エフゲーニア・メドベージェワ選手の電撃移籍、というか、
カナダのクリケット・クラブから、もといたロシアのエテリコーチの元
(サンボ70)へ移籍する事が話題になっていた。
スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2020/09/16/kiji/20200916s00079000319000c.html
メドベージェワ、トゥトベリゼ氏と再タッグへ タス通信など伝える
[ 2020年9月16日 ]
「フィギュアスケート女子で18年平昌五輪銀メダルの
エフゲニア・メドベージェワ(20=ロシア)が、
指導を受けるカナダ人のブライアン・オーサー・コーチの元を離れ、
ロシアのエテリ・トゥトベリゼ・コーチの指導を再び受けることになったと
16日のタス通信などが伝えた。
メドベージェワは平昌五輪後の18年5月にオーサー氏に師事する意向を明かし、
トゥトベリゼ氏からコーチを変更。18年世界選手権銅メダルなどの成績を残していた。」
スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ca0984412bbd29a6b37d00f93b8d3b3bd3a79ef
メドベージェワ、トゥトベリゼ・コーチとの師弟関係復活を発表
「最大限の結果を出したい」
抜粋
16日からトゥトベリゼ・コーチの下での練習をスタートし、
「話し合いをし、お互いに理解した。可能な限り最大限の結果を出したい」
とコメントした。
メドベージェワは18年5月、11年間指導を受けたトゥトベリゼ・コーチから離れ、
男子で五輪連覇の羽生結弦(ANA)を指導するブライアン・オーサー・コーチに
師事していた。約2年間、指導を受けたオーサー・コーチについては
「感謝している」とつづった。
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先日のロシアのテストスケートの(メドベの)出来が芳しくなかったので、
急遽決まったものだろう。
サンボ70に籍を置いたまま、カナダのクリケットで指導を仰ぐ形になっていたが、
今回のテストスケートではメドベージェワ選手はかなり失敗をし、
スピンも遅く、あまりよい演技ではなかった。
クリケットで2年間、修行したはずが、
その進化が見られなかったという判断があったのだと思う。
テストスケートではブライアン・オーサーとリモートでやり取りするなど、
クリケットをアピールしていたので、
テストスケートの時にはメドベはまだクリケットを離れる考えはなかったはず。
演技後、結果を受けて急遽決定されたものと思う。
メドベージェワはコロナの最中、カナダから離れ
(クリケットが閉鎖されたためだろう)、
日本を経てロシアへ帰った。
その間、おそらくオーサーとはリモートなり、遠隔での練習をしていたのだろうが、
やはり直接対面で練習するよりは質の良いものにはならなかったのだろう。
(腰を痛めていたようで、そのせいもありテストスケートが不本意な結果だった)
そして今もカナダは封鎖中、カナダへ入国することは困難だ。
その世界中のコロナ禍の中でロシアに残るという、合理的な決断をしたと思う。
オーサーのインタビュー
ロシアン・フィギュアスケート・フォレヴァ2より
オーサーが、メドヴェデワの決断、腰の痛み、そしてボーンの振付けについて語る
https://russianfigureskatingforever.blogspot.com/2020/09/Orser-medvedeva.html
オーサーは寝耳に水だったようだが(当然だろう)、納得して円満移籍となったようだ。
紀平梨花選手が一時、オーサーに師事すると発表されたが、
それもカナダへ渡航するのが不可能だったので、スイスへ行ったのだろう。
そこで振り付けもしてもらっていたので、
もしかしたらカナダへは行かず、そのままかもしれない。
コーチ変更もどうなるか
(彼女の場合はメインコーチは濱田氏そのままだからそれでいいのかもしれない)
カナダは米国・カナダの国境閉鎖措置を10月21日まで延長したらしい
TORJA
https://torja.ca/covid19news_canada0916
カナダ、米国・カナダの国境閉鎖措置を10月21日まで延長へ
羽生結弦選手もカナダへ行くのは難しいかもしれない…
行けるのなら一時でも早く行ければいいのだが。

(写真 矢口亨)
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今回のように、フィギュア選手の移籍やコーチ変更は突然発表されることが多い。
最近、「フィギュアスケートマガジン」を読んでいたら、
羽生結弦選手のカナダへの移籍が決定したのは、2012年4月、
ニースの世界選手権のわずか4週間後だったという。
「カナダ行きの決定は阿部コーチにとっても突然の知らせだったという。」
(「フィギュアスケートマガジン」19ページ)
「真相は当事者にしか分からない」とも書いてあった。
…
今、現在に至るまで、羽生選手の移籍に関する真相は明らかではないのだという。
それは自分にとっても最も知りたいことのひとつなのだが…。
フィギュアスケートマガジン2020-2021 Vol.1
プレシーズン号 B・B・MOOK 【ムック】8月18日
水面下では4週間のうちに、移籍の話が進んでいたのだろうが、
それまで羽生選手のコーチ、阿部奈々美さんにはまったく知らされていなかった。
ニースから帰って来た時、羽生選手は世界選手権で初のメダル(銅メダル)を取り、
テレビで様々なインタビューをこなしていた。
その頃録画はしていないが、動画で見たおぼえがある。
阿部コーチもインタビューを受けていて、
来期も一緒に頑張りましょう、のようなコメントを言っていたのを見たことがある。
その時は既に、移籍が決まっていたはず。
羽生選手はその時、阿部コーチのコメントを聞いて、
どのように思ったのだろうか…。
「突然だし、奈々美も寂しいというのはあったと思います。
でも、上のレベルに上がるために、他の先生に教えを請うというのは
必要だと思っていたから。
結果的にいい方向に進んでいるのでよかったんじゃないかって。」
(阿部奈々美の御主人で羽生選手のスケート靴のエッジの研磨を担当している
吉田氏の話)
阿部コーチと吉田氏夫妻の優しい態度が、
羽生選手の移籍を巡る最終的な結論と言えるのかもしれない。
「フィギュアスケートマガジン」にこの記事を書いた井上将志氏(共同通信)は、
また羽生選手に人生のターニングポイントは、とインタビューして、
「奈々美先生との出会いです」との答えを得ている。
今も「真相は当事者にしか分からない」という謎めいた羽生選手のクリケット行きだが、
選手の移籍やコーチ変更には様々な理由や要因がつきまとう。
ステップアップのためコーチ変更、移籍は自然なことだと思う。
「羽生が悩み、苦しんだことは確かだった。」(井上将志)
「指導者の交代は、どの世界にもつきものだ。
しかし、羽生は成長のために下した選択を、心のどこかで申し訳なく感じていた。」
(同)
羽生選手のクリケット行きは当時(私はその当時のことは知らないが)
ボロカスに叩かれたようだ。
キムヨナのコーチだったオーサーにつくことが許せなかったのだろう。
(自分も当時オーサーを憎んでいた…)
当時は羽生選手はまだ若手で、その頃は浅田・高橋全盛時代で、
先輩ファンが羽生を妬んでボロクソに叩いたのだ。
こともあろうに震災に絡めて…惨い話だ
移籍にはその選手なりの理由がある。
だから、選手の移籍をいちいちボロカスに叩いている人がいると、
悲しくなるのだ。。
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