トップ頁に書いているとおり
パソコンが壊れてしまいました(涙)
やっと、代わりのパソコンに慣れてきたところです
おまけに携帯も少し前に無くしてしまい
現在、陸の孤島にいるような状態・・・
メールをしても携帯を鳴らしても繋がらないと
ご心配またはご立腹のあなた・・
実は私も連絡が出来なくて困っています
あと、今現在オーダー頂いているお客様で
御連絡いただいていない方もまだいらっしゃいます
大変お手数ですが
今までどおりのパソコンのアドレスの方に
御連絡下さいませ
どうかよろしくお願いいたします
無くしてしまった画像の
ショックを取り戻すべく
撮影(そんなたいそうな・・・)
にいそしむこの頃です・・・
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●今日、朝、登園の送りから帰ってきたら
生まれたての蝶々が、お花にとまっていました
あまりに綺麗なので、早速画像に収めました・・・
●植物は蔓物が、結構好きなのですが
今年植えた山葡萄のような蔓が
かなり伸びてきました
花もついているので、秋には実がつくのでしょうか?
●最近の我が家のブームは
子供を昭和の子にすることですね・・・
甚平、浴衣、坊主頭、手ぬぐいetc...
実はもっといい写真が撮れていたのにがっかりです
手ぬぐいは、暑い夏、首に巻いていると
汗を吸ってくれ、タオルよりずっと涼しく感じます
最初の一枚の甚平を着せたとき
もっと子供らしくしたいと思って
肩上げをつまんでみたんです
そしたら自分が子供のとき、母とお婆ちゃんが
肩上げを二人でつまんでくれたときの事を
すごくリアルに思い出し
こういう記憶って大事だな・・・と思いました
着せてみたらやたらと可愛かったので
はまってしまい・・・
甚平は背中に竜を背負っているようなのより
昔からある伝統柄のあっさりしたものが好きですね
無地の麻で作ってやろうと思いながら
オーダーに追われてまだできず・・・
秋冬用にネルで作ったらUPして
キッズウエアのコーナーに入れてみたいと思います
お腹の部分が二重になっていて
パンツの中に上衣を入れて寝させると
お腹も冷えないしなかなか機能的ですね
このブームはしばらく続きそうです・・・
坊主だと、後姿が決まる
間抜け顔・・・(笑)
いやあ、それほどでも・・ぽりぽり
まだ撮るの?
ちかれたびー
浴衣を着せると、寝姿が妙に可愛くなります・・
大文字の画像を用意していたのに
トップページの説明どおり
パソコンが大変なことに・・・
一番の心配は、中に入っていた
たくさんの可愛い画像たちですが
気を取り直し
古ーい写真を引っ張り出してみました・・・
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先日、取り寄せの手配をしていた資料が手に入った
雑誌やホームページのカタログを見るとき
一番気になるのが
『その他にもございます』という一言で
そう言われたら取り寄せなくっちゃ・・・と
すぐメールや葉書を送りたくなるたちなのである・・・
これは何故なのかと考えてみると、遺伝・・
あるいはこれまた古い記憶に
影響されていること多々あり・・・と思い当たり
ルーツとはすごいな・・・と実感した
先日ご紹介したRちゃんの
家からお嫁に来た曽祖母は文(ブン)さんというが
かなり頭のきれる人だったらしく
女性蔑視の明治において
すでに今の短大並の教育を受けていた
(ちなみに文さんは、私が生まれる前月に亡くなり
おまけに私の誕生した日がこの人と同じだったため
『生まれ変わりか!』と知能をかなり期待されたらしい
が、何の根拠もない、そのようなご要望には
いまだお応えできていない・・・)
嫁に来たものの、子を成さないうちに旦那が亡くなり
このまま里に帰すにはあまりに惜しいと
義父母が亡き旦那の弟で、文さんより8歳も年下の
私の曽祖父を、次の旦那にしてしまった
当プロフィール文中の
『私に古風な名前をつけた、宝塚の好きな爺さん』
とは、この写真の手前の人で
椅子に座っているのは私です
(写真が古すぎる!・・・笑)
可愛そうなのは、当の弟、金六さんである
当時まだ学生で、裁判所の書記をしながら
関学に通っていたが、絵描き、外国航路の船乗りなど
夢は他にも多々あった
水戸黄門や、吉良上野介を演じていた
【月形龍之介】という往年の名俳優を見ると
