2006/4/11

ジョン・万次郎、直系4代目・中濱博先生を訪ねて  敬愛する「ジョン・万次郎」

縁があってボストンへ行く機会があり、私はボストン近郊の街で暮らしたジョン・万次郎の人となりに興味を持ち惹かれて行った。「ジョン万次郎」に関する本や文献を読み、万次郎が暮らした街、フェアヘヴンを訪れ、その興味は尊敬に変わり、私なりにつたない筆で、このブログにまとめた。そして、その後出会った本によりジョン・万次郎の曾孫にあたる中濱博(医博・心臓外科)先生が、名古屋在住とお聞きし、そのお勤め先にまずは文書で連絡を取ってみた。中濱先生は「ブログ」というツールはご存知なかったが、光栄にも読んで頂ける運びとなった。

そんなある日、お店の電話が鳴った。スタッフが出て「なかはま様から」と電話を回してくれた。私は、お客様からだと思っていたので、中濱先生ご本人と判って驚き恐縮してしまった。中濱先生は、ブログを読まれて、私のジョン・万次郎の熱烈なファンぶりを知られ、とても喜んで下った。そして何と会って下さる事となった。最初はお勤め先を訪れる予定だったが、再び電話を頂き、「どうせなら、万次郎の縁の品もお見せしたいので、自宅へお越し下さい」とまで仰って下さったのだ。中濱先生は、NHKのプロデューサーに会われたり、多くの識者が訪ねて来られたりで、大変お忙しい中、私の為に半日を空けて下さった。

クリックすると元のサイズで表示します 中濱家のジョン・ハヲラン号模型

名古屋市内の閑静な高級住宅街に、中濱先生のご自宅はあった。玄関を入れて頂いた途端、中濱先生ご自身が特注された「ションハヲラン号」の模型が置いてあり、私の目に万次郎博物館さながらの風景が飛び込んできた。冷静になれば、万次郎直系の4代目の中濱先生の家である。当り前の事なのに、私はまだ、夢を見ているような不思議な感じがしていた。奥様も幼少時代をニューヨークで過されたという明るくて素敵な方だった。客間に通して頂き、まず中濱先生は、クリアファイルを取り出され、私が書いたブログのプリントアウトした紙を私に渡して下さった。万次郎について書かれている文献には、間違っている事がとても多く、私が参考にした物も例外ではない為、その間違いの一つ一つを、とても丁寧な解説付きで直して下さってあった。「よく書けているからこそ、直して置きました」。中濱先生のそのお言葉と、赤ペンでの訂正文は、私にとって何よりの宝物となった。

鯨の歯の細工・スクリムショウ クリックすると元のサイズで表示します

中濱先生は、万次郎に纏わる色々なエピソードや、ご自身がアメリカに訪れられた時の話をして下さりながら、本物の「スクリムショー」(鯨の歯に彫り物をした工芸品)を見せて下さった。捕鯨船に乗った船員達が漁をしない時に、このような工芸品を作っていたそうだ。本物のアイボリーからは、150余年の時を超え、その捕鯨船での光景が目に浮かんで来るようだった。そして、中濱先生は床の間を指し「徳川慶喜公から、万次郎に贈られた書です」と教えて下さった。徳川幕府最後の将軍は、「天理を楽しむ(天然・自然の道理を楽しむ)」という言葉を万次郎に贈った。潮に流され漂流という形でアメリカに渡り、その逆境を糧にして逞しく生き抜いてきた万次郎。慶喜公自身も、時代の狭間に生まれ来て、実は万次郎のような生き方が羨ましかったのかもしれない。薄絹に書かれたその大らかな文字から、そんな事を思った。

