歴史を学ぶことの意義とはこういうことなのでは?
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080314-OYT1T00995.htm
>最高裁の結論は、法律や判例に忠実に従ったものだろう。戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」の再審公判で、最高裁は裁判打ち切りを意味する「免訴」とした。
横浜事件は、1942〜45年、雑誌に掲載された経済学者の論文が共産主義の宣伝にあたるなどとして、神奈川県警特別高等課(特高)が執筆者や編集者ら約60人を治安維持法違反容疑で逮捕し、約30人が起訴された事件だ。
捜査では、激しい拷問で虚偽の自白を強いたとされる。戦後、捜査の中心だった元警部ら3人は、特別公務員暴行傷害罪で実刑判決が確定した。
元被告らは86年以降、4回の再審請求をしてきた。3回目でようやく再審開始が認められた。東京高裁の決定では、元警部らが再審請求した元被告5人にも拷問し、虚偽の自白をさせたことがうかがえる点をその理由に挙げた。
しかし、再審の公判では拷問の有無や自白の信用性などについては、審理されなかった。
新旧刑事訴訟法では、刑の廃止や大赦が行われた時は免訴とする規定がある。免訴理由があれば実質審理はできず、無罪・有罪を判断できないという判例もある。
無実の罪を着せられた人を救済する再審でも、この点は同じだ。それが最高裁の判断である。
戦時下のでっち上げによる言論弾圧に対し、元被告側がはっきり無罪を宣告してもらいたかったという心情は理解できる。だが、法律や判例を超えることはできず、致し方のない結論だろう。
今回の判決は最高裁判事4人の一致した結論だ。だが、裁判官及び検察官出身の2人がわざわざ、戦時中の事件の被告でも免訴判決を受ければ無罪判決と同様、身体を拘束されたことに対して刑事補償が受けられる点を補足した。
戦時中の司法の過ちへの反省を示す一面と見ることもできる。
事件から60年以上、最初の再審請求からも20年以上を経て、再審開始の決定前に元被告は全員死亡し、遺族が引き継いでいる。
この間、元被告や遺族、弁護団の手で復元された終戦直後の判決、作成された元被告の口述書などから、戦時下の言論弾圧の実態が明らかにされてきた。
再審の請求と公判の過程で、二度とそういう時代にしてはならない、という教訓が残された。
近年、人権擁護法案をはじめ、危険なメディア規制をはらんだ法案が議論されている。横浜事件の教訓から学ぶものは多い。