『お爺ちゃんの目を細くしたような人だ・・』
と思っていたので、まあまあニヒルな二枚目だった
お世辞にも美人とはいえない年上の古嫁を
親の勝手で押し付けられてしまったのだから・・・
嫁に隠れて密かに色んな資格を取り、計画を立て
いざ出発!というとき
いつも感づかれては、呼び戻された
文さんはこの年下の、二度目の旦那が
かなり気に入っていたらしい
ああだこうだ、茶番劇をやっているうちに
戦争になり、両親の田舎に帰り
いつかまた大阪に戻ろうと思いつつも実現せず・・・
私の知っている金六さんは
これ以降の80を過ぎた爺さんなのである
さて、その記憶・・・墨をササッとすって
【松本かつぢ】の絵のような可愛い女の子を
さらさらと筆で描くと、私に塗り絵をさせ
出来た作品を順番に襖に貼っては喜んでいた
後、鉛筆を何本もキレイに削って
セルロイド製の箱の中に入れてみたり
新聞を読んだ後、ペーパーナイフで切抜きをし
残った新聞紙をB5くらいの大きさに切り揃え
高く積み上げていた
切り抜きは小説や、漢方の本、医学書、
薬のサンプルなどで
B5判の切った新聞紙は何かというと
金六さん用の便所紙(失礼!)だったのである
当時、我家は
当然、水洗になる前の旧式のトイレであり
金六さんの部屋の前に、木の渡り廊下があり
ここからトイレというより厠(かわや)と呼ぶに相応しい
石の手水鉢(ちょうずばち)と
赤い実の南天の木のワンセットになっている
いわゆる落とし込み式のトイレに行くようになっていて
その落っこちそうに怖い四角い穴の右前方に
竹製の籠が二つあり
私たち女用の雪隠紙(せちんがみ・失礼・・・笑)と
そのお手製の、B5版新聞紙を入れたものが
仲良く並べられていた
割と贅沢な人であったので
節約のためでもなさそうであり、
この硬さの方が都合がよかったのか
あるいは単純に紙を切ってみたかったのか
今となっては不明だが・・・・(以上、余談・笑)
で、ハードカバーのかっちりとした重い本が
油紙で丁寧に梱包されて送られてくるのを見ると
何か面白そうなものだな・・・と
子供心に気になったものだ
若い日の夢を果たせないまま
居ついてしまった田舎暮らしは
元来勉強好きな、この人の知的好奇心を
満足させてはくれなかったのだろう
毎日毎日、切抜きをし、色んなものを取り寄せていた
来た本を開いて、スリコギで緑の草を潰して
いわゆる青汁にしてみたり、ドクダミやセンブリの類の
独特の匂いのする薬草を煎じてみたり・・・
墨と、クレパスと、鉛筆の芯と、油紙と、新聞紙と
薬草と、時に芳しい厠の匂いと
部屋を照らす日なたの匂いが
この曾祖父である爺さんの、私の思い出なのである・・・
小学校2年の秋、朝、学校に行くために
いつものように爺さんの部屋を通ったとき
普段と変わらぬ、手枕の格好で眠っていた
しかし、あの時、すでにあの世に召されていたようだ
虫の知らせか前夜、なかなか眠ろうとせず
昔話をやたらとしたがっていた
もう遅いから明日にしましょう
祖母たちが言い聞かせて眠らせた
それが最期になってしまった
若き日の夢は、何故かたくさん授かった息子たちが
それなりに果たし、文さんと同じ88歳で大往生し・・・
ある意味、幸せな人生だったようだ
『取り寄せるのが好き』という癖だけは
レトロな名前を名付けて貰った初曾孫の私が
しっかりと受け継いでいる・・・
犬のお散歩中
まだ青い柿がたくさん落ちています
柿を見ると、また思い出話がしたくなります
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東京のデザインコンペに参加した若い日、東京を訪れた
一緒に出品した友人とセツを見学に行き
友人は京都に帰ったが、私だけ、荻窪の
小さな寺の離れで下宿していた、親戚のお姉さんの家で
4、5日滞在することにした
お姉さんは【母屋のRちゃん】と言い
曽祖母の里の家の子で4才年上の幼馴染
東京の大学を卒業後、秋葉原の出版会社に勤めていた
私は長女だったので、年上の人を見るとかまって欲しく
よくRちゃんの家にも遊びに行った
しぶしぶ習っていたピアノで私が
ブルクミュラーをうろうろしているときも
Rちゃんは既にソナタを華麗に弾いていた
戦火を逃れて、田舎に越し
とりあえず安普請で建てたという、わが家とは違い
地主で旧家だった古い家はいつも黒光りがし
