大阪に、此花(このはな)という町がある
今までに、二度、訪れた
3月、春の花が咲き始めると
毎年行きたい想いが募る・・・・
この町は、息子の父親・・・
すなわち私の主人の育った町で
結婚の年、まだ生家の残る
今は違う人が住むこの町を
初めて二人で訪れてみた・・・
梅田からもそう遠くない都心のはずなのに
何故か取り残されたような静かな町で
近くにできたUSJの影響もさほど受けず
白く朽ちかけた、コンクリートの古い町並みを
まっすぐ落ちる白昼の陽にさらしている・・・
春になると、残された老人たちが、季節の安い花たちを
ブロック塀の上に飾り、幸せそうに愛でている・・・
案外きれいに区画された
殺風景な四角い街路を、乾いた風と
土埃が通り抜ける・・・・・・
そんな、穏やかな町なのだ
私の母は、隣町の福島出身なので
DNAは多分私にも流れていたのだろう
初めてなのにそんな気がしなかった
何故か懐かしいデジャブを覚えた・・・
『あの頃は、もっと、活気があったんやで』
静けさの言い訳をするように笑いながら
育った町をこよなく愛した同伴者は
言っていたけれど
その頃の活気、すなわち1950、60年代の
路地を駆ける子供たちのサンダルの音・・・
お母さんたちの、華やいだお喋りの声
大輪のピースの薔薇の黄の色・・・
商店から流れるざわめきの音・・・
秋刀魚の焼ける、香ばしい脂と炭の匂い・・・
それは、最近手に入れた、第一世紀【暮らしの手帖】
このページを開くことで
何とリアルに、鮮やかに感じることができることか・・・
まだまだ物資に恵まれない時代
でも、人々は、あたりまえのように元気に働き
物を作り、卓袱台を囲み、ささやかな
でも温かな夕餉を楽しみ、生きる希望に輝いていた・・・
そんな時代を感じたいからか
それとも、今は亡き、その町で育った人の
幼い面影を偲ぶためか・・・
3月4日、結婚記念日の今日
あの町に行きたい想いに駆られながら
暮らしの手帖を開いてみる・・・
100円ショップに
ドールハウスの家具までも
売られていたので驚いてしまった
何でも安く手に入る昨今
相反して手作りブームの到来でもあり
素人感覚の1点物の良さが
見直されたりもしているけれど
大量生産の既製品だって機械が
オートメーションで服を作ってくれているわけではない
これだって知らない誰かの手により作られている・・・
返還の年、仕事でよく香港を訪れた
デザインした服を縫ってくれる工場の見学のため
足を伸ばして【シンセン】という
中国の経済開発区を訪れたことがある
ミシンを踏んでいるほとんどは
20歳に満たない少女だった
抜けるような白い額に頬があどけない桃色で
眼の色も何となく淡かった
部屋に入ると皆、いっせい一様にこちらを見
はにかみながらも好奇心一杯の表情で
同じく一様にこちらを体ごと眼で追う
その間、仕事の手は止まっている
日本資本なので工場の中は設備が整っているが
外は仕事を請う人の列が並ぶ
中にはアピールのために
掃除を始めるような気の利いた人も出てくるのだと
案内してくれた営業マンが教えてくれた
咽るような暑さと埃っぽい町並
慌しい迷彩服の警官、ジープのけたたましい警笛
動物を吊るした店先
運転席と客席の間に鉄柵のあるタクシー
殺風景な暗闇の中に突然現われる、外人客のための
(主に日本人のための?)
きらびやかな高級ホテルのネオン・・・
昔、京阪電車、四条の駅で
裸同然のホームレスの母子に出会い
何で今の時代にと不条理と
憤りで吐きそうな心地になったけれど
あの時と同じようなカルチャーショックを受けた
でも、外で水浴びをし、野菜を齧り
生活している人達の表情は
とてつもなく逞しかった・・・
夜、食事にホテルを出れば、あどけない少女が
一本のカーネーションの花を差し出し
何かを叫びながら追いかけてくる
日本料理とは名ばかりの
うら寂しい居酒屋のような店で
干からびた枝豆などつまみ、熱燗を傾けていると
ついたての奥に何か人の気配が増え・・・
どうやら客が日本人なので集められた
若い女性達のようなのだ・・・
BGMに流れる吉幾三の【雪国】が
冷房の効きすぎた部屋と
心細い心境に妙にマッチし、耳底に残った・・・
【made in china】のタグを見ると
ペニンシュラホテルの高級ラウンジや
100万ドルの夜景と同時に
強烈なシンセンでの一夜、さらに又
中国娘に技術指導のため
何ヶ月も現地滞在していた
本社の独身中年の女性課長の笑顔や
納期のために走り回っていた営業マン
スタッフの涙ぐましい努力が同時に思い出されて
かなり複雑な気分になる・・・