2005/11/30

万次郎暮らした街を訪ねて 第4章 その1  敬愛する「ジョン・万次郎」

ホイットフィールド船長に別れの手紙を書き、サンフランシスコから帰国の途についた万次郎は、アメリカの商船、サラボイド号で、一路ハワイへ向った。ハワイで暮らしている同じ漂流仲間も、出来れば一緒に帰国する気持ちだった。当時のハワイは捕鯨船の休息地であり、様々な情報が集まっていた。ハワイに着いた万次郎が耳にしたのは、まず幕府が「異国船打ち払い令」は解いて居り、捕鯨船に蒔き水くらいは援助するようになっていた事、ロナウド・マグドナルドというアメリカ人が、漂流を装い、北海道から日本に入っていた事、だった。ロナウドは、インディアンの母とスコットランド人の父を持ち、インデアンの祖先は日本人だと信じ、日本に憧れを持っていた。そして父がハドソン湾会社に勤めて居た事から、あの音吉達の漂流話を知る事となり、漂流民を装って日本人の情けにすがろうと、計画を立てたのだ。(当然捕えられ長崎に送られた後、アメリカへ送り返されるのだが、長崎では牢屋越しで、森山栄之助[→注]らに、英語を教えている)

クリックすると元のサイズで表示します 万次郎直筆の美しい英文字
(土佐清水市・ジョン万ハウス)


◎注 森山栄之助
幼い頃よりオランダ語を学ぶ事が、当たり前のように育った。それは森山の家は代々通詞(つうじ)の家系で、父・源左衛門は通詞としては最高位の大通詞になった人でもあったからである。1843(天保14)年3月、24才という若さで、長崎から浦賀奉行所に派遣され、ペリー来航時の通訳として活躍した。

万次郎は、日本への入国する先を琉球(沖縄)と決めた。ハワイからは、3人の内、2人が同行した。既に妻を娶り大工をしていた寅右衛門は、「何処で暮らすも同じ」と帰国しなかった。ハワイを出航後、30余日にて琉球が見える付近に到達した。万次郎達3人は、サラボイド号の船長に別れを告げ、自ら購入し名付けた「アドベンチャー号」という捕鯨ボートで琉球へと向った。翌日の朝、3人は上陸を果たしたが、やはり捕えられ、ボートも持ち帰った品も全て没収されてしまった。(後に万次郎は、咸臨丸で渡米した際も、日本産業への刺激的影響を意識して選び、様々な品を持ち帰ったとされている。ミシン・洋傘・写真の現像機器・薬品等)。

クリックすると元のサイズで表示します 万次郎の写真(捕鯨博物館)

万次郎達は、7ヶ月の取調べの後、薩摩での48日間の取調べを受け、やがて長崎へと送られる。特に琉球での投獄中は簡易な檻であり、外に出て散歩なども楽しんでいたようだが、ひたすら日本詞(日本ことば)を勉強し、脱走する気持ちは無かったようだ。薩摩では、造船・捕鯨・航海術についても、藩主、島津斉彰から質問を受けた。長崎では白州に引き出され、「漂流の次第」の吟味を受ける。万次郎は死罪にならなければ、何にでも耐えうる覚悟が出来ていたようで、堂々としていたという。そして何処でも共通して万次郎が「アメリカについて」語った事は、「亜米利加(メリケ)は大国ゆへ、取るに及ばず」と領土的野心が無い事だった。「英吉利(イギリス)は小国にて」と対外姿勢をイギリスと比較して、執拗に繰り返し続けた。

