1966年6月29日はビートルズが来日した日だという。
もう半世紀以上前になる。とは…。
このビートルズ・来日騒動は日本近代の歴史上の一コマと言ってもいい。
年表にも書かれているくらいの日本の昭和史の中で欠かせない、
エポックメイキングな出来事として人々に語りつがれている。
来日した日は台風で、飛行機の到着が遅れた。
一般人は規制されて入れず、メディアだけだったそうだが、
長時間飛行だったにもかかわらず、
ビートルズの4人はタラップから法被を着て、
にこやかに降りて来る所がニュース映像に残されている。
のちに何度も繰り返し見ることになる場面だ。
NHK BSの「アナザーストーリーズ」で以前、
「ビートルズ来日騒動」として特集されていたが、
警備担当の警官が観客の数より多かったという。
一人の怪我人も出してはいけないという、
警備の責任者の考えで、厳重な警備が敷かれた。
1万人くらい動員されたとか。
それほどビートルズの来日は
当時の日本にとって、重大な出来事だった。
日本中が大騒ぎになった。
ひと目みたいと、学校を休んでまで見に行く少女たち、
それに対してビートルズ禁止令を出す学校、
ビートルズ反対運動まで起こったという。
そしてビートルズは、
日本で初めて武道館でコンサートを行ったグループでもある。
当時のPAシステムはまだそれほど発達していなかった。
そのせいで、彼らの歌はファンの悲鳴にも似た大歓声にかき消され、
よく聞こえなかった。
「アナザーストーリーズ」で武道館へ見に行った宇崎竜童が
証言していた。
豆粒ほどに見えたビートルズ、曲も歓声で良く聞こえなかった…と。
ビートルズの面々も厳重な監視下に置かれ、
コンサート以外にホテルから出てはいけなかった。
ジョンとポールが脱出を試みるが、すぐに捕まり戻された。
ビートルズたちが退屈するだろうと、
ホテルの部屋に主催側が女を用意したという話も聞いた。
ビートルズは女には手をつけなかったそうだ…
どの国へ行ってもホテルとコンサート会場を往復するだけ、
観光もままならなかった。
ビートルズたちはそんなコンサート活動に徐々に疑問を持ち始める。
1966年と言えば、ビートルズが演奏活動を休止する直前だ。
アルバム「リボルバー」が発売直前だった。
このアルバムはスタジオ録音に、よりいっそう可能性を見出していた
ビートルズの意欲作だった。
(アルバムタイトルは日本の警官がみなリボルバー銃を持っていたから
タイトルにしたというエピソードは有名)
どこへ行っても缶詰だけのコンサート活動に嫌気がさしていたビートルズは、
スタジオ録音に音楽の可能性を追求する方向に舵を切った。
翌1967年、ビートルズは一切のコンサート活動を中止すると発表する。
66年のビートルズ来日は、
そのようなビートルズ自身の分岐点の最中で行われた、
貴重なライブだったのだが…。
ドリフターズたちが前座で出演し、
ビートルズの演奏はたった40分ほど。
ビートルズの変容をまだ知らない少女たちは、絶叫し、
泣き叫んでいた。
66年当時の日本ではビートルズはまだそういう存在だった。
熱狂的なファンの絶叫を誘うアイドルという存在で、
その熱狂が続いていた最後の年でもあった。
アイドル的熱狂の最後の年に日本へ来たのだった。
アイドルとしての姿を見せた最後のコンサートでもあった。
翌年からビートルズは変貌を遂げる。
髭を蓄え、ドラッグを試し、インドへ傾倒し
サイケデリックへと音楽性をがらりと変えた。
ビートルズにとっては必然的な変貌だった。
ただのアイドルではなかった。
音楽性も先端を走っていた。
だから世界中から常に途切れなく注目されつづけた。
でもそれだけでもない。
若者への影響力、それが甚大なものであった。
彼らは彼らの言葉を持っていた。
それが大きかったと思う。
リボルバー
ザ・ビートルズ
人気ブログランキング
美術館・ギャラリーランキング
にほんブログ村
フィギュアスケートランキング
にほんブログ村

12