春に向け、少しずつ細胞が
目覚めかけているのだろうか・・・
最近、元気の出る材料を
自分自身が求めているのがわかる
私の場合は、古い本、雑誌、レコード類
今日、捜し求めていた小説【自由学校】が
ついに手に入った!(*^^*)
過去に読んだが絶版なので見つからなかった
ホームレスさんのことを扱った内容だが
あまりにも愉快だ
彼此30年近く前、京都に住み始めた頃
ホームレスさんの多さに少々驚いた
当時【河原町のジュリー】
(ご存知の方、懐かしいでしょ?)
なるドンもいたっけ・・・
昨年の今頃、京都駅の近くを車で通ったとき
実に折り目正しいホームレスさんを見てしまった
背筋を伸ばしてテーブルに付き
綺麗に作った部屋の中で
湯気の立つスープを、スプーンで口に運ぶ女性
朝靄の中で、映画のワンショットのようだった
あの時、この【自由学校】を思い出した
今の職業(?)に就く前、そして幼少期は
由緒正しいお嬢様や奥様だったに相違ない
人の品性とは、氏、素性、職業その他などとは
全く別のところに存在している
ピーター・メイル【贅沢の探求】
『所有すればするほど、それに縛られて
身動きが取れなくなる』とある
確かに公園のベンチで寝転んでいる
何も持たない人を見て
時折羨ましくなることもある・・・
古い雑誌には、お金がなかった時代の
3畳一間の 家の建て方や
リフォームが載っていたりする
そんなのを見ていると今も昔も人々の興味は
大して変わらない様に思えてくる
古い手芸本を参考に
編物や小物作りをすることもあるのだが
昭和レトロな本の内容は
妙に洒落ていて感心することが多い
欧米のデザインをそのまま
参考にしているからなのだろうが・・・
また、昭和の歌手も歌も
やたらと大人びていてカッコよかった
話すと長くなるのでこの辺で・・・
まあ、こうして徐々に加速を付けていっております
まだ未納品のお客様
どうか今しばらくお待ちになってくださいね
季節柄か、結婚式用の服のオーダーが多い
昨年の今頃も、娘さん時代の付下げや
留袖リメイクのドレスのオーダーを頂いていた
今年は割と簡素で、普通の生地のワンピースや
手持ちのスカートに合わせるブラウスを
とのご注文が殆どで
不安定な世情を反映し
式自体が今年は簡素になっているのだろうか・・・
などと推測してしまう
でもこれは、今年の私にとってはラッキーかもしれない
とにかくオーダーが山積みの上
11月から1月一杯は
割と気分がさっぱりしない時期なのだ
2月生まれの私の新年は
誕生日に近い節分の頃からで
寒さの中にも初春を感じる空気が漂い始めると
まるで冬眠から覚めたように
いきなり元気が甦って来る
ニガリのお陰でずっと風邪知らずだったのに
今年はアデノウイルスに侵され
久々に情けない思いまで味わってしまった
こんな時、一瞬晴れやかな気分になれるのは
水仙の香りを嗅いだときだ
うちも路地の狭〜いスペースの植木鉢に
水仙も数年前から植えてはいるが
地植えで何年も経たないと
この花は綺麗に咲いてくれない
いつも葉っぱだけで花は一輪咲けばいいほうだ
過去、かなり傾倒した作家、立原正秋の小説に
女性が意中の男性に(確か)300本の水仙を送り
男性は、床の間の李朝の壷に入れて
香りを楽しむシーンがあったように思うのだが
華やかさを内に秘めた紬の似合う
日本女性のイメージがある
水仙が好きなのは、自分が全く違うタイプの女なので
余計イメージ的にも憧れを
抱いてしまうせいなのかもしれない
恩師からの賀状を眺めていた
専門学校に通ったのは2年だが
アルバイトをしながらの 自費生活で
校風が厳しく、課題が多い毎日は結構辛いものだった
深夜に及ぶバイトのためか、遅刻や欠席が多く
おまけにジバンシーのような
オートクチュールの技術を学ぶ学校なのに
当時流行していた川久保怜や
