今日の
京都は晴れ。
ちょっと歩いたら
汗が出てきますわ。
こないだ
法務局へ行って来ました。
何の用事て、
旧土地台帳を見てきましたんです。
旧土地台帳ていうのは
明治から昭和の半ばあたりまでの
今の登記簿みたいなもんで
その土地が
どんな人の手を渡ってきたか
わかる帳簿です。
それで何を調べてきたか言うたら
私の
お祖父さんのお祖父さんが
やはったとこを確かめに行きました。
南禅寺にお墓がある(正確には「
あった」)のやけど
そこに彫られてた住所をたよりに
調べよて思たんです。
私の名前と住所、
調べたい住所を用紙に書いて申し込みます。
しばらくすると
古いぼろぼろの10cmくらいの厚さの帳簿を
渡してくりゃはりました。
私の調べたいのは
和国町。
新堺町通仁王門下ったとこです。
明治30年あたりまでやはったはずやし
わかると思たんやけど、
つづられたうすい紙を
指サックでめくって何度も調べたんやけど…
ありませんでした。
他の地方では
明治20年あたりでも
わかるとこがあるらしいけど
京都はわかって35年くらいからみたいです。
和国町は
宝永の大火(1708年)で被災した
堺町丸太町上ルにいた
駒本町の人達を
お上(かみ)が強制的に
現在地に移して作らはった町(ちょう)です。
今は御所の中になってしもてるその地域は
もう調べようがないけど、
せめて明治以降のことを知りたいと思て
法務局へ行ったんです。
そやけど
もう
110年も経ってるしあかんのですね。
戸籍でも
80年前以前の除籍簿は
どんどん廃棄されてます。
つまり
80年前以前に亡くなった人の戸籍は
無くなってる可能性が大きいていうことです。
大都市ほど電子化のために
廃棄が進んでるみたいやし
昔の戸籍とるのやったら
ほんまに早いほうがええみたいです。
こないだ
私の
またまたまたいとこ(ややこしね?!)の人に会いました。
その人のお蔭で
私の
お祖父さんの母方のお祖父さんの戸籍が取れました。
それを見てみたら
その人のお父さんの名前もわかりました。
私の
5代前のご先祖さんですわ。
頑張ってとってみると
まだわかる部分もあるみたいです。
でもこの戸籍も
あと何年後かには廃棄されると思います。
この人の菩提寺はわかってるし
今年のお盆にでも
お参りに行かせてもらおと思てます。
さてこないだの晩御飯。
雑穀ごはん、
さばケチャ、
炒り豆腐(かしわミンチ・たまねぎ・にんじん・エリンギ・にんにく)、
小松菜のポン酢おひたし(かつおぶし、じゃこ)、
きゅうりのどぼ漬け
でした。
ほなまた。

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