えー。
本題へ入る前に…
これねえ。
京都大学で
「iPS細胞(人工多能性幹細胞)に関する研究論文で、
データの改ざんなど不正があったと発表」
「同研究所長の山中伸弥教授は京都市左京区の京大で開いた会見で、
「論文不正を防げなかったことについて強く反省している。
辞任を含めて責任の取り方を検討したい」と謝罪」
(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180122000215
京大がなあ…。
山中伸弥教授が辞めるかもってよ…。
これどうすんのやろ。
勇み足ってことかねえ…。
研究ではこういうことがあるのかもしれんけどねえ。
京大やろ…。
京都のもんとしては…(絶句)…
忸怩たるもんがあるけど…。
もうちょっと何とかならんかったかねえ。
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ということで、気を取り直して本題にいきます…
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京都新聞の連載の原田マハ「風神雷神」で、
宗達、カラヴァッジオと遭遇。
しかもレオナルドの「最後の晩餐」の前で。
宗達の物語なので毎日読んでいるが、
今回も驚きの安直設定。
ミケランジェロの天井画を見るのは想定内だったけど、
まさかミラノで「最後の晩餐」まで見るとは思いもしなかった。
オールスター総出演で、次々に有名人や絵が出て来るという、
大胆な発想展開が面白いのかもしれない。
しかしカラヴァッジオまで出て来るとは。
少年たちの情熱や真摯な精神の描写は感動的なのだけれど。
カラヴァッジオといえば、
1986年に英国の映画監督デレク・ジャーマンが監督した、
ずばりタイトルも「カラヴァッジオ」という映画は、
当時話題になった。
最近(2010年)また、カラヴァッジオの映画が作られたらしいが、
デレク・ジャーマンのものは映画館へ見に行った。
その時に感想文を書いていたので、記録として…
残しておく。
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「カラヴァッジオ」 86-87英 93mins.
Caravagio B.F.I
監督 デレク・ジャーマン
脚本 〃
製作 サラ・ラドクリフ
音楽 サイモン・フィッシャー・ターナー
撮影 ガブリエル・ベリスタイン
製作デザイン クリストファー・ホッブス
ナイジェル・テリー
ショーン・ビーン
ティルダ・スウィントン
ナイジェル・ダベンポート
16世紀から17世紀にかけて活躍したバロック画家カラヴァッジオの
生涯とその作品をアレゴリカルに描いた異色のイギリス映画。
デレク・ジャーマンは絵画を学び、
ケン・ラッセルの映画のセット・デザインをしたという、
美術あがりの演出家なので、こういう美術映画ははまっているのだろう。
カメラがとらえる壁の白やシーツの白、旗や聖衣の赤、僧衣の黒、
人間の肌あい、ガラスの透明感、食器の金の質感などを見るだけでも
この映画の価値はある。
驚くべき色の鮮やかさ。
バロック時代の色と質感のものの見事な再現。
まさに映画で見る絵画だ。
しかしそれだけでなくタイプライターやバイク、
自動車などを持ち込むことで現代の物や人間さえも
バロック化することに成功している。
更に、主人公カラヴァッジオを最後まで見とるおしの少年エルサレム
という人物を創作することでパゾリーニ的な神話性を持ち込み、
モノローグだけに登場する
(このモノローグ自体が完全に映像と切りはなされた独自性をもつ)
パスカローネの存在を最後に登場させ、
ベルトルッチ的空間を作り出す。
不満と言えば殺人場面が様式的すぎて衝撃的でないことか。
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けっこう映画オタだったのでおかしなことを書いている。
今読むとパゾリーニ的な神話性、って何のことか分からないし、
ベルトルッチ的空間という意味も分からない。
ベルトルッチの映画なんて「ラストエンペラー」
くらいしか見たことがなかったと思うのに、
なんでこんな生意気な知ったかを書いているんだろう。
…と、自分に怒りをぶつけたくなるが、
でもこれは自分だけの覚え書きで、人に見せるつもりなく
書いたものなので、自分で分かったつもりで納得していたのだろう。
とにかく、この映画の圧倒的な映像美だけはなんとか
書きとめているのではないだろうか。
今ではほとんど覚えていないので、
簡単な記録だけでも、記録しておいただけでも
自分を褒めておきたいな。
映画館で見た時、心がざわざわとするくらい、
バロックの空間が映像の上に再現されていて、
その光と影の作り方に圧倒された覚えはある。
これはビデオでどう再現出来るだろうか、
とうてい再現出来ないのではないだろうか、
とも思ったりしていた。
バロック絵画が光と影の強烈なコントラストを基盤にしていることが
よく分かったし、
美術映画としての映像美は呆れるほどだった。
ただデレク・ジャーマンはとても前衛的な作風だったので、
バロック時代の設定なのに現代の機器を持ち込んだり、
単純に画家の生涯をすなおに描いた作品ではなく、
かなり難解な映画だったので、こんな感想を書いていたのだろう。
カラヴァッジオの「愛の勝利」は、もとの作品そのままの形では
映画で再現できなかったということで(検閲に引っ掛かったらしい)、
少年はヌードではなく着衣でポーズをとっていて、
それがかえって当時、(独創的だというので)
評価を高めたようだ。
↓公開当時の宣材(ビデオ)
果物籠を持つ少年の絵は、本物のカラヴァッジオの絵より明らかに
美しい少年を起用しているし、
ジャーマンのイギリス人のゲイとしての美的感覚が、
イタリアの泥くさい感覚とはまた違った解釈で捉えられていて、
鋭く研ぎ澄まされた感じがあって、
そこが興味深い映画だったと、
あまりもう思い出せないが、そんな風に今は思える。
映画としては難解だが、
とにかくカラヴァッジオの有名な絵が、
映像で次々に生々しく再現されていたのは見どころだった。
デレク・ジャーマンは承知のとおり、
(1994年に)エイズで命を落としたが、
作風を見てもゲイであることを隠していなかった。
遺作となった「ブルー」は(見ていないが)
ただ画面に青色がえんえんと映るだけの映画だったそうだ。
病んだ体で、自分と向き合いながら、映画を最後まで
撮り続けたい一心で、そのような作品を仕上げたのだろう。
痛ましいと思うと同時に、命が尽きるまで制作に情熱を燃やし、
たとえ満足なものが撮れなくても、
制作することで励みにしていたのだろうと思うと、
映像作家の執念やすごみを感じて、
ジャーマンもまた、最後まで芯をとおし、
表現者としての生き方をまっとうした
立派な生きざまを見せた人だったのだなと、
彼の映画は数本かしか見ていなかったけれど、
そんなことを考えさせられた人だった。
オリジナル版(どう違うのか分からない)
2010年の作品「カラヴァッジョ」↓
撮影を名手ヴィットリオ・ストラロが担当しているそうだ。
健在なようでうれしい限り
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