クリックすると元のサイズで表示します 徳川慶喜公書・中濱博氏所蔵。

楽しい時間は、あっという間に過ぎ、おいとまをする際、私は中濱先生の自著「中濱万次郎・アメリカを初めて伝えた日本人」(富山房)にサインをして頂いた。謙虚なサインと落款まで押して頂き、帰路についた。私が中濱先生にお会いし、その印象から思いついたエピソードは、「万次郎は、不思議な人だ、大名とも話すし、乞食とも話す」という逸話だった。武士として江戸屋敷に住んでいた頃、鰻好きの万次郎は、浅草の「やっこ」という店へよく足を運んだそうだ。その時、残した鰻を持ち帰るので、お店の女将は最初「万次郎はけちだ」と思っていたらしいが、ある日使いの帰りに、両国橋の上から、橋の袂に住んでいる乞食を呼び、分け与えている姿を見かけた。身分差の激しいその当時は、武士が乞食と話す事など到底考えられない事であったのだ。

中濱博先生ご夫妻と筆者 クリックすると元のサイズで表示します

このような万次郎の上下の隔てのない人間同士の付き合い方は、乞食に対してだけではなく、大名や奉行に対しても媚びる事無く対等に話をしたと記されている。だからこそ、「アメリカでは投票によって、賢い人が国主に選ばれる」と主張し続けたのだ。民主主義の国、アメリカで生活し、捕鯨船の中で様々な人種の人達と生活を共にして来た万次郎は、分け隔てのない人と人との付き合い方を身に付けていた。暖かい人間愛…それは中濱先生の暖かさにも引き継がれている気がした。中濱先生もこのエピソードを自著の中で、こう結んで居られる。「正に天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずである」。この言葉は、明治維新後の福沢諭吉氏の言葉だと記録されているが、身分差の激しかった幕末に、真の意味での民主主義者として実行していたのが万次郎だったのは、紛れもない事実だったと言えよう。

◎「敬愛するジョン万次郎」の頁http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/msgcate11/archive

※中浜 博先生は、平成20年4月3日、虚血性心疾患でご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り致します。

・ご葬儀のご予定
通夜 4月7日 18時より
本葬 4月8日 13時30分から
於  カトリック南山教会
    名古屋市昭和区南山町1(朝日新聞電子版より)
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2008/9/10  4:44

投稿者:Kazue Zennie

ほたる様、はじめまして。
Zennieと申します(本名です)。
6月に読売新聞で中濱先生のご逝去の記事を読み、万次郎の子孫でおられる先生のことを検索しておりましたところ、こちらのブログにたどり着きました。
中濱先生をお訪ねになられたこと、素晴らしいご経験をされたのですね。

私は、日本女性経営者の会(JEWL:本拠地ロサンゼルス、異業種交流のための非営利団体)の会員ですが、昨年、日系アメリカ人の歴史をつづった「Bridge of Hope」という歴史本を出版しました。

アメリカで暮らすにつけ、私たちがどんなに先代の日本人、日本人移民、日系アメリカ人の方々が残してくださった恩恵に浴しているか身を持って知ることになり、尊敬と感謝の気持ちを形にしようと本を出版するに至りました。

もちろん本の中には、ジョン万次郎、音吉、彦蔵も載っており、彼らに続く日本とアメリカの架け橋になるべく命をかけた日本人・日系アメリカ人のエピソードが、日英両語で1冊にまとまっています。
もしご興味がありましたらどうぞJEWLのホームページをおたずねくださいませ。
また、詳細はZennieまでメールをいただければ幸いです。

この本は、中濱先生の記事を書かれた読売新聞の記者の方と、その方を通じて中濱先生のご家族にも1冊寄贈しております。
初めてのコメントでマーケティングめいたことを書き込みましたことお詫びいたします。
私もアメリカのそこかしこで日本人の足跡を見ては感動して涙ぐんでしまうことが多々あり、ほたるさんと何か共有できたら嬉しいと思いまして、ご連絡させていただきました。


http://www.jewlusa.org/boh.html

2008/5/3  18:17

投稿者:ぼくあずさ

ほたるさん
ご無沙汰しています。San Antonio に住む学友から Fairhavenを訪ねたとのmailを受領。
彼の承諾を得て5月6日の拙blogに転載予定。乞御高覧。ご健勝をお祈りします。

