「あなた方は間違いなく、私を尊大な人間とみなすことになるだろう。
(だが)よく聞いて欲しい。私はヨーロッパ最高の監督だ」
チェルシーの監督就任時に、イングランドのジャーナリストを
前にして言い放った、ジョゼ・モウリーニョの言葉だそうだ。
なんだか、今の「サッカー監督」というもののポジションを
極めてよくあらわしていると思う。
「楽に勝てる相手を辛勝にしてしまったのはジーコ監督だろう。
トルシェであったら3-0ないしは4-0で楽に勝てた相手だったと思う。
それをビジョンのない監督になってしまったことで,
あんなていたらくになってしまった。ジーコ自体に責任はない。
そんな監督経験のない人を,有名選手だったという理由だけで監督にした
日本サッカー協会会長の責任だ。本当に困ったことだと思う。」
あるサイトの文章。
前半のトルシエの件はその通り。
とくに「ビジョンのない」のあたりは、ごもっとも。
ワタシが以前書いた「戦術なき3バック」とはまさに、このこと。
今、世界のサッカーは4バック中心で、
しかも中盤は3センターとなっている。
だって3バックの対抗として出てきたのが4バックだから。
しかし。
だからといって3バックがダメということではない。
戦術がしっかりとしていれば3バックでも、
5バックでも勝てるのだから。
ようは「戦術」。
でも後半の件は「?」ってカンジ。
「監督経験のない人を,有名選手だったという理由だけで監督にした」
ことをモンダイにしているけど、それをいうなら
ルーマニアやハンガリー、ドイツ、オランダ、ブルガリアだってそうだ。
今の代表監督は、実質上「監督経験」無しで「代表監督」になっている。
それは、むしろ今のトレンドといってもよい。
ちなみに関係ないけど、
前出のモウリーニョは有名だが、選手経験はない。
誤解を恐れずに言えば、通訳から監督になったといっても良い。
また昨季、彼率いるFCポルトとCLファイナルを戦った
ASモナコのデシャンは引退後いきなり監督になった。
彼らには監督としての「資質」があったということだ。
話を戻す。
つまり「監督経験のないスター選手」
ジーコを「代表監督」に選択したこと自体は決して協会の非ではない。
ただ、その選択した人物に監督としての資質がなかっただけのことだ。
(少なくとも今はね。これからの経験次第では
ビアンチやクーペル、スコラニやルシェンブルゴにもなる可能性はあるハズ)
つまり「ジーコ自体の責任」。
どうして94年のときファルカンを更迭できて今出来ないんだろう?
今は「代表(監督)<クラブ(監督)」という図式だから。
代表監督を何年経験しても、
クラブチーム監督を経験していなければ評価されない。
それはフランスのマルセイユの監督になった当初の地元の
トルシエの評価にも現れている。
(ちなみに現在彼が率いるマルセイユはリーグ3位。
2位とはわずかに勝ち点1差。もっとも4位とも1差なんだけどね。
でもその4位が、昨季CL準優勝のASモナコですよ。
コレってスゴイよ。このままいけば、確実にCLの予選からだし、
2位になればいきなり本戦からだから)
もし、CLに進出できればその時、トルシエは
初めて欧州で評価されるのかもしれない。
あと。
先日、地元紙のスポーツ欄のコラムに「(代表チームへの選手派遣に関して)
日本協会は欧州クラブと対等に渡り合える交渉力を求められる」と書いてあった。
申し訳ないけど、ちょっとププッと笑ってしまった。
言いたい事は、わからなくもないけど
別に日本の協会「だけ」が弱腰とか言う問題じゃないんだけどなぁ。
おそらく今の各国のサッカー協会でもそうじゃない?
クラブチームに対等に渡り合えるところなんてないんじゃないかなぁ。
イタリアだってどこだってそうだと思うよ。
選手にとっても、代表よりクラブのほうが重要という意識が強いからね。
だってさ。
基本的にはクラブは「選べる」けど
「代表チーム」は選べないんだから。
モウリーニョはこうも言っている。
「代表監督に興味はない」
何も彼だけではない。世界各国、色々な監督からも
最近そんな言葉が出ているらしい。
「毎日、トレーニングしてチーム作りをするのが楽しいんだ。
それが出来ないんだ」
だから「代表監督に興味はない」んだそうだ。

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