7月に新聞に発表された、漱石書簡の新発見について、すぐにでも書きたかったが、
あたおたしていて、森田草平の著作にもあたる必要があるため、
今ごろになってしまった。
---------------------------------
「弟子の評論「在来無比」と漱石 雑誌掲載依頼の書簡発見」
http://www.kyoto-np.co.jp/country/article/20180705000138
「 文豪夏目漱石が自作「虞美人草」に対する弟子の評論の雑誌掲載を
編集者に依頼した書簡1通が新たに見つかり、東京古書会館(東京都千代田区)で5日、
報道陣に公開された。
漱石は評論を「在来無比のもの」などと推しており、
中島国彦早稲田大名誉教授(日本近代文学)は
「弟子が優れた批評を書いたことへの喜びと期待が感じられ、大変貴重で興味深い資料」としている。
書簡は6日から始まる「七夕古書大入札会」(明治古典会主催)に出品される。
中島さんによると、評論を書いたのは漱石門下の作家森田草平で、
手紙の受取人は、春陽堂の雑誌「新小説」の編集者だった本多嘯月。」
(京都新聞)
デジタルではここまで。
京都新聞紙面によると
「(本多嘯月)漱石に「草枕」を書かせた編集者でもある。
書簡は11月27日付けで、文面や他の書簡などから「虞美人草」が刊行される直前の
1907年に書かれたとみられる。
漱石は森田の評論を「非常に詳密な研究」「在来無比のもの」などと褒め、
同誌の正月号への掲載を依頼した。
森田の評論は結局、同誌に掲載されず、その後別の媒体に発表されたかどうかも
不明という。
漱石は当時、読売新聞に掲載されていた「白雲子」なる筆名による批評の質に
憤慨していたといい、中島さんは
「それだけに、森田の本格的な文学評論に期する気持ちが高まっていたのではないか」
と分析している。
8日は業者しか入場できないが、6、7日は一般公開される」
-------------------------------------------
https://www.yomiuri.co.jp/
読売
全集未収録、漱石の書簡…文芸批評に不満つづる
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180706-OYT1T50016.html
「 夏目漱石(1867〜1916年)が編集者に宛てた、
「漱石全集」(岩波書店)未収録の書簡が新たに見つかった。
弟子の批評を推挙する文面からは、
当時の文芸批評に対して漱石が抱いていた不満がうかがえる貴重な資料だという。
手紙は、漱石の「草枕」を掲載した雑誌「新小説」の編集者・本多嘯月(しょうげつ)
に送ったもの。
「十一月二十七日」という日付があり、
文面から小説「虞美人草」の刊行を翌年に控えた1907年とみられる。
書簡では、同年6月から10月に朝日新聞で連載した「虞美人草」について、
漱石の弟子である森田草平が「長大なる批評」を執筆中であることを紹介。
「新小説(正月分)に御掲載(ごけいさい)願度存候(ねがいたくぞんじそうろう)」と
同誌への掲載を依頼している。
また、「文壇の批評は逐日真面目なる研究的態度をとらねばならぬ事」として、
当時の評論を「漫罵まんば杜撰ずさんの●窟」と批判している。(●は「巣」の旧字)」
--------------------------------------
漱石のあらたに発見された書簡が、森田草平宛だというので大慌てで
森田の著書を確認してみたら、確かにその経路について書いてあった。
↑おい、慌てて間違えるな…、
森田宛ではない、編集者の「本多嘯月」宛てであるぞ。
森田草平の著作「夏目漱石」(U)によると、
11月15日付で、森田は漱石から懇切な手紙をもらったと書いてある。
以下━
「この秋11月15日付けで、私は先生からきわめて懇篤な手紙をいただいている。
その内容は、しばらく顔を見ないと思ったら、『虞美人草』の批評を書いていられる由、
しかも一批評を書くがためにロシア派を研究、ドイツの哲学を研究、
最後にシラーの伝記まで調べるにいたっては、その態度の厳正にして堂々たる、
敬服に値するというので、当時ドイツに留学中の深田康算氏が『文学論』を批評して