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/

2008/4/7  11:47

投稿者:fuwacoco

ほたるさん、こんにちは。
先日は、私のブログにコメントありがとうございました。

きっと、ほたるさんのコメントがなければ、
中濱博先が急逝されたことも知らないままだったでしょう。ありがとうございます。

そして、中濱先生との出会い、
素敵ですね。こんな気さくなところは
万次郎の血を感じてしまいました。
それでは。

http://otsuikiki.jugem.jp/

2008/2/7  0:36

投稿者:ほたる

>中浜博さんの書かれた本にも、その、乞食に「やっこ(今でもあります。地元です)」のウナギをあげた話で、「そうなってしまった運命が哀れだからあげるのだ」という話がありましたよね。

はい。温かいお人柄が偲ばれますね。
鬼平で有名な長谷川平蔵氏も、犯罪を犯す無宿人達を温かい目で見て、
飢饉で食べ物を失い、仕事がないからだと訓練を受けさせたりしたようですね。
どの時代にも真の優しさを持った人が居て、心が温まりますね。

>慶喜と万次郎の運命といったら、これはもう、誰がそんなすごい運命を生きたか?!ってくらいの運命ですから、それを楽しむという、その心持ちを慶喜と万次郎が共有していたのが、感動です!!

そうですね。文中にもありますが、私も文字を眺めながらそう思いました。

>また、改めて書き込ませて頂きますが、大変貴重なお写真と情報、ありがとうございました。

いえいえ。是非、捕鯨博物館や
(お問い合わせの船は常設されていますし、万次郎氏の事も写真と共に展示されています)
フェアヘヴンのミリセント図書館へ、お出かけ下さい。
万次郎氏が住んだという家は、持ち主が変わり、手入れされていなくて残念ですが、
(中濱先生宅には、その家の暖炉の前で撮られた写真もありました)
残っています。この道を万次郎氏が歩いたんだなぁ…と思うと感慨深いです。

>まずは、ご挨拶まで。

ありがとうございます。
ヨゼフ・ヒコについては、この欄のコメントでスパイラルさんが、詳しく書いて下さっています。
もし未だ読まれて居られないのでしたら、
コメント欄の始めの頃(ページ2)に進まれまして、読んで頂けたらと思います。


☆tomoeさんへ No3

2008/2/7  0:35

投稿者:ほたる

>中浜博先生の著作では、万次郎が川路聖膜のところにいたとか、岡田以蔵が護衛についていて、墓石を楯にして、以蔵が暗殺者を斬ったとか、幕末ファンとしても興味深い話がたくさんありましたが、でも、なんと言っても、この「楽天理」です!!!!

私は詳しくないのですが、岡田以蔵の人生も、一冊の本になりそうだと思っています。
『天理を楽しむ』…たおやかで素晴らしい筆跡ですよね。
当時は代筆では無かったと思いますので、正に直筆…希少で拝見できて光栄でした。

>ありがたくて、涙出てしまいます。万次郎もファンですが、慶喜もファンですので。

そうでしたか。。

>勝海舟の話で、明治30年くらいになって、謹慎していた慶喜がはじめて皇室を訪れた後で、それを周旋した海舟に、お礼をいって、ここに「楽天理」と書いて下さいと頼んだ、というのがあるのですが、それと同じ字を、自分が書いて万次郎にあげていたというのが、感動しました。


はい。ご自分の人生(運命)をも重ねて居られたように思います。

>これは、いつ頃書かれて、万次郎にくれたものだったのでしょう?

ごめんなさい。この件については、詳しくお聞きしていないです。
中濱先生のご名刺を頂いているので、機会を見つけてお尋ねしたいと思います。


>将軍の時代には、さすがにこんなことを書いている暇もなかったと思うので、明治になってからかと思いますが、明治になって、慶喜が謹慎してからも、万次郎とは交流があったのでしょうかね。とても興味あります。

万次郎氏のお話は、きっと慶喜公も楽しみになさっていたと思います。
でも、維新後約3年後に脳梗塞になられて以降は、
写真から拝見しても、若干後遺症が残ったように思われます。残念です。