ヤマモトヨウジの影響を受け
奇をてらったような服ばかり作っていた
模範生といえるような優秀な
生徒でなかったことだけは間違いない・・・
2年の終わり
専攻科への進路を自分なりに決めていたとき
担任に呼び止められた
『あなたは進級しなくてよい
この学校で学ぶ人ではない
社会に出て働きながら
一人で勉強をする方が向いている・・・』
・・・地に足さえ着いていないくせに
向上心だけは勝っていたので
私は拒絶されたような気になって
かなりの強いショックを受けた
ウエディングドレスを作り
卒業式に出る風潮が多い中で
私だけ着物をモチーフにした
奇妙な原色のカクテルドレスを作って出席した
とにかく色んなコンペで賞を取り、実力を付け
学校や、進級した友人達を見返したい・・・
そんな暗い思いだけを心の隅に持ちながら
卒業後、1年、2年と賞を頂き、3年目・・・
マネキンの着せつけの為、入ったコンペ会場に
母校の学生と専攻科の先生がいらした
その先生とは顔見知り程度の面識だったのに
顔を見るなりこちらに来られ
作品をじっと見つめながら
『あなた、よう頑張らはったなあ・・・』
としみじみ言われた後
黙々と着せ付けを手伝ってくださった
『学校でも、皆で感心してはるえ』
私は、ただ溢れる思いと涙を堪えるのに精一杯で
久しぶりにお会いしたのに
何を話すこともできなかった
母校に対するわだかまりは
その時、綺麗さっぱり解けてしまった・・・
卒業して20年になるが
当時の担任で、後、学校長になられた先生や
デザインと絵の先生方に
色んな形で励ましの言葉を頂き、助けて頂いている
メーカーに入り人を探していると
『では貴女に合う方をご紹介しましょう』
と言って、本当に相性がぴったりの
優秀な女の子を行く先々に送り込んで下さったのは
2年当時の担任の先生である
一番感謝すべきは、当時私が作りたいと思った服が
たとえどんなデザインであれ、決して
『それを作るな』とか
『何だこれは』というような否定をされず
服として最良の形になるように
いつも綺麗な仮縫いをして頂いた事である
下手をすれば仮装行列と成りかねないデザインでも
先生に仮縫いをして頂くと
いつも上品な正しい形でおさまった
本当のプロの実力を目の当たりにし
若さゆえの拙い反発をしながらも
心の底から尊敬していた
あのときの経験がなければ賞は絶対に取れなかったし
今こうして服作りを生業にすることなどあり得なかった
心からそう思い感謝している・・・
100円ショップに
ドールハウスの家具までも
売られていたので驚いてしまった
何でも安く手に入る昨今
相反して手作りブームの到来でもあり
素人感覚の1点物の良さが
見直されたりもしているけれど
大量生産の既製品だって機械が
オートメーションで服を作ってくれているわけではない
これだって知らない誰かの手により作られている・・・
返還の年、仕事でよく香港を訪れた
デザインした服を縫ってくれる工場の見学のため
足を伸ばして【シンセン】という
中国の経済開発区を訪れたことがある
ミシンを踏んでいるほとんどは
20歳に満たない少女だった
抜けるような白い額に頬があどけない桃色で
眼の色も何となく淡かった
部屋に入ると皆、いっせい一様にこちらを見
はにかみながらも好奇心一杯の表情で
同じく一様にこちらを体ごと眼で追う
その間、仕事の手は止まっている
日本資本なので工場の中は設備が整っているが
外は仕事を請う人の列が並ぶ
中にはアピールのために
掃除を始めるような気の利いた人も出てくるのだと
案内してくれた営業マンが教えてくれた
咽るような暑さと埃っぽい町並
慌しい迷彩服の警官、ジープのけたたましい警笛
動物を吊るした店先
運転席と客席の間に鉄柵のあるタクシー
殺風景な暗闇の中に突然現われる、外人客のための
(主に日本人のための?)
