バンドを前に指揮をさせて頂く度に、「指揮者(指導者)の
存在の重さ」というものを、ヒシヒシと感じている。
これは吹奏楽の世界に限った話ではない。野球でもサッカー
でも、もしかしたら予備校だって、指導者が替われば、選手
や学習者の成長振りは著しく変わる。
スポーツの監督は、生徒達と一緒にプレーする事を許されて
いない。高校野球の監督はベンチから出る事を許されていな
い。ラグビーに至っては、監督はフィールドに降りる事も許
されず、観客席でただ見守るだけなのである。
合唱部と吹奏楽部は、生徒と共に、教師(指導者)も指揮者
として本番舞台に立つ事が出来る。厭でも、観客は目前の指
揮振りを目の当たりにするのである。
不思議な事に、「指揮棒の通りに音が出ている」のである。
指揮者の欠点がそのまま、演奏者に影響を与えているのが、
如実に判る(判られてしまう)のである。だから、恐い!
指揮振りだけでなく、指揮者の持っている音楽性、否、音楽
性の欠如も、演奏の結果として現れてしまう。つまり、普段
の練習時に、どんな所をどの程度まで厳しくチェックしてい
るか、いないかが一目瞭然、判られてしまうのである。
指揮(指導者)って、本当に恐いものだ。私自身、自分の非
力さを日々、自覚させられている。勉強しなければ!
今夜は、本学バンドの合奏(1週間振り)だ。3〜4曲の大
初見大会だ! 難曲ばかりだ。

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