向こうの学会に紹介したいと言って来たことまで引き合いに出して、
私を激励していてくださるのである。
ちょうど十月の末に『朝日』紙上の『虞美人草』が終わったので、
いちはやくその研究に取りかかったものであろうが、どんなことを書いたか、
いまは少しも覚えていない。
上野の図書館へでも行って古い『芸苑』を調べたら、書いてあることだけはわかるだろうが、
さぞ先生の期待に背くようなつまらないものであったろうと思うと、
いまさら暗闇の恥を曝す気になれない。
こうなると、私なぞにとっては、先生から叱られているほうがよっぽど気やすい。」
だぁーー、
書き出してみるだけで、森田のとほほさが分かろうというものだ…。
褒められたらムズいので、叱られているほうがましだと(怒)。
だらしねえ…。だらしねえぞ森田…。
とほほほ。
しかしそんな正直な森田が森田の良さであって、好きな部分でもあったり。
「読売新聞に掲載されていた「白雲子」なる筆名による批評の質に憤慨していた」
という経路についても、森田は書き進めている。
「超えて十八日付けで、小宮君に与えられた書にいわく、
「拝啓、『読売』の白雲子のことなどで、わざわざはがきを寄こす必要があるものか。
寄こすならお笑い草として寄こすべし。
あれで胸糞が悪くなると申すは、『読売新聞』自身に言うべきことなり、
読者はおもしろがってしかるべき論文なり」と。
そして、白雲子なるものはかつて先生のところへ話を聞きに来た雑誌記者で、
先生は玄関先で逢って返されたが、ろくに口も利けないような、神経質の小心な男である。
それだからああいうことを書くのだと説明していられる。」
漱石、白雲子をボロカス(笑)
生粋の江戸っ子でキップがいいから、ちょっとでも気にさわって、気に入らなければ、
徹底的にボロカス。
このあと、森田の記述は、例によって、小宮(豊隆)が漱石をいかに私淑して愛するあまり、
どうのこうのと、弟子たちの漱石の取り合い話へとだらだら進んでいって、
「白雲子」に対しては、これだけで終わる。
上記の新聞記事には、件の森田草平の評論は、
(「新小説」)には「掲載されず、その後別の媒体に発表されたかどうかも不明」と
書かれているが、
森田自身は古い『芸苑』を調べたら書いてあることが分かる、と書きとめている。
もしその頃の『芸苑』が発見されれば、森田の論評ももしかしたら、日の目を見るかもしれない。
…あまり大したものではないかもしれないが…
本人の言うとおり…。
漱石が白雲子なる筆名の雑誌記者に対して、これほどボロカスだったのは、
自分の所に取材に来ながら、漱石本人にろくな話も聞かないで、
手前勝手な浅い論を展開したからではなかっただろうか。
(今でもあるが…質の悪い論評…)
自分の弟子可愛さもあっただろうが、それに比べ、
森田草平はきちんと下調べや、膨大な文献にあたり、真剣に評論に向き合おうとしていた。
その真摯さを漱石は愛したのだろう。
漱石はそのころ、まだ森田の本来の正体(笑)を知らなかったので、
しきりに彼を引き立て、真剣に森田の行く末を心配していたのだと思う。
弟子に甘く、優しかった漱石の一面が垣間見られるようだ。
漱石は、実に世話好きの、将来のある若者好きの、彼らを愛してやまない人だったと思う。
私は森田のことをボロカスに言ってるが、それは彼の渾身の著書「夏目漱石」を読んでいるからだ。
如何に自分がだめな人間か、ばかな奴か、正直に告白しつつ、
そんな人間でも、先生を生涯愛してやまず、
尊敬出来る師を持てたことを生涯の誇りとする森田の、
一世一代の、畢生の、先生への懺悔の名著が「夏目漱石」であると思う。
もし岩波から出していれば、今も絶版にならず、本屋に並んでいたことだろう。
あとがきで本人も書いているが、
もし岩波から出したいと言えば、岩波も喜んで出してくれただろう、
しかし自分は思うところがあるので、他の書店からこの著作を出版したとのこと。
どういう経緯で岩波を避けたのかは分からないが、
出来ることなら岩波から出して欲しかった。
もっと多くの人の目に触れることが出来ただろうから。
これは名作である。

講談社学術文庫
中古しか残ってない(800円…安いけど)
人気ブログランキング
美術館・ギャラリーランキング
芸術・人文ランキング
にほんブログ村
にほんブログ村

10