2019/10/6

高畑勲展 日本のアニメーションに残したもの に行ってきました。  今日の展覧会

 ずっと行きたいと思っていた高畑勲展、今回はオフ会仲間と行って来ました。名前を意識したのはずっと後だけど、アルプスの少女ハイジとか赤毛のアンとかは小さいころに見ていたので、一番なじみのある映画監督かもしれないんだよね。母を訪ねて三千里は社会人になった時に、丁度朝出る時間にやっていたので見た記憶がある。今回は見るにあたって「太陽の王子ホルス」「かぐや姫の物語(3回目)」を見てから鑑賞。

 今回の展示を見て思ったのは、まず、アニメにおいて監督は何をするのかを自分がよくわかっていなかったことが改めて露呈したこと。そして、それを理解することが高畑勲の業績を理解する事なのだなという事。そして、高畑勲は鼻の形が渥美清そっくりというどうでもいい事である。



 理解したことをざっくり書くと、アニメ制作に置いてロケと美術、そして照明を担当するのは背景美術と色設計であり、レイアウトはカメラマン。そしてコンテは演技と編集を担当しているという事である。そして、映画に映るものすべてを書かなければならないアニメの場合、実写映画の様に偶然映ったものを取り入れるわけにもいかない、そういう意味では最初から緻密な設計が必要である。

 自分がアニメの監督を誤解していたのは、マンガ家でもあった宮崎駿監督が美術とカメラマン、監督と演技すべてを自分でこなすタイプだった為、アニメは漫画を動かすもので漫画家の資質が当然必要と考えていたからである。しかし、高畑監督の仕事を見てみると、コンテやレイアウトのメモから自分でもそれが出来る人ではあるけれど、そのすべてを信頼できるスタッフに任せている。その為に、高畑監督が残したものは膨大な言葉なんだよね。

 今回の展覧会では多くの言葉が残っている。それは企画書に書かれた作品のテーマだったり、コンテに書かれたカメラワークについての指示だったり、上申書に書かれた交渉記録だったりする。それだけではなく、登場人物の心情をグラフ化したものだったり、フローチャートの形もとったりする。つまり、宮崎駿監督がすべて自分で完結させる人なのに対し、高畑監督は自分の考えをまず誰にでもわかる形にしてスタッフに提示しているんだよね。

 正直、これだけの言葉を3時間ばかりの鑑賞時間で読み込むことはできないのだけれど、メモ書きに書かれた太字で塗られた言葉や、それこそ事態を見るだけでその情熱が伝わってくる。あれほどきれいな手書きの文章は見た事が無い、高畑監督があれを書くときはもう自分の中でゆるぎないものができているときなんだよね。

 展示会の最後の方だった為、絵ハガキすら売り切れが多かったのは残念で、特にパンダコパンダの手ぬぐいは欲しかった。そういえば、はるか昔トラビアン同盟の幹部で戦っていた時のコードネームはパンダコパンダだったという事を思い出した。
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タグ: 美術



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