今日で終わってしまう(T_T)しかも雨
国宝展2期のつづき
2階から、3階へ逆行して階段を上がり、書跡のコーナーに
トライする。
むちゃくちゃ混んでいて、なかなか見られなかったが…
*誤字は見つけたら直していきます*
〈書跡〉
・空海筆 聾瞽指帰(ろうこしいき)上巻
・空海筆 金剛般若経なんとか
字があっているかどうか分からない…が
大混雑している人の隙間から覗いて見た。
字や書はまったく分からないが、
とにかく空海って実在の人物だったんだなあ…(@_@)
とまず思う。
手や口や足に筆を持って字を書いている空海の図なんかを
見ているから、何となく伝説上の人物のような気がしていた。
でも実在の人物だったのだ…
その人の書いた千年前の書が目の前にあるのだ。
妙に感心する…
とてもきれいな楷書書きで、一字も間違いのない
字が整然と並んでいる。
しかも保存状態もとてもよい。大事にされて来たのだ…。
字は分からないものの、きれいだった。
それから行書の草稿なんかもあった。
こちらは何かの下書きなので、少しくだけた字で
書かれているが、
ほんとに昔の人はこんなに漢字を自由自在に書いていたんだなあと
ただひたすら感心した…
・空海筆 灌頂歴名
空海が、密教の儀式の灌頂を授けた人の名前を列記したもの
ということだ。
日付けと、ただ人の名前をずらずら書いたものだが
(それでも几帳面)
むちゃくちゃ面白い。
間違えたところを黒い墨で無造作に消してある。
もしかしたら、こいつは灌頂をやめにしたとか、
そんな感じ?
ぐちゃっと黒く消してあるところが生々しくて、
人間味を感じた。
いやあ空海ってほんとに実在したんだなあ…
・最澄 弘法大師請来目録
唐から持って帰った経典や、法具などを詳細に記して
列挙したものだそうだ。
(最澄が書き写したものらしい)
むちゃくちゃ几帳面に、持って帰って来たものを
ひたすらいちいち書いてある。
ものすごい量のものを持って帰って来たらしい。
それを昔の人は本当によくこれほど詳細な記録に残していたと
ただただ感心する。
今日ではPCなどで簡単に目録が作れたり、
記録を残せるが、
千年前に記録を残すにはこうして墨と筆で書くしかない。
それを几帳面に、小さな字で一から千までひとつももらさず、
という感じで書きまくってある。
日本人って几帳面だったんだなあ…
字そのものは確かに空海の方がしろうと目にもカッコいい…。
・後宇多天皇宸翰御手印遺告
大覚寺を復興した後宇多天皇の赤い朱印がぺたりと押された
宸翰(天皇の書いた書き物)。
お相撲さんのような手のひらの赤い手形が押されてあるのが
とても面白い。
天皇の宸翰(しんかん)がいつ頃からか好きになった。
昔の天皇は、(今もそうだろうけれど)ものすごく
勉強をしていて、書も読め、書きものも出来て、
教養も高かったことが、宸翰から分かるからだ。
一般の庶民などはもちろん文字など書けなかっただろうから、
書けたのは貴族や天皇やお坊さんたちだけだろう。
天皇の書も、貴重なものとしてこうして残されて来たと思うと、
感動するのだ…。
書は分からないのに、それなりに盛り上がったのだ。
2階の六道絵のコーナーにトライするが、
ここがリアルに地獄だった…
〈六道絵と地獄・肖像画〉
・餓鬼草紙
餓鬼草紙は東博のものと京博のものとがある。
京博本は、人々の中にお腹を膨らませた餓鬼が紛れ込んでいて、
浅ましくものを請うたり、坊さんに説教されたり、
救いを求めたりする様子だが、
この餓鬼は当時、実際にそこにいた人間たちなのだろう。
貧しさのあまり、食べるものがなく、飢えた人々が
あちこちにいたということだろう…。
東博本の方は、人がたかっていて、山なりになって
人待ちも多く、どうにもそこから動く人がいない。
2階のほかの部屋は比較的空いているのに、
餓鬼草紙の前だけ、人が餓鬼のように群がっているという、
皮肉な光景に、まず驚いた…。
餓鬼の浅ましい様を、それほど見たいのか…。
残酷でグロテスクなものほど見たいという人の欲望が
あんまりすごくて、そのガラスケースに山なりの光景に