きらびやかな高級ホテルのネオン・・・
昔、京阪電車、四条の駅で
裸同然のホームレスの母子に出会い
何で今の時代にと不条理と
憤りで吐きそうな心地になったけれど
あの時と同じようなカルチャーショックを受けた
でも、外で水浴びをし、野菜を齧り
生活している人達の表情は
とてつもなく逞しかった・・・
夜、食事にホテルを出れば、あどけない少女が
一本のカーネーションの花を差し出し
何かを叫びながら追いかけてくる
日本料理とは名ばかりの
うら寂しい居酒屋のような店で
干からびた枝豆などつまみ、熱燗を傾けていると
ついたての奥に何か人の気配が増え・・・
どうやら客が日本人なので集められた
若い女性達のようなのだ・・・
BGMに流れる吉幾三の【雪国】が
冷房の効きすぎた部屋と
心細い心境に妙にマッチし、耳底に残った・・・
【made in china】のタグを見ると
ペニンシュラホテルの高級ラウンジや
100万ドルの夜景と同時に
強烈なシンセンでの一夜、さらに又
中国娘に技術指導のため
何ヶ月も現地滞在していた
本社の独身中年の女性課長の笑顔や
納期のために走り回っていた営業マン
スタッフの涙ぐましい努力が同時に思い出されて
かなり複雑な気分になる・・・
昨年12月、初めてのお客様が来店された
前から何をしているところかと気になっていたが
最近地域の地図の中に
【手作りの店】の看板を入れたのをご覧になり
イテモタッテモの状態でお立ち寄りになられたそうだ
手にはグラニーバッグを提げられていたが
亡くなったお姉さまの手作りで
もうボロボロになってしまった
形も大きさも気に入っているので
裏地をそのまま使って同等品を作って
欲しいというご要望だった
とにかく、物を捨てるということが
できないのだとおっしゃる
私もそのお気持ちはよくわかるし
ここは、どちらかといえばそういうお客様の為の店
という風に考えているので
嬉しくオーダーをお受けした
同じような柄行きの生地を探し
作った後、残り布でお揃いの巾着と
ティッシュケースも作ってみた
古いバッグの生地はいらないとおっしゃっていたけれど
綺麗な柄でまだまだ使えそうだし
ご予算も充分頂いている
ここには病院帰りに立ち寄られるそうなので
保険証入れを作って差し上げた
生地が傷んでいる所にはビーズ刺繍を施し補強した
今日お渡ししたのだが、とても喜こんでいただき
ご本人も編物をなさるので
しばし手作り談義に花が咲いた
誰かが手作りしたものや
思い出の物に鋏を入れるのを
嫌がられる方もいらっしゃるが
私はその丁寧に縫われた縫い目を
一つ一つリッパーで解き
新しい息吹を与えることに躊躇はない
縫い目の中には、結構、経年の砂埃や
傷みや汚れもあるけれど
それは、その方が長い間愛用されてきた証なのである
出来上がったものが、また暫くは持ち主さんと
長いときを共にされるのかと思うと
多少の緊張は感じるけれど・・・
皆様、明けましておめでとうございます!
昨年は格別のお引き立てを賜り
本当にありがとうございました
今年もどうか よろしくお願い致します
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新年と言いつつも
オーダーの数がかなり立て込んできたため
大晦日から毎夜3時4時の就寝という日が続く
そのまま起きて仕事という日もあれば
子供を寝かしつけながらそのまま私も眠ってしまい
再び起きて仕事・・という日もあり
結構不規則だけど
日中は保育がお休みで全く仕事にならないため
深夜のほうがはかどる
又、この静かな時間帯が私は好きだ・・・
(しばらくこの調子で地道にコツコツと
お仕事をこなしてゆきたいと思っておりますので
納品の方、もう少々お待ちくださいませ・・)
新年の楽しみといえばやはり年賀状
公私合わせて私も100枚以上の賀状を出しているけれど
毎年、郵便屋さんのバイクの音が聞こえると
楽しみでソワソワする
賀状でしか 触れ合う機会のない友人や
恩師、疎遠になっている親戚の
副えられた一言や 写真が
とても嬉しかったり励みになったりする
昔の仕事仲間からの賀状もまた楽しい
新入社員で上司の愚痴をこぼしながら
やんちゃしていた女の子が
すっかりお母さん顔になって子供ちゃまと写っていたり
スマートなバリバリの若手営業マンだった男性が
恰幅のいいお父さんになっていたりすると
なんとも微笑ましくてつい頬が緩んでしまう
そんな賀状のお返しに取り出す葉書は
こちらもやはり愛息の写真の入った
プライベートの賀状である・・・
今年一年の抱負は、やはり第一に健康
そして何よりいい仕事をしたい
いい仕事とは、お客様に喜んで頂ける仕事のことだ
今年もできるだけ、ステキな笑顔に出会えるよう
そしてステキな出会いがあるようにと願う・・・