「堕落、拙劣、驕慢」は民主党の本質なので払拭など到底無理でしょう。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100719/stt1007190254001-n1.htm
>先刻の参議院議員選挙の結果、民主党を中心とする政権与党は、過半数を制するに至らなかった。民主党の敗北の理由は、菅直人総理が消費税引き上げの可能性に言及したことにはない。
それは、鳩山由紀夫前総理が「普天間基地」に絡んで披露した迷走と定見の欠落を、菅総理が「消費税」に絡んで再現させたことにある。消費税は、こうした民主党の政権運営における迷走と定見の欠落を炙(あぶ)り出した「触媒」に過ぎない。
≪政権担当能力を示す難しさ≫
「このような政権運営の様で大丈夫か…」という趣旨の不安を国民各層に与えたことが、そもそもの失敗の本質である。加えて、選挙戦中、多くの民主党議員が特に自民党に対する責任転嫁や批判の発言を繰り返したのは、「権力」を握る立場に対する自覚の乏しさを世に印象付けたという意味において、民主党の党勢失速に大きく与(あずか)ったといえよう。
そもそも、過去に一度も政権を担ったことのない政党が、その「政権担当能力」を世に証明するのは、率直に難しいことである。
1924年、ラムゼイ・マクドナルドを首班とする英国政治史上初の労働党内閣が発足した折、その第一次労働党内閣の執政は、僅(わず)かに9カ月しか続かなかった。その後、マクドナルドが1929年に発足させた第二次労働党内閣は、世界大恐慌最中の経済危機への対応に追われた。
マクドナルドは、蔵相に任じたフィリップ・スノウドンとともに、失業手当の縮減を含む緊縮財政策を断行しようとした。けれども、それは、労働組合に支えられた閣内や党内の抵抗に遭い、マクドナルドは、執政の継続を断念せざるを得なかった。
≪英国二大政党も度重なる挫折≫
こうした情勢を前にして、保守党は1931年に、マクドナルドを首班に担ぎ、自由党をも巻き込む体裁で「挙国一致内閣」を樹立させた。マクドナルドを首班とする「挙国一致内閣」は、後にスタンリー・ボールドウィンとネヴィル・チェンバレンを首班とする二代の保守党主導「挙国一致内閣」に衣替えし、1940年まで続いた。
そして、第二次世界大戦中の労働党は、ウィンストン・チャーチルを首班とする「挙国一致内閣」に加わり、その「戦時内閣」の政権運営を支えた。労働党が単独で政権を掌握するのは、第二次世界大戦終結直前、クレメント・アトリーを首班とする内閣が樹立された時点である。
労働党が保守党とともに英国の戦後二大政党体制を担うに足る「政権担当能力」を体得するまでの過程では、度重なる「挙国一致内閣」への参加に伴う経験の蓄積が必要であったのである。
英国労働党の軌跡は、どのような政党であれ、「政権」に関与すれば、自らの政策志向を薄めざるを得ない事情を示唆している。実際、マクドナルドが「挙国一致内閣」を樹立させた折、労働党は彼を除名したけれども、その直後の選挙で大敗を喫したのである。
≪政治家の覚悟問われる局面≫
故に、もし今後の民主党がイデオロギー色の強い政策志向と自らの支持母体に過剰に配慮した政策志向の双方を排除できるならば、自民党は、マクドナルドとスノウドンを担ぎ上げることで「挙国一致内閣」を樹立させた往時の英国保守党のように、民主党主導内閣の政権運営に協力する余地を残すべきであろう。
具体的には、
外国人地方参政権付与法案に類するイデオロギー色の濃い施策の断念は無論のこと、子ども手当の導入や農家戸別所得補償制度の創設を含めて昨年夏以降に民主党が推進した施策を全面的に再考するという前提の下でならば、自民党は、たとえば法人税軽減と消費税増税という方向で民主党との協議に踏み切ることを考慮すべきであろう。
逆にいえば、こうした対応に民主党が踏み切れないのであれば、自民党は、他の野党を糾合しながら、菅民主党主導内閣を徹底して追い込むべきであろう。
選挙戦中、自民党の小泉進次郎衆議院議員は、「政権奪還への最短の道は野党を極めることだ」と訴えたと伝えられているけれども、彼の認識は、誠に至当なものであろう。
現下の民主党の党勢失速は、第一義としては、
民主党の「堕落」と「拙劣」と「驕慢(きょうまん)」に因るものであって、そうした悪しき性向を民主党が払拭(ふっしょく)できなければ、自民党を含む他の野党には、民主党の政権運営を補完しなければならない理由はない。
現下の「ねじれ」情勢の下で、民主党は、「権力」を担う際の負荷に耐えられるのか。片や、特に自民、公明、みんなの3党は、政権から離れた野党として「権力」の誘惑に抗(あらが)い切れるのか。
「与党であること」にも「野党であること」にも耐えられない政治家の姿勢は、結局は、日本の政治全体を窒息させる。今は、与党たると野党たるとを問わず、政治家の覚悟が要請される時節であろう。