長崎での10ヶ月の拘留生活の後、土佐に入る事が許される。しかし、また更に50日、取調べの白州に引き出され、「生涯海上の業を禁じ、外国の様子を話すな」と命じられた上、11月12日に、ようやく生まれ育った故郷、宇佐浦に戻る事が出来た。万次郎は10年ぶりに年老いた母と対面できたのだ。しかし、鎖国令を破ったとされた3人への幕府の仕打ちは、情報を得るだけの冷たいものであった。意思の強い万次郎以外の1人、五右衛門は白州での取調べが祟り、33才で狂死したとも言われている。数日後、万次郎だけが土佐藩に呼び出され「定小者」と武士の末端に加えられるが、万次郎の「将軍に直訴してでも開国を…」という夢は叶えられなかった。
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2005/12/14  23:05

投稿者:ほたるさん

☆こおろぎさんへ

読んで頂き、また、コメントを頂いて、
ありがとうございます。とても嬉しいです。

>いまでいう日本人留学生第1号ですね。

はい。仰るとおり、留学生、ホームステイ第1号です。
日本では、まだまだ、知名度が低いのですよね。
知名度というより、偉大さが知られていないのです。
今年、万次郎の曾孫、中浜博氏が、
「ジョン・万次郎 
    −『アメリカ』を初めて伝えた日本人−」
という本を出版されました。私も読みたてですが、
様々な裏付けを取られ、真実に近い情報が書かれています。
とても解り易く、そして楽しく拝読できます。
もし、ご興味をお持ちでしたら、ご一読下さい。

2005/12/14  19:59

投稿者:こおろぎさん

すごく参考になりました。あまり歴史の表舞台にでてこなかったジョン万次郎、実はすごい働きをしたんですね。 いまでいう日本人留学生第1号ですね。

2005/12/3  21:10

投稿者:ほたるさん

☆みきさんへ

ありがとうございます。凄いカルチャーショックです。

>小さな個人博物館があり(Rosenbach Museum & Library)、そこで、万次郎が恩人のホイットフィールド船長に書いた手紙を展示しているのを見に行ったことがあります。

うわぁぁ。凄い!。万次郎が書いた手紙…やはり、アメリカ国内に残されているのですね。フィラデルフィアまで、今すぐ飛んで行きたいです。何だか、すっかり万次郎愛好家?になってしまいました。その上、文字を練習したノートまで…わわわ。感嘆します。駄目だ。日本に帰国するよりフィラデルフィア行きのチケットを取ってしまいそうです。そんな衝動にかられました。
日本語の読み書きを習っていなかった万次郎は、きっと、飢えていたように英文字を習ったのでしょうね。実際、フランクリン号で仙台沖に来て、漁船に出会った時、日本人同士なのに言葉が全く通じなかった。。そんな辛い思いをしています。標準語を作ったり、身分差なく言葉を勉強できる…日本にもそんな時代を作りたかったのだろうと、推察します。福沢諭吉の学問のすすめの礎となった精神も、万次郎から受け継がれていた…と私は信じています。うーん。やはりNHKに投書して、大河ドラマにしてもらわなくては。。アメリカロケ慣行!なんて暁には、フェアヘヴン+フィラデルフィアも、ついて行ってしまいそう。。こわっ。これ、もう、殆ど、びょーきです。

2005/12/3  9:22

投稿者:みきさん

ほたるさんの記事を読み、万次郎の受けた取調べがそんなにも過酷だったことをはじめて知りました。万次郎はほんとに肝の据わった人だったんですね。あと、ロナウドと寅右衛門のことも今回はじめて知りましたが、とても興味深い人物ですね。

フィラデルフィアに住んでいたとき、小さな個人博物館があり(Rosenbach Museum & Library)、そこで、万次郎が恩人のホイットフィールド船長に書いた手紙を展示しているのを見に行ったことがあります。とても綺麗な字で、船長への真心がこもっている感動的な手紙でした。万次郎が字を練習したノートも見ましたが、几帳面で勤勉な性格がうかがえるものでした。日本語の読み書きを知らなかった万次郎は、外国語の文字を学びながら何を考えていたのだろうかと思いました。

http://diary.jp.aol.com/aujzpye6s4d2/169.html

2005/12/1  4:25

投稿者:ほたるさん

☆ととさんへ
知人、友人に聞きました。私も観た事があるようです。(恥)
>aoi さんも見たいとおっしゃってましたが、
ボストンでは、テレビでレッドソックス応援番組なんて、やってますか?

