2005/11/23

万次郎が暮らした街を訪ねて 番外編 万次郎とRedSox  敬愛する「ジョン・万次郎」

去る11月19日土曜日、知人・Yさんのご好意で車に乗せて頂き、万次郎の縁の地を訪ねた。過去にも2度程、訪れてはいるが、肝腎の万次郎の部屋が設けられているミリセント図書館が閉館日ばかりに当たってしまい、入れてはいなかった。今回、3度目の正直となり、ようやく入館する事が出来たのだ。ボストンを訪れる以前、万次郎に関しては、井伏鱒二の「万次郎漂流記」を読んでいたものの、アメリカに於ける万次郎の活躍ぶりを知る事はなく、フェアへプンに行き地元の人々から聞いた、革新的で才能に溢れ人々に愛された万次郎像は、目から鱗状態だった。今回、初めて万次郎の部屋を訪ね、ブログに記録していく為に、彼方此方の記録を調べて行くにあたり、万次郎とベースボールとの結びつきを見つけた。

メジャーリーグ、遡っては、近代野球の生みの親とも言われているアレキサンダー・カートライトは、1845年頃、ニューヨークのマンハッタンで銀行員をしていた。当時のニューヨークでは、火事が多かった為、ボランティアの消防団を組織し、団員の団結を図り、運動不足を解消する為に、リクリエーションとして「タウンボール」というスポーツを導入した。タウンボールとは、ヨーロッパでは、18世紀からプレーされ、イギリスではラウンダースと呼ばれていた球技が、アメリカで名を変えたものであった。カートライト達はタウンボールのルールを、自分たちに合うように細部を変えてプレーして行った。これがベースボールの起こりとなった。  

カートライトが設定した「基本ルール」例
1、 塁間を90フィートとする。
2、 1チーム9人編成。
3、 ファウルとフェヤーの区別をするラインを引く。
4、 アウト3個で攻守交代とする。
5、 アンパイヤーは「ストライク」とコールする権限を持つ。
6、 ボールを帽子で捕球してはならない。


クリックすると元のサイズで表示します 近代野球ルール生みの親、アレキサンダー・カートライト(消防団の服装)

実は、そのカートライトが、何と、その若き時代、フランクリン号に乗船し、捕鯨船の仲間として万次郎と、同じ時間を過していた事が判った。副船長に選ばれる程、人望のあった『万次郎とカートライトは友人でもあった』との記載だった。☆「ジョン万次郎とその時代」より引用。
捕鯨船フランクリン号は、万次郎と変らず、カートライトにとっても「エール大学であり、ハーバード大学」でもあったのだ。私には、捕鯨船に乗った若き船員達が、世界各地を観て周り、自分達の将来の夢を語り合っている情景が目に浮かんで来るように思えた。当時捕鯨船に乗る事は、命がけではあったが、正にアメリカの若者達の壮大なる浪漫でもあった。やがてカートライトは船を降り、ニューヨークに行き、銀行マンとなる。その傍ら、自分の会社も設立し大成して行くであった。

このカートライトが作ったルールに則ったベースボールは、アメリカ北部と東部を中心に人気を博し始め、1858年には最初の野球協会が発足する。そして1861年から1865年に起こった南北戦争では、南軍の兵士の間でも余暇にベースボールが行われた。カートライトが作ったルールは、アメリカの立法・行政・司法の三権分立のデモクラシーをスポーツに移し変えたようなものであった。ゆえに、兵士達の士気高揚と団結を促すのに役立ったという。戦争の後、このベースボールを経験した兵士達は、故郷に帰り、ベースボールをそれぞれの町で伝えた。これが元で一気に全米へとベースボールが伝授され、各地で野球チームが生まれた。これがプロ野球発生の下地となって行った。

クリックすると元のサイズで表示します 1945年頃・野球を楽しむ風景の絵

尚、カートライトが所属していたニューヨークの消防団チーム「ニッカボッカーズ」には、ハリー・ライト、ジョージ・ライト兄弟も属しており、彼らは、1869年、初めてのプロ野球チーム、「シンシナティ・レッドストッキングス」を発足した。このチームは、経営難で、一旦は潰れてしまうが、ハリー・ライト達は懲りる事無く、本拠地をボストンに移し、現在の「レッドソックス」の祖となるチームを創設したのだった。また、この頃選手の給料は、ポジション別に始めから設定されていたそうだ。