少しびびったが…
それでもせっかくだからと最前列で見ようと列に並んでみたが、
いっこうに頑として人が動かない。
同じ人がずっと同じ所を見ていて、動かない。
後ろの人が、動かないから見えないなあ…
と声がしたので、私も勢いづいて、
少しずつ歩いて見て欲しいです!と大声で(誰に言うでもなく)
声に出してみた。
それでも一向に動く気配がない。
何度ももうちょっと歩きながら見て欲しいですね!とか、
少し進んでほしい、とか
何度も何度も言ってみたが、無駄だった。
年を取るとこらえ性がなくなって叫んでしまうのだ…
絵巻というものは、留まって見るものではなく、
さらっと流しながら見るものだと思うのだが…
マンガだって、1ページをじっくり見ることをしないで、
ページをめくりながら読むやん…。
絵巻って、昔のマンガのことやん…。ねえ。
それでもところどころ覗き見して、確認してみた。
東博本は、はじめは貴族の館らしきところから始まる。
女たちや男たちが笑い合ったり、楽器を弾いて興じたりしているが、
外には裸の餓鬼が食べ物をあさったり、うずくまったり、
グロテスクな酷いさまが描かれる。
その対比があまりにも激しくて、むごくて、
背筋がぞっとする。
餓鬼は幻で、人々には見えていないという設定らしいが、
絵を見る者にはその対比のあまりのむごさに言葉を失う。
この絵に群がっていたあの人たちは、何を思って
この無残な絵を見ていたのだろう…。
餓鬼草紙は京博本、東博本とも、後白河院の要請で、
蓮華王院(一部が今の三十三間堂として残っている)に
おさめられたもの、ということらしい。
絵巻のマニアだった後白河院の趣味が多分、
このようなものを描かせたのだろう。
地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙…、みな後白河法皇の趣味なのだろう。
〈染織〉
・七条刺納袈裟 中国唐時代
ぼろきれを集めて、袈裟にしたもの、
ぼろを再利用することで、物への執着を捨て、
仏さまの心に触れる意味合いがあったようだが、
昔のリユースとしてとても興味深い…。
〈絵巻物〉
・信貴山縁起(しぎさんえんぎ)尼公(あまぎみ)巻
1期とは別の、これも有名な尼公の巻、
居場所の分からない弟を探して旅に出る尼の旅のようすが
描かれる。
いちばん有名な場面が、東大寺の門前で眠っていると、
大仏様が弟の居場所をお告げして下さるところ、
でも、その道中が丁寧に描かれていて、
ただの風景の場面でも、小さく小さく尼公が描かれていて、
それがかわいい…。
そして、ようやく弟に会えて喜ぶふたり。
人々の顔の表情が細かくみごとに描き分けられていて、
そのほか動物なども、犬や猫、鹿など、素晴らしい。
・一遍聖絵(いっぺんひじりえ) 巻九
1期は巻八だった。
一遍が遊行して全国行脚する物語なので、
一遍が各地で踊念仏をする場面が描かれるが、
その旅の道中の農村のようす、
田畑を耕す人々や、田んぼの風景など、
日本各地の風景が旅情たっぷりに
描かれているのが見どころだと思う。
ほかにも
・絵因果経
というのも面白い。
経典が下に描かれ、上部にはそれを絵で表したものが。
奈良時代のものなのに、あざやかな赤で、
小さい人物たちがかわいく描かれていた。
絵巻のコーナーは地味だが、味わい深かった。
ここまで来て、寝不足やら餓鬼草紙の所でカッカ来たせいか、
血圧が上がったのかな?
フラフラになってしまい、これでおしまいにした。
でも今回もたくさん見られたし、とても充実した展示だった。
あとはゆっくり博物館の庭をそぞろ歩いた。
博物館は庭も美しいなあ…。
テントでコーヒーやジュースを売っていて、ジュースを買う。
客が三々五々にそこかしこでひと休みし、
のんびりしている。
慧可断臂図の顔ハメもあったり…
みんな顔をハメて写真を撮っていたよ。
最後はフラフラしたけど、また来るよ!
と、美しい西門をあとにした。
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