毎週日曜日夕方(シーズンオフも)38チャンネルでRedsox nationの為の番組、「今週のレッドソックス」だそうです。Takiさん曰く、1週間の試合のダイジェスト+コメントとかで、時々日本のスポーツライターに録画して郵送していた、、、そうです。

>日本みたいに選手がスタジオに招かれてインタビュー受けたり、
バラエティ番組に出てたりするんでしょうか。

インタビューは、レポーターが選手の傍へ行って受けてくるようです。選手がバラエティ番組に出るとは、余り聞かないです。チャリティのコンサートとかには、よく出ています。

因みに38チャンネルが選んだ、2005年のMVPは、ティムリンでした。。

2005/12/1  1:18

投稿者:ほたるさん

☆aoiさんへ
五右衛門という人は、ハワイに奥さんを残して来ています。帰国という選択肢を自分で選んだとは言え、辛かったと思います。また、もう一人の筆之丞と言う人は、土佐に奥さんが居たので会いたくて帰国しましたが、既に亡くなっていたようです。10年という歳月の経過の長さと、帰国した彼らに対する扱いを考えるだけで、胸が熱くなりますね。それでも、aoiさんが、興味深く読んで頂いた「音吉」達に比べたら、帰国できて良かったのかもしれないですが、時代の流れとは言え、残酷ですよね。三浦綾子さんの「海嶺」は聖書翻訳の部分は、非常に面白いのですが、異国船打ち払い令の元、日本が見えているのにも関らず、砲撃を受けるシーンは、涙無しでは読めないです。

歴史は、子供の頃から大好きでした。岐阜で育ったせいもあり、戦国時代が得意?でしたが、今で言うならネットサーフィンのように一人の人物、物の云われから、彼方此方の話が発展するので、楽しかったですよ。語り部のように話してくれていた祖母の影響だと思います。因みに、年号を覚えるのは、好きではなかったです。(笑)まともに覚えているのは「鳴くよ鶯平安京」くらいだったかな?

2005/11/30  21:39

投稿者:aoiさん

33才で狂死…可愛そうですね。
自由に行き来できる今に生まれてほんとに良かったです。
ところでハワイは捕鯨船の休息地だったんですか。
ためになります、とっても。
ほたるさん歴史に詳しいのですね。
昔から好きだったんですか?

http://blog.so-net.ne.jp/aoi/

2005/11/30  13:13

投稿者:ほたるさん

☆Takeshiさんへ
お疲れ様です。今日は本当に暖かいです。気持ち悪いくらい。。私が来た頃も、11月の半ば過ぎまで異常に暖かく、気持ち悪かったです。それから急に氷点下の日が続いていたのですが、今日はこんなに暖かい。。変な気候です。ボストンでも風邪が流行っているそうです。どうぞ御自愛下さい。私は、寒い名古屋へ帰国の準備です。

2005/11/30  13:00

投稿者:takeshiさん

ボストンに着きました。
んんん!?なんでこんなにあったかいの?
東京よりあったかいよ?今日は特別かな?

2005/11/30  12:15

投稿者:ほたるさん

☆ととさんへ
長崎は、鎖国中で唯一開かれていた港ですものね。
例の音吉達も、浦賀からでなく、長崎だったら砲撃を受けずに済んだかも?と、言われています。

ランディジョンソンの件、ありがとうございます。

それから、ボストンのレッドソックス応援番組というのは、私は知りません。もしかして、ケーブルTVかも?しれないです。今日、お会いしていたのですが、Takiさんというレッドソックスだけでなく、MLB全体、強いてはマイナーリーグまで、とても詳しい方に、お聞きして置きますね。暫く、お待ち下さいませ。


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