ちょっと長いことお休みしてました。
実家の
町家の掃除が
今山場にさしかかってて
パソコンに向かうのも久しぶりです。
今日の
京都は晴れ。
この2,3日ほんまに寒いです。
夜はちょっと出たないですね。
さて
久し振りに書くので
日ごろ思てることを長めに。
こないだ
スポッツさんのブログにも書いて
ああそやなぁて思たことがあります。
それは
「
京都はどこ掘ってもなんか出る」てことです。
「なんか」ていうのは
ほんまにいろいろあるけど
ここでいうのは
遺跡とかお墓とか
それに付随するものとかがある、ていうことです。
つまり
京都の地面の下にはどこもかしこも
「何か」があるていうことです。
ご存じの方も多いと思いますけど
織田信長の作った
二条城の石垣跡が
烏丸通の地下鉄工事で出てきたとき
ほんまにたくさんの
お地蔵さんやお墓が出てきたそうです。
ようそんな罰あたりなことできるなぁて思いますが
まぁ、それなりの罰は当たってますしねぇ。
今は
京都市竹林公園に安置されてますが、
いっぺん見に行った時、
なんとも言えん
寒気がしました。
ちょっと立ちすくむような、
重〜い寒さです。
そらちょっと風邪気味やったけど
それだけやなかったと思いますえ〜
地下鉄工事が
なかなか進まへんかった理由の一つが
今書いたみたいに
地下から
出土物がいっぱい出てきたこと。
それも層になってです。
江戸時代の遺物が出てきたらそれなりの調査しますねぇ。
そしたら
安土桃山とか室町とか研究してる人は
はよその下掘ってほしいわけですわ。
そやけど
その時代の調査をするときは
江戸時代の遺跡があったとしても
それは壊さんとあきません。
そやし
江戸時代の研究してる人は
「
もうちょっと調査させてくれ〜」
とか言わはるやろし
安土桃山以前の研究者は
「
下のもんは待ってんねん、はよせい〜」とか
いろいろトラブったりして
時間かかったとか聞いてます。
(ほんまかどうかは話四分の一で信じてください)
そんなとこでのうても
あっちこっちで
遺跡は見つかります。
そのへんの石にけつまづいたとこ掘っても
なんか出ますやろなぁ。
うちの実家あたりは
平安京の大内裏とか
秀吉の聚楽第とかが
建ってた地域やし
たぶん重なって遺跡が残ってると思います。
「調査してもよろしおっせ〜」とか言うたら
もう喜んで掘りに来やはりますわ。
ほんで
何かものすごいもんが出てきたら
そこは保存されます。
つまり
もう家は建てられません。
まぁもちろん
なんかの保証はあるとは思いますが…
遺跡を残すか
今住んでる人を大事にするか
京都は難しいとこです。
ちなみに
お墓はそのへんでしょっちゅう見かけますね。
こないだ
公園でちょっと小高いとこに上って眺めてたら
足もとの土台が墓石でした(^^;
うちの母校の
砂場も
掘ったらあかん〜て言われてます。
冗談やろ、て掘ってみたら
白骨が出てきたらしいです。
なんせ監獄の跡地やさかいに…
ほかの学校も
体育館作ろうとしたら…
出てきたそうです。
もちろん
供養はしゃはったし
あとは一応「
ノープロブレム」
ていうことになりますが…
そやし
京都は
どこ掘っても気ぃつけんとあかんのです。
怨霊が
神さんになるとこです。
平安時代から
疫病が流行ったら
鴨川が死人で埋まりました。
400年前は全部
戦場になりました。
お寺がいっぱいあって丁度やと思います。
そのお寺は何百年の間に
いっぱい引っ越ししたはります。
ついでに
お墓も移動します。
そやけど骨はそのままです。
地面の下にはそういうものとか
昔の人の想いとか
いろんなもんが詰まってるのと違いますか。
うっかりつば吐いたりしたら
汚いもんほかしたら
なんか出まっせ〜
鴨川のカップルも
気ぃ付けとぉくりゃっしゃ〜
さて脅かしたところで
こないだからの晩御飯3つ。
雑穀ごはん、
青炒牛肉絲、
かしわの肝のたいたん、
大根のどぼ着け、
ゆで栗(おやつです)
雑穀ごはん、
豆乳シチュー
(かしわ・たまねぎ・じゃがいも・金時にんじん・しめじ)、
サバの煮付け、
きゅうりのどぼ漬け
雑穀ごはん、
いわしの煮付け、
山芋とじゃがいもの甘酢炒め(豚肉・にんじん)、
大根のどぼ漬
でした。
ほなまた。

よろしお願いします

0