◎以下、MSNニュース・メジャーリーグコラム
http://inews.sports.msn.co.jp/columns/MLB_970.html

クリックすると元のサイズで表示します 足摺岬に立つ万次郎の銅像 手にはコンパスと定規を持ち、遥か遠いフェアヘヴンを見つめている

私の中で、ボストン・マサチューセッツという地名以外、殆ど関りの無かった、「万次郎」と「レッドソックス」の点と点が、捕鯨船・カートライトというキーワードで結ばれ、1つの線となり、繋がっていった。160年の時を超えて、万次郎が、カートライトと共に、ベースボールを楽しんでいる姿が、目に浮かんで来るようで、思わず涙汲んでしまった。

○参考文献
西東  玄 著  「ジョン・万次郎」
永国 純哉 著  「雄飛の海」
川澄 哲夫 編集 「ジョン万次郎とその時代」
佐山  和夫 著  「メジャー・リーグを100年分楽しむ」

○参考サイト
ボストン・レッドソックス公式ページ
MSN-MAINICHI INTERACTIVE ホームページ
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2006/6/30  18:59

投稿者:ほたる

川上様、ご来訪及び、御丁寧なコメントをありがとうございました。

>昨年退職した63歳です。大変面白く興味深く読ませて頂きました。

ありがとうございました。

>実は、私もジョン万次郎に感銘を受けている一人でして、退職を機に、3月末には高知足摺岬近辺の万次郎記念館(新館前)、5月には長崎奉行所跡(歴史資料博物館)などを訪問し、7月にはNantucketからNew Bedfordを訪問する予定です。

そうでしたか。。私は高知には行った事がないです。
幕末を彩った高知の人達の故郷へ是非行って見たいと思っています。

>この歳になっても本当に凄い人生だなと感じ入っております。4代目の中濱博氏の本も読みましたが、御自分の祖先をこのような形で語り継いでいくこと、それを更にお嬢様方に引き継いでいかれる生き方にも感じ入っております。

はい。私もお目にかかって、今も尚ホイットフィールド家と続くご関係に
感動しました。
奥様も、戦前、少女時代をニューヨークで暮らして居られた素敵な方でした。

>それにしましても、よくここまで調べまとめてこられましたね。感心しております。

とんでもないです。メールさせて頂きましたが、
文献等が間違っている物もあり、
添削して頂いた部分の修正も兼ねて、書き直そうと思っています。
アメリカでは、アメリカ200周年に貢献した外国人29傑に
選ばれている英雄ですよね。
是非、ニューベッドホード、フェアヘヴンにもお出かけ下さいね。

>私は現在施設の中高生に英語や数学を教えるボランテイアをしておりますが、彼らがちょうど万次郎の年齢に近いこともあって、その話を英語の教材や人生との関わりとして紹介に使っております。

素晴らしいですね。どしどし万次郎の名を広めて下さい。

>船長への別れの手紙などは格調が高く万次郎の卓越した識見を伺わせるもののようにも感じております。

当時の郵便事情を考え、2通出している辺りにも、賢さが現れていますね。
異国で逞しく生き抜く…このような柔軟性こそ、
これからの人には必要なのでしょうね。

>突然のメールで途惑われたでしょうが、大変立派なHPでしたので一言御礼をと思いメールする次第です。

どうもありがとうございます。また、是非、お立ち寄り下さい。

>御活躍を祈ります。

川上様も、どうぞお元気で…ご活躍をお祈り致します。


☆川上様へ

2006/6/29  21:03

投稿者:川上裕

昨年退職した63歳です。大変面白く興味深く読ませて頂きました。実は、私もジョン万次郎に感銘を受けている一人でして、退職を機に、3月末には高知足摺岬近辺の万次郎記念館(新館前)、5月には長崎奉行所跡(歴史資料博物館)などを訪問し、7月にはNantucketからNew Bedfordを訪問する予定です。この歳になっても本当に凄い人生だなと感じ入っております。4代目の中濱博氏の本も読みましたが、御自分の祖先をこのような形で語り継いでいくこと、それを更にお嬢様方に引き継いでいかれる生き方にも感じ入っております。
それにしましても、よくここまで調べまとめてこられましたね。感心しております。
私は現在施設の中高生に英語や数学を教えるボランテイアをしておりますが、彼らがちょうど万次郎の年齢に近いこともあって、その話を英語の教材や人生との関わりとして紹介に使っております。船長への別れの手紙などは格調が高く万次郎の卓越した識見を伺わせるもののようにも感じております。
突然のメールで途惑われたでしょうが、大変立派なHPでしたので一言御礼をと思いメールする次第です。
御活躍を祈ります。

