12/8と言う日をどう記憶しているかによって、アメリカ人を2種類に分類することが出来る。真珠湾攻撃の日としてか、ジョン・レノンが凶弾に倒れて40歳の生涯を終えた日としてか、、、うーむ。論理的には4種類か。両方として記憶している人と両方とも知らない人もいるから。
前者はハワイ早朝なので日本時間と現地時間ともに8日のはずであるが、後者はNYの例のアパートの前であるから、日本時間では9日になっていたはずである。したがって以下に述べる小生の記憶は26年前の1980年12月9日の夜のことと思われる。現地8日の何時ころにレノンが撃たれたか、日本で何時頃ニュースが伝わったかは、調べれば分かるのだろうけど、記憶していない。
その夜(9日)僕たちは京都・深泥池(みどろがいけ)近くの「異魔人」というロック喫茶にいた。今はもう閉店して存在しないのでは。今にして思えばヤンキーっぽい漢字の使い方だが、名前の示すとおり百万遍の「RINGO」同様(こちらはまだ在ります)、ビートルズ・ファン店主の店である。何かのライブの打ち上げだったように思う。当時はすでにヴァンパイア2代目ベースになっていたイチヤと、彼がもうひとつやっていた「MAVO」と言うバンドの連中、スーパーミルク!(僕がSyn担当の第3期)の面々がいた記憶がある。うちのDs.バーシ君は居なかった気がする。
なぜ「異魔人」へ行ったのかは全く覚えていないが、当時僕は近所の岩倉に住んでいたから、それまでに2,3度は足を運んでいたし、自然に車に分乗して現地集合の段取り。少し遅れた僕が着席するなり、マヴォのメンバーのひとりが(名前を思い出せない、顔と口調は鮮烈に覚えている)「ジョンが死んだんよ〜」といつもの九州訛りで言う。「ジョンって、どのジョンや!」「いつ、どこで、どうして!?」「そんなあほな」、、、沈黙、、、そこから先、皆で何を話したか、「異魔人」ではその夜どんなレコードをかけていたか、などは全くすっぽりと記憶が消えている。記憶に残っているのは、彼の悲痛な「ジョンが死んだんよ〜」だけである。毎年この日になると、たまたま「異魔人」に居たという偶然に驚くとともに、彼のその声が聞こえてくる錯覚に襲われる。「ジョンが死んだんよ〜」
今年4月にNYへ行った際には、ダコタ・ハウス周辺へも、セントラルパーク内の「ストロベリー・フィールズ」へも行った。下の写真は某ネット記事からの頂き物だが、この場所には4月にも花や色々な供え物があって、皆、僕と同様にうつむき黙祷していた。
しかしながら、僕がいつも強烈な違和感を覚えるのは、このモニュメントに刻まれているのも、ヨーコが出演する日本のCMで流れるのも、今日か明日多くのラジオ局が流すであろう曲も、判で押したように「イマジン」であることだ。全くもって僕にはこの曲が「ジョン・レノンが残した代表作にして世紀の名曲」とは思えない。暴論か?否!多くのレノンファンが同意してくれるはずだ。これを読んでいる若い人はオヤヂの繰り言と思わず、良く聞きたまえ。「ワタシ、ビートルズではジョンが好きでねえ、やっぱりジョンはイマジンが最高ですよね。」などというオッサンが君の周りにいたら、そういうオトナを信用してはいけません。多分ソイツは赤盤・青盤(2枚組みベスト)しか聞いていない輩にちがいない。
他にナンボでも素晴らしい曲あるやろ。別にイマジンを駄曲とは言わないが。反戦運動のテーマソングみたいに勝手に曲が一人歩きしている状況を一番好ましく思っていないのは天国のジョン本人ではないか?
僕ならソロ作アルバムを一枚選べ、といわれたら決して「イマジン」ではなく、今日のブログ表題の曲も入っている下の一枚を選ぶ。ジョンの書いた曲で一曲選べ!というのは拷問に近いので、3曲に御容赦いただくと
=Mother・・・幼少期のトラウマの吐露。鬼気迫るエンディングの叫び「ママ行かないで!」「パパ帰ってきて!」
=God・・・「僕はキリストを信じない」「xxxを信じない」、、、の連呼と「僕自身とヨーコを信じる」、イマジンより余程力強いメッセージ
=Tomorrow Never Knows・・・中坊の僕を「ロックの世界」へ導いた。シタールって何や!?から僕の音楽嗜好が決まった気がする。ビートルズで一曲選べ!の拷問でも、血の涙を流してこれかなあ。
本当はジョン作・ビートルズの曲で泣く泣く落としたものが沢山あるが、MotherとGodはジョンの人格を語る上で欠かせないでしょ。というわけで、Rememberとこの2曲が入っている下の一枚が「今日の一枚」。


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