「トコトン ハテナ」を観る。
「絵を描く」ことについてとりあげていた。
今回の番組コンセプトは
「上手に描く方がいいのか?
それとも、自由に描く方がいいのか?
子どもの絵の評価ってムズカシイですよね。
世の中には学校や企業が主催する絵画コンクールは
たくさんありますが、絵の「良い」「悪い」って
一体誰がどのように決めているんでしょう?
今回は、絵の評価の仕方について考えます。」〜 番組サイトより
ということで、テクニック派と感性派の先生に付いて
「クワバタオハラ」が絵を描いていた。
番組を見て思ったのは、
正直、ワタシは感性で描くと言うのはムリだ。
ということだ。
それをいうときっと「そう言う風に自分を枠にはめているからだ」と
いうんだろうけど、別に描くと言う行為だけではない。
絵に限らず(いや特に絵に関してだが)、
感性を重視するものが大嫌いなのだ。
ジミーちゃんの絵がたまらなく嫌いといえば、わかるだろうか?
ワタシのとって「絵」とは、ハッキリとしたもので、
抽象的でないものなのだ。
マンガやアニメというものがスキなのはまさしくそうだ。
今回も「感性=イメージ」で描く方は、
その指導法にも窮屈さを感じたし、
(別に今回のセンセが特別と言うわけでなく、
だいたい「感性」重視の人は、指導法が窮屈だ。オハラの言い分は正しい)
できあがった絵に関してもなにも感じなかった。
ワタシにとってソレは「ただ絵の具で塗ったモノ」でしかなかった。
「感じ方は人それぞれ」というものは、芸術とは言わないと思っている。
芸術は「等しく全ての人が程度の差はあれ、同じく感じるもの」と思っている。
テクニックで描く方は
わかりやすいし、メソッドがキチンとしているから、
目標やゴールもわかりやすい。
だから集中もしやすい。
そして、ポイントがわかるから不満もでない。
なにより「感性=イメージ」より
心に余裕と言うものが出る。
アイデアは100人いれば、
それだけあるとか言う人がいるが、んなことはない。
ワタシは夏休みの自由研究が嫌いだった。
そもそも
「興味を持つものが同じ可能性があるのに、
わざわざムリやり違う事をすることなんてムリがあるんだから」
しかもどんなに調べても、それは学者、技術者のソレを越える事は無く、
結局のところ、自己満足でしかない。
探求して探求しつくして、それがすでに先人の発見した事だった時の
気持ちとはどんなカンジだろうか?
ショックはでかい。
もっともソコで「先人よりはるかに若くして、
そのレベルにまで達せられたことに、自信を持つ事」が重要だ。
その後のNHKニュースで
「夏休みの自由研究、ネット情報を利用」というのをやっていた。
情報の取得先なんて、限界がある。
昔は、親に、
その後は本に、
そして今はWEBになっただけの事。
これと同じ事なのだ。
物事には「限界がある」ということ。
まずはコレを認識する事が重要。
同じようなものばかりと言うかもしれないが、
重要な事は「同じもの」をまずは学び、得る事だと思う。
そして、それがワタシのサッカー感でもある。
・・・え、最後はそこ!?
「トコトン ハテナ/番組WEBサイト」

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