夏の風物詩、祇園祭は中止になった、
とばかり思っていた。
確かに山鉾巡行は中止された。
しかし祇園祭そのものはあった。
7月17日の前祭(さきまつり)の日、山鉾町の役員の人たちが行列を作って、
いつもの巡行が始まる地点、四条烏丸から御旅所(四条寺町)までを、練り歩いた。
京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/309957
今年は山鉾「なし」巡行 コロナ影響、京都・祇園祭の前祭
「祇園祭・前祭(さきまつり)を行う23の山鉾保存会代表者らが17日、
京都市下京区の四条通烏丸交差点から八坂神社四条御旅所まで徒歩で巡行した。
新型コロナウイルスの影響で中止となった山鉾巡行に代わる行事で、
代表者は榊(さかき)を手に1列になって四条通を東進し、
御旅所で八坂神社に向かって遙拝(ようはい)した。」
もちろん7月24日の後祭(あとまつり)にも行列(徒歩で巡行)があった。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/314739
榊を手に徒歩で巡行 コロナ禍で山鉾「なし」
京都・祇園祭の後祭「来年こそいつもの形に」
2020年7月24日 11:25
「祇園祭で後祭を行う11の山鉾保存会の代表者が
山鉾に見立てた榊[さかき]を手に、京都市中京区の三条通烏丸から
下京区の四条御旅所まで徒歩で巡行した。
「祇園会」の旗を先頭に、かみしも姿の代表者が1列になって
三条通や寺町通を静かに進んだ。」
後祭は前祭と巡行ルートが違うので、徒歩行列も、それに準じたようだ。
行きたかった。見たかった…。
行列だけでも。
このような形でやるとは思わなかったので、まったく中止だと思っていたので、
保存会の人たちの、この熱意には頭が下がる。
このようなことが行われているのを知っていたら、
見に行った、かもしれないのに…。
(でも、みんなに知らされていたら、「密」が出来ただろうから、
周知されず、ひっそりと行われた方が良かったのかもしれない)
「前祭に続く徒歩巡行を終えた山鉾連合会の木村幾次郎理事長は
「われわれに何かできることはないか考えた結果の取り組みであり、
このような形で終わることができてうれしい。
文化を途切れさせないためにも、来年こそいつもの形の祭りをしたい」
と語った。」
(京都新聞)
理事長の木村幾次郎氏のこの取り組みは、テレビでも特集されていた。
ABCテレビの「キャスト」というニュース番組でだった。
各山鉾町の代表の持つ榊に書かれた山鉾の名前は、
木村理事が筆で書いたものだった。
そして、徒歩での巡行を考え付いたのも、木村理事だった。
祇園祭は、今年も7月2日、切符入りがあり、代表たちが八坂神社へ裃姿で参拝した。
その日から、粛々と行事はあったのだ…。
山鉾町の会所も開かれていたというし、
菊水鉾の会所では粽も授与されていたという。
確か函谷鉾会所では、稚児人形を2階の窓から見えるように公開していたという。
どのような形になれども、何としても、来年へつなぐため、
そして未来へとつなぐため、今年も形として何かを残したい、
何かをなして今年の祭りとして成し遂げたいという執念が、
木村理事はじめ、山鉾町代表たちを突き動かしたのだろう。
祇園祭は京都の人間にとって、ただの祭りではない、
ただの見世物ではない…。
それは祈りなのだ、
文化なのだ、
1150年前から受け継いで来た、京都の町の遺産なのだ。
だから、未来へと、何百年の未来へと繋いでゆかねばならない祭りなのだ。
皆それを知っている。
自分の代で途切れさせてはならない。
ここまで過去の人たちが継いで来たものを、
自分たちが途切れさせてしまっては、ご先祖に顔が立たない。
子孫に申し訳が立たない。
だから皆必死なのだ。
行列を終えた木村理事は、満足そうな顔をしておられた。
役目を果たし終えた充実感に満ちておられた。
京都の町衆の心意気は何百年前と変わっていない。
代々受け継いできたものを、次の代へと渡すのが自分たちの役割だと、信じている。
祇園祭は続く。きっと来年も。そしてずっと未来へも。
7月22日、京都文化博物館で開催されていた、
「祇園祭 −京都の夏を彩る祭礼−」へ行って来た…
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/gionmatsuri2020-2/
祇園祭 −京都の夏を彩る祭礼−
会 期:
2020年6月20日(土)〜 2020年7月26日(日)
少しでも祇園祭を感じたかったからだ。
4月に開催されていた、
「京都祇園祭−町衆の情熱・山鉾の風流−」をそのままスライドさせたような展示だった。
祭の雰囲気というよりは、学術的な展示だった。
装飾品や懸装品は、
古いものでは1500年代のものから、江戸時代1830年代のものが多かった。

月鉾の最も古い鉾頭、1500年代

ぴかぴかに磨かれた装飾品

円山応挙の下絵を屏風に仕立てたもの(保昌山)
中でも御神体人形に着せる衣装は、等身大のものだろうか、
人間のものと寸分変わらない、仕立ても生地も上等のもので、
立派なものを各鉾町が保存しているのに驚嘆した。
見事な装束だった。
黒主山の御神体が飾られていたが、彼の装束も立派なもので、
人形自体も古いものだろう。
装束といえば、現代の長刀鉾の生き稚児が着る装束が一式展示されていた。
ぴかぴかに光り、目も眩むような上等な装束。
これを暑い夏に着る稚児には忍耐力、我慢が相当必要なのだと一目で分かる。
お稚児さんが、祇園祭が終わる頃、
ただのやんちゃな小学生から、凛々しく責任感を持つ少年へと
変身する理由が理解出来た気がした。
祇園祭…、京都の夏に欠かせない、京都市民の血肉でもある祭、
今年も開催されたのだ・・・。
京都新聞
https://p.kyoto-np.jp/kp/koto/gion/
祇園祭特集
10月の時代祭も中止になった。
鞍馬の火祭も中止になった。
10月ですら、まだ収束が見込めないらしい。
京都は感染者の過去最多を記録した。
まだまだ災厄はつづく…
人気ブログランキング
京都府京都市ランキング
美術館・ギャラリーランキング
芸術・人文ランキング
にほんブログ村
にほんブログ村

9