2020/2/2

「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」2019米  今日の映画

「2020年の一月に、ドン・キホーテを殺した男を見に行く」
 タイムマシンで2003年の自分にこういったら、多分信じないだろうしイカれてると思うだろう。そのくらい、テリー・ギリアムのドン・キホーテが完成するとはおそらく本人も含めて思っていなかったのでは。最初に語っていた構想とは大きく変わっているし、制作にこれだけかかったにもかかわらず実際の撮影はわずか3週間と、規模も随分と小さくなっている。しかし、それでもこの物語の価値は全く落ちていないと思う。

 CMディレクターのトビーは、スペインでの最悪なCM撮影に飽きて、かつて自分が撮った作品「ドン・キホーテを殺した男」を撮影した村へと向かう。それは学生時代のかけがえのない思い出だった。しかし、村についてみるとヒロインだったアンジェリカは役者を夢見て町に向かい身を持ち崩し、ドン・キホーテ役のバルデスは狂人として捕らわれていることを知る。成り行きからバルデス、ドン・キホーテを開放した彼は、サンチョ・パンサとして彼の騎士としての探求に同行することになる。



 制作までの20年間という時間はテリー・ギリアムにとっては長かっただろうけれど、ジョナサン・プライスのドン・キホーテとアダム・ドライバーという素晴らしいカードを手元に引き寄せることができた事で、作品の価値は大きく上がったと思う。ジョナサン・プライスは時としてジョン・クリーズのような傲慢さとグラハム・チャップマンの純朴さを併せ持った人物だし、アダム・ドライバーはそれこそエリック・アイドルの鼻持ちならなさとマイケル・ペイリンのロマンチックを合わせたような人物てある。そして、周囲のエキセントリックな人物はテリー・ジョーンズがぴったりだっただろう。きっと、テリー・ギリアムにとって演技指導は簡単だったのではないか。そして、監督としての力はイメージを生み出すことに注力されたのだろう。

 実はこの映画は「バロン」のような奇想の物語ではあるけれど現代を舞台にしているという事で「ラスベガスをやっつけろ」に近い。その為、彼のイメージはその断片が見え隠れする形になっている。しかし、このバランスが結果的には素晴らしいものになっていて、物語冒頭の現実主義者のトビーが物語が進むにつれてドン・キホーテの世界に入り込んでいくさまが見事に描かれているのである。

 この映画を見て、何となくイタロ・カルヴィーノの「不在の騎士」や「まっぷたつの子爵」を思い出した。空想の世界をさまよったドン・キホーテは最終的には勝利を手にすることで自分を取り戻す。そして、トビーはかつて自分が生み出した作品と一体化することで全き人間になるんだよね。

 この映画のラストは「未来世紀ブラジル」に近いという解説があるけれど、私は少し違うと思っていて、ドン・キホーテとトビーを統合した人物になると思っている。なぜなら、彼は新しいサンチョ・パンザとの関係をすんなり受け入れるんだよね。それゆえに、この後の彼の冒険はすでに描かれた物語をなぞるのではなく、全く新しい冒険になると思うのだ。

 そういえば、ギレルモ・デルトロは「我々はだれしもテリー・ギリアムに借りがある」と言っていたが、自分はかつて「ドン・キホーテを殺した男」の制作費をカンパしたのでテリー・ギリアムには貸しがある。それを回収できて本当に良かった。
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タグ: 映画



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