土間に入ると独特の匂いがした
その二階の部屋で、洒落た本などを見せてくれる
憧れのお姉さんだったのだ
お互い進学などで忙しくなり
近所なのに会うこともなくなり
寂しい思いをしていたのだが
大人になってやっと小さい頃の夢がかなったような
実に幸せな滞在だった
朝は布団の中で、綺麗に身支度を整えたRちゃんを見送り
作ってくれていた朝食を食べ
新聞を開きながら今日はどこに行こうかと、考える
池袋の映画館で
小津安二郎の3本立てがあったので出かけて行き
【秋刀魚の味】などを鑑賞した
夕暮れ、荻窪に帰り、向こうに住職の住まいが見える
小さな中庭に面したガラス戸を開け、柿の大木の実が
黄色くなりかけているのをぼんやりと眺めていると
スーパーの袋をたくさん提げたRちゃんが
『●●ちゃん、ただいま!』と、華やいだ声で帰り
夕餉の仕度をしてくれるのだ
食後は自転車の後ろに乗せてもらって日大二校の横を過ぎ
一緒に銭湯につかったりした
部屋は、とても綺麗に片付いていて
贅沢ではないが、きちんと生活している様子が見て取れた
そんな楽しい日が数日続いた
毎日、穏やかな初秋の陽光に照らされた
中庭の柿を見て過ごした・・・
土日を迎える前日
一緒にラグビーの合宿に来ないかと誘われた
会社で部のマネージャーもしているらしい
何の関係もないのに、河口湖までくっついていき
練習を見、夕食を共にし、ミーティングの輪に参加した
監督の小学生のお嬢ちゃんも来ていたので
隅っこで一緒に遊んだりした
大人になっても、RちゃんはやっぱりRちゃんだ
と何だか誇らしい気がしてうれしかった
できればそのまま居残りたかったが
のん気に遊び、持金も帰りの鈍行列車、片道分を
残すのみとなっていたので
翌日、河口湖から出ているバスに乗り
三島駅から電車で一人、京都に帰ることにした
小さい頃から
あまり人に甘えることのできない子供だったけれど
憧れだったお姉さんを独り占めし
思う存分甘えさせてもらえ、幸せだった
バスが三島に着いたのはお昼ごろだったが
鈍行を乗り継ぎ乗り継ぎ、部屋に帰ったときは
すでに深夜を回っていた
コンテストはどうなるかわからないけれど
もうそろそろ、ちゃんとした仕事に
就かなくてはいけないな・・・
一人、例の宮川町のアパートで
天井を見上げながらそう思った・・・
後日、電話で、鈍行のことを話したら
言ってくれれば新幹線のお金、貸してあげられたのに・・・
と優しく言ってくれたけれど、一人でちゃんと
東京で頑張っているRちゃんに
そこまで甘えることはできなかった
鈍行に乗ってみたおかげで、こうして乗り継げば
日本国中、旅することもできるんだなーと
当たり前のことに気付いておもしろかった
でも、そんな旅をすることもなく約一ヵ月後
フリーターを辞め、最初のアパレルでの就職となった
京都の小さなブラウスメーカーでの採用が決まり・・・
思えば、人生3合目の
ちょっとしたバケーションだったのかな・・・とも思う
Rちゃんは、その後
阿佐ヶ谷の綺麗なマンションにお引越しし
私は、もう一度遊びに行きたいと思いつつも機会を得ず
・・・Rちゃんは、やがて奥さんとなり
東京を離れ、以来、川口市に住んでいる
秋が近くなると、あの優しい荻窪の柿の木を
もう一度見てみたくなる・・・
皆様、残暑お見舞い申し上げます
政局も、スペースシャトルも、スポーツも
連日連夜、やたらと緊迫ムードが漂っていますよね
おまけに日中は、体温を越す気温・・・
体も心も、自然と癒しを求めてさまよっています
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いきなり、画像にニョッキリと4本の足が・・・
実はこれ、my leg &愛用品なんです
右側は、とある民芸品店で
定番的に売られているワラ草履
痛むと買い替えをしています
よく見かける値頃な畳草履に比べると
程ほどにいい値段はするんですが
大きさ、デザイン、耐久性、全然違います
ほんとに気持ちよくって・・・
ワラなんで足裏に結構刺激もあるのですが
慣れるといい感じです
左は縮緬風のふっくらとした鼻緒が気持ちの良い
最近よく見る桐下駄で、ワラのに比べると軽いですね
それぞれに履き心地が違うので、服や気分で変えています
また、これに合う服といえば、案外何でも合うのですが
究極は【その他の着物リメイク】(よろしくお願い・笑)
でご紹介しているサルエルというパンツ
