価しているのは少し驚いた。
…ああごめんね、関係のない話を延々として。
…文藝春秋というのは、たいていおっさんが読むものなのだろう。
よく分からないけれど、電車の中でとか、仕事から帰って来て、
家でリラックスがてら最近の出来事に目を通す、
そんな雑誌なんだろうか。
羽生結弦の記事は、そういうなかで、別にカラー写真があるわけでもなく、
ほんの小さい写真があるだけで、後ろの方にあまり目立たず
何となくある。ひょっとすると見逃してしまう、
そういう扱いだ。
羽生が、なぜ強いかという感じで始まる。
羽生が強い、ということが前提になってる記事だ。
ちょっと疑問を感じたりする。
羽生は強いのか?ワールドを一度制しただけなのに?
そして、ファイナルを世界一決定戦と何の疑問もなく書いてるのも、
不可解に思ったりする。
その4連勝を上げて、強い、の根拠にしている。
今の時点では彼だけが突出して強いと思えないけども…。
でも、羽生が強いことをまず前提として、そこからさらに
上を目指している、という方向に記事の趣旨を持って行きたいのだろう。
そうして、強いという意味が、
彼のメンタル面のことを言っているように思える。
記事で興味深かったのは、
中国杯でのアクシデントが書いてあったことで、
・自分の注意不足だった、
・フィギュアが命にかかわりのある危険性をもっているスポーツだということを
多くの人に分かってもらえた、
云々
注意不足と自覚してた所はびっくりしたが、
これは羽生の強がりというか、自己弁護なんだろう。
でも、あの事件が羽生という人間がどういう人かということを、
世に知らしめた。
その点で、重要な案件だった。
彼は、大した試合でもなくても、命を危険に晒してしまって
平気な人ということだ。
そして羽生の強さとしてもっとも重要な点が彼の考え方、
試合に臨むあり方を上げている。
自分の演技を分析することが好き、と言っていることから、よっぽど
自意識が発達しているのだろうことが分かる。
私も自分のこともそうだが、何かを分析することはとても好きだ。
だから良く分かる。
分析しようとすることは理解を深めようとしたいからだ。
そして、
・オリンピックチャンピオンだからといって、試合で審査員の
評価が高くなるわけではない
・自分自身がチャンピオンらしい演技をして初めて、
金メダルが評価される
・五輪チャンピオンらしい演技をしてみろよ、
羽生結弦、成長して見ろよ
ボストンワールドでのテン選手との一件は当然スルー
この羽生の、最近よく使っているらしい、
自分で「羽生結弦」とフルネームで名乗る名乗り上げ。
これが最近の羽生選手のポイントではないだろうか。
「誰からも追随されないような羽生結弦になりたい」
と言う発言で結ばれているが、この彼の望み、
果たして平昌でその望みが叶うのか、
それとも夢として砕け散ってしまうのか、
それでも「誰からも追随されないような」という、
それは叶いそうで、出来そうな、出来るかも分からない、
でも出来ないかもしれない、出来そうもないかもしれない、
はっきりと確かではなくて、確実でもない、
でも到達できる位置にはいるかもしれない、
そんな微妙な位置にいる彼の望み、彼の願いが
この切実な言葉を選んでいることに何だか切なさを感じて、
そのような夢を見ている、
…夢ではないのだろう、夢を叶えようと臨んでいるのだから…、
でも私には、そのような見果てぬ夢を夢見ている、
彼の痛切な願いがこの言葉に強く表れているように思えて、
その気持ちの熱烈さがどんなスケーターよりも特殊な存在のように、
思えた。
私は、自分の書いた前の記事は恥ずかしいので
あまり読み返したりしないけれども偶然に、
ボストンワールドのときの文をちょっと見てしまった。
そこには、
━だけど、今回のことを学んでまた成長してほしい。
そう願う。彼のファンだから。━
と書いていた。
…なんだ、私はちゃんとしたことを書いているじゃないか。
成長してほしい、そう書いている。
普通のファンならそう思うことじゃないか。
当たり前に、羽生のファンだからそう書いた。
私はやっと、ちゃんとファンと言えると思う。
とっくに私の結論は出ていたんだ。
「誰からも追随されない羽生結弦」になって欲しいかといえば、
私は別にそういうことはあまり望んでいない。
そういう人になれるのであれば、なればいいけれど、
なれなくても私は構わない。
でも誰からも追随されないことを願う羽生選手の痛切な思いには、
とてつもない吸引力を感じるし、なりたいという強い決意や、
若い彼ならではの荒々しい野心や心情に、こよない魅力を感じる。
若い時にしか持てない気持ちがある。
彼は、オリンピック・チャンピオンになったとたんに
態度が横柄になったと悪口を言われたことがあった。
不本意な出来で金メダルを取っておきながら、
態度がでかくなったといってそんな風に言われたのだろう。
若い時は、急に有名になると、ちやほやされ出して、
あちこちで特別扱いされているうち、誰でもそうなってしまうだろう。
誰でも若くて、まだ経験が浅いと、天狗になってしまうと思う。
それが人の自然というものだ。
とくに自意識が発達しているやつならますますそうなるだろう。
ショーは、彼がいると満員になった(らしい)。
彼が主役で主人公気取り、いないとスカスカ(らしい)、天狗で当然だろう。
ジョン・レノンは、自分たちはキリストよりも有名だと言って、
教会の顰蹙を買った。
スティングはオレより歌の上手い奴はいっぱいいる、
でもオレのように歌える奴はいない
と言ったらしい。
みんな天狗になるだろう。当たり前だ。
才能があるなら、天狗になったっていい。
才能があるから天狗になるんだろう。
才能や魅力に恵まれているなら、
それは天狗になってもいい権利があるっていうことだ。
権利のあるやつが天狗になっても当然だ。
ソチでメダルを取った時、羽生は悔しいとまず言った。
彼は不本意な出来だったことも分かっていた。
当然そんな風に言われていることも分かってただろう。
これ以上は言うこともない。言わなくても誰でも分かるだろうし。
文藝春秋を退屈しのぎに読んだおじさんたちは
何を感じたろう。
後ろの方にちょっと載っている、この若い奴は
冬のスポーツで有名らしい、そんな感じなんだろう。
強いらしい、次の冬のメダル候補らしい、強いと書いてある、
強い奴なのか、そしたら金メダルも狙えるかもしれないな、
そして取ったら万歳で英雄扱い、
逃したら袋叩き、
そんなのがおじさんたちの認識だろう。
日本のおじさんにとっては、羽生なんてそれくらいの存在だ。
強さの秘密なんてどうでもいいのさ、そんな細かいことは。
読んだらすぐ忘れられる。
それより山本富士子なのだ。
文藝春秋の扱いは、そんなものだった。
それが普通の扱いってものだ。
だけど文藝春秋に載ったということがすごいな。
あんな読み捨てのおじさん雑誌の退屈しのぎに羽生。
勝って図に乗ろうが、負けて無残な姿を晒そうが、
あんなおじさん雑誌にまでのうのうと進出して来る羽生って
すごい。
今回彼に捧げるのは絵だ。
彼のイメージは私にはこんなだな…


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