every.の動画が速攻で消されていて、保存できなくて悲しい(T_T)
別カメラ映像もあったのに…地方の壁が厚いので何とかお願いします(T_T)
まだまだ感動に浸っていたいが・・・
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昔、ニール・サイモンが好きだった。
ブロードウェイの劇作家だったが、映画脚本も手掛けた。
しゃれた会話が散りばめられていて、それがとても楽しみだった。
訃報 ニール・サイモンさん 91歳=米劇作家
https://mainichi.jp/articles/20180827/dde/041/060/040000c
「【ニューヨーク共同】多くの人気コメディー作品を残した米劇作家で脚本家の
ニール・サイモンさんが26日、肺炎の合併症のためニューヨークの病院で死去した。
米メディアが伝えた。91歳。 」
(毎日新聞)
映画.com
https://eiga.com/news/20180827/9/
劇作家のニール・サイモンさんが死去
「トニー賞17回ノミネートで3回受賞、アカデミー賞4回ノミネート、
1991年には「ロスト・イン・ヨンカーズ」がピューリッツァー賞戯曲部門賞を受賞と、
アメリカを代表する喜劇作家だった。」
「生涯を通じて30本以上の演劇作品を生みだす一方、
映画脚本家としても、自身の戯曲の映画化のみならず、
「おかしな夫婦」(1970)、「名探偵登場」(1976)、
「グッバイガール」(1977)といったオリジナル作品を手がけている。
「おかしな二人」(1968)、「サンシャイン・ボーイズ すてきな相棒」(1975)、
「グッバイガール」(1977)、「カリフォルニア・スイート」(1978)で
アカデミー賞脚色賞にノミネートされている。」
マーシャ・メイスンと結婚していたころ、彼の名を知ったと思う。
マシュー・ブロデリックを舞台で起用したのも、サイモンだったと思う。
自伝的シリーズの「思い出のブライトンビーチ」「ピロクシ・ブルース」などで注目を浴び、
映画界に目に留まった。
「ピロクシ・ブルース」は「ブルースが聞こえる」というタイトルで、マシュー主演で日本公開された。
ニール・サイモンの苦い軍隊経験を舞台化したものだった。
マシューが売春宿で、娼婦と初体験する場面が初々しかったのを覚えている。
軍隊は苦い経験ばかりだったが、思い出として残っているのはなつかしさ。
ノスタルジックな描き方をしていたように思う。
「名探偵登場」で、刑事コロンボをはじめ、いろいろな名探偵をパロディとして登場させ、
本格探偵ものとして、パロディとして、楽しめる映画だった。
いちばん好きだったのは、「グッバイガール」。
当時、結婚していたマーシャ・メイスンがヒロインで、しゃれた、すてきなラブコメディ。
ラブロマンスとしても、見終わったあと、じーんとしたり、ほのぼのとする、素敵な映画だった。
ウィットのある会話がしゃれていた。
雨の降る日、電話ボックスから主演のリチャード・ドレイファスが
「僕の防水でない時計によると、今何時何分」
ふたりがようやくベッドを共にした翌日の朝、
女が「昨日のことは忘れて」というと、
男は「無理だよ、そんなの。もう日記に書いたもん」
このセリフが、今も頭に残っている。
いつも男にグッバイされるからグッバイ・ガール。
でも、舞台の新進俳優のドレイファスだけは、グッバイしなかった。
グッバイガールからグッバイ。
確かこの映画でリチャード・ドレイファスはオスカーを獲得した。
マーシャも確かな演技で、実力派女優だった。
俳優の演技を引き出すのがうまい脚本家であった。
同じマーシャ・メイスン主演のラブストーリー「第2章」のあと、
ニール・サイモンとマーシャが別れてしまったのは、悲しかった。
いいコンビだったのにな、と惜しんでいた。
マーシャは五回、オスカーにノミネートされたが、とうとう受賞はしなかった。
不運な女優だったかもしれない。
その後もニール・サイモンは活躍していたようである。
すでに90歳を超えていたとは思わなかった。
洒脱な会話で映画界でも活躍した、ニール・サイモンに乾杯。
グッバイガール 1000円
名探偵登場 1000円
ブルースが聞こえる(ピロクシ・ブルース) 1000円
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