2005/11/25  1:10

投稿者:ほたるさん

☆すぬさんへ
お出かけ前に、コメント、ありがとうございました。
良いサンクスギビングと、なりますように。。
万次郎とカートライトの繋がりを、もっと知りたくなりました。鯨めがけて銛を投げるには、強肩でないといけないし、野球との共通点も多々ある気がします。
野球のルーツを此方の文献で調べるのにねもう少し、英語力があったらなぁ、と痛感しています。

2005/11/24  20:40

投稿者:ほたるさん

☆コロコロさんへ
NHKにでも、メールして、万次郎を大河ドラマにしてほしい。と言って見ようかしら?真面目に思っています。真実が判る前に、ただの冒険ものとして、書物に書かれたのも良く無かったと思います。「万次郎漂流記」なんて、「東海道中膝栗毛」と似ている面白いだけの印象でした。後にご子息やお孫さんが、ちゃんと書いていますが、何せ直木賞受賞ですから、知名度は上ですよね。司馬遼太郎氏が生きていたら、書いて欲しかったです。万次郎が、開国後の日本に、果たした役割って大きかったと思うのですよねー。。

2005/11/24  20:33

投稿者:ほたるさん

☆やままささんへ
休日もお仕事、お疲れ様でした。
このルール、笑えました。
おそらく、この頃は、まだ、グローブを使っていないと思われます。それに21点先取の勝負だったらしいです。数時間で終わるゲームもあれば、1日かかる時もある。凄いなぁと、思いました。野球の歴史はもう少し、調べて見たいと思っています。

2005/11/24  20:27

投稿者:ほたるさん

☆ととさんへ
GM…全くです。。
今だったら外務大臣くらいに着任して欲しいですね。でも、万次郎もこんなだらしない日本の姿観たら、嫌になってしまうかも?です。
万次郎の故郷には、銅像と共に「ジョンマンハウス」も造られていて、万次郎が旅した七つの海を地球儀でみる事もできるそうです。是非、土佐清水市にも、行って見たいです。

2005/11/24  20:23

投稿者:ほたるさん

☆aoiさんへ
はい。嬉しかったですし、本当に、感動しました。
しかし、あの絵は、初期の頃ですよね。外野もないし、洋服もYシャツに釣ズボンって感じですね。でも、NYのホワイトカラーの人達を集めて始まったゲームだから、プレイしているのは、エリートの人達なのですよね。野球の歴史も、もっと詳しく調べたくなりますね。

2005/11/24  10:46

投稿者:コロコロさん

日本人はもう少し万次郎を知るべきですね。
鎖国してた日本が開国して、いきなり世界に触れて行く中で、とって
も大事な役割を果たしていたんですねー。おまけに(と言っては失礼
ですが)、野球の祖と言われるような人と、同じ船の仲間で友達だっ
たなんて。初めて野球をした日本人かもしれないし、野球の考案に一
役買ってるかもしれないですね。スポーツ関係者も知っておくべきで
すねー。

2005/11/23  21:33

投稿者:やままささん

こちらこそいつもありがとうございます。今日の福岡はポカポカです。もう眠くなりそう。。。
>ボールを帽子で捕球してはならない。
えっ!?初めて知りました。これはいまならアウトだよね。。。どういう経緯で変わったんだろ?

http://diary.jp.aol.com/tb4bw3xscrrb/

2005/11/23  13:03

投稿者:すぬさん

ジョン万次郎とベースボールのつながり、とっても興味深く読みました。
ほたるさん、リサーチ力がすごいですね〜。
万次郎はベースボールに触れた、初めての日本人ということになりますね。
私も感動しました〜〜。

http://gold.ap.teacup.com/sunui/


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