股上がゆったりして風が服の中を通り抜けます
あるいは画像のようなインド綿のパンツ
いったんこういうものを着てしまうと
なかなか手放せませんね
リラックスムード全開です
ボディコン時代はぴちぴちの背中の開いた
Tシャツ、ミニスカ、8cmヒールなどを
頑張って履いたりもしましたが、もう絶対にできないですね
自営業の気軽さです
どちらかといえば、タータンチェックやローズプリントなど
ヨーロピアン調のグリーンやピンクを貴重にした
テキスタイルやインテリアが好きなのですが
【無印良品】のコーナー、広々とした店内で
ヒーリング効果のある音楽を聴き
生成りやモノトーン、茶、ベージュなどの色や
天然素材に触れていると、癒されるな〜って思います
かなり前になりますが、東京で無印の(確か)
企画部長のセミナーに参加して
物作りのお話しや、原料の買い付けのことを伺ったとき
『本物だな〜』という手ごたえがあって
以来注目していたのですが
(確かあのカトリーヌ・ドヌーブも
無印愛好家と聞いている・・・)
最近企画が更に充実してきたな〜っていう感じあります
京都駅前、プラッツのコーナーは
子供の服や本、玩具などの品揃えも豊富なので
避暑を兼ねて夏はよく行きますね
さっきまで、夕食のビールを一杯いただきながら
京都チャンネルの洋画を見ていたのですが
コメディ月間とかで、今日は【奇人たちの晩餐会】
かなり笑えて癒されました
ゲラゲラというよりは、フランス映画なので
ムフフ、ニヒヒ、という笑いではあるのですが・・・
まあ、こんな感じで残暑を誤魔化しゴマカし
乗り切りたいと思っています
皆様もどうかお元気で!
暑さは真っ盛りなのに来週は、はや、立秋・・
五条坂の陶器祭りが終われば
大文字の送り火、地蔵盆・・・
暑さはまだまだ続きますが
京の夏は、もう終盤を迎えます・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
若い頃、東山の五条界隈の住処を転々とした
繁華街に近く、家賃も安いところを探したら
いつもこの辺りに行きついたのだ・・・
近所には宮川町の置屋があり
三味線の音色が風に乗り、流れてくることもあった
長屋のような町家が続き、外湯を使う家が多かったので
銭湯も選べるほど何軒もあった
住んでいた築何十年もの木造アパートの一階には
往年の名女優、浪花千栄子によく似た少し癇症の
綺麗なお婆さんが、ひっそりと一人部屋を借りていた
置屋の熟練のお運びさんで
その部屋の隣に共同トイレがあり、洗面所を使っていると
ひょっこりと部屋から出てこられ
よく身の上話に付き合わされた
昔は名家のお嬢さんだったのだけれど
結婚した相手が道楽者で、財産を食いつぶされ
こんな身の上になったのだ・・・
と何度も同じ話しを聞かせてくれた
アパートに当然風呂はなく、洗面器に石鹸とタオルを入れ
湿気の多い路地を潜り抜けて銭湯に行った
気がつくと、白塗りにした舞妓さんが隣に座っていたりして
色街の香り漂う、何とも風情のある町だった・・・
立秋を迎えるこの季節
毎年、五条坂の陶器まつりが催される
地元の清水焼のみならず
全国から名産の陶器がいっせいに持ち寄られ
五条通をはさむ北と南の両側を、川端から東大路まで
テントを張った市がずらっと並ぶのである
時間をかけてゆっくりと、綺麗な陶器で目の保養をしたり
お目当ての掘り出し物を探し出すのは
とても楽しいものだった
夜、銭湯に行くと
期間中京都に宿泊している地方の陶器屋さんが
湯を借りていて、一年ぶりの話題に花を咲かせている
今年も暑いですな・・・次は何処々をまわる予定だ・・・
など、お国なまりのある会話を、湯船につかりながら
それとなく聞いているのも風情を感じ、いいものだった
期間中は、何度も足を運んだ
東大路まで行くのに疲れたときは
五条通りを南北に渡る陸橋に上って反対側の市に降り
元の場所に戻る
休日でない限りは、バイトを終えた夜に行くのであり
真っ暗な陸橋でたった一人、近くに山の見える東に向き
両側に広がる祭りの様子や橋の下を車が通る
普段はあまり目にすることのない景色を眺めていると
既に秋を感じる、涼やかな風がにわかに立ち・・・
何の予測もできない若い日のせいか
夏の終わりを告げる冷気が、妙にざわざわと身に沁みた
私はもう、決して若くはないが
またあの頃と、同じ季節が巡ってきた