☆tomoeさんへ No2

2008/2/7  0:31

投稿者:ほたる

tomoeさん、ご丁寧なメール及びコメントをありがとうございました。

>わたしも万次郎の大ファンで、こちらをみつけ、狂喜乱舞してしまい、まだ、全てを読んでいませんので、読んでから書け!なんですが、失礼して、中浜博先生宅ご訪問のところにだけ、コメントさせて頂きます。

ありがとうございます。幕末についてとてもお詳しいのですね。

>わたしは、幕末ファンのアメリカ在住者なので、音吉、万次郎、彦蔵にはそれぞれ多大な興味を持っておりますが、万次郎はなんといっても、かっこいい。

そうですね。鯨捕りも名手だったようで、
ニューベッドフォードやフェアヘヴンの人達にも、尊敬されていました。

>音吉は精神世界の方、彦蔵は文科系ですが、万次郎は、体育会系なのがかっこいいです!

3年で専門学校までの知識を身につけたという、知力も凄かったと思うのですが、
確かに体育会系…仰るようにそういうイメージですね。

>船乗り、クジラ取りとして、出世していくところや、二丁拳銃でゴールドラッシュの荒くれ者に混じるところなんか、たまらないです!!(河田小龍の肖像絵は、あんまりですが。)

あの時期、西海岸に渡って帰国資金を稼ぐという発想に至る所が凄いですよね。
フェアへヴンには、万次郎氏の壮年期の貴重な写真が残っています。
確かミリセント図書館は、日曜日が閉館日なので、
お問い合わせの上、お出かけ下さいね。



☆tomoeさんへ No1

2008/2/7  0:04

投稿者:ほたる

>その後(昭和52〜53年?)一度だけ主人公万次郎の
ドラマがありましたが、それ以来はなく、残念ですよね。
中濱氏の御著書からドラマ化も期待したいですね。

はい。大河ドラマになっても良さそうに思います。
良い脚本家の方に書いて欲しいです。

>中濱氏の御著書は図書館にあることがわかり、明日借りてくる予定です。
ほたるさんのブログを開きながら、読もうと思っています。

重なりますが、ありがとうございます。

>興味深いブログに出会えて、嬉しく思っています。
ありがとうございました。

此方こそ、ありがとうございました。
ご存知とは思いますが、大黒屋光太夫の生き方にも感銘を受け、
三重の光太夫記念館も行ってきました。
音吉記念館も知多半島に出来るといいなぁ…と願っています。


☆五十路さんへ No2

2008/2/7  0:03

投稿者:ほたる

五十路さん、ごめんなさい。
以前はコメントを頂いてもメールが来るという設定をしていなくて、
お返事が、こんなに遅くなってしまいました。本当に申し訳ないです。

>はじめまして-☆ 万次郎ファン歴約35年、名古屋近郊の主婦です。

五十路さんには、この記事を切っ掛けにコメントを頂くようになったのですね。
ありがとうございます。

>先日、某地元紙に中濱博氏の御著書の広告掲載を見て検索の折、
こちらのブログに釘付けになってしまいました。

ご著書は、もうお読みになられましたよね。
中濱先生は、とても温かい方でした。お会い出来て光栄でした。

>中濱氏も他の方もおっしゃる通り、とても素晴らしい記事になっていると、感銘を受けました。

とんでもないです。文献や他の方の著書等から調べたのですが
間違いも多いそうで、全てを校正して、直したいと思いつつ、今に至っています。

>私と万次郎の出会いは、「掘った芋いじるな」ですね。
このいわゆる「万次郎メソッド」は今でも支持者がいるほどで、
中学生だった私にも目から鱗でした。

現地では、そう言った方が、本当に通じるのですよね。

>もちろん、彼の体験と彼の柔軟性、吸収力も衝撃的でした。

船長が目に留めたという適応力も凄いと思いました。

>昭和51年発刊の「ジョン万次郎の一生」(成田和雄著)で
万次郎の直筆レターを見た時、誠実そうな筆跡に再び感動!

私はアルファベットを見ましたが、
几帳面な文字ですよね。仰るとおり誠実さを感じます。

>また、中濱博氏が身近にいらっしゃること知り、うれしく思うと共に
ご執筆を期待したものでした。

そうなんです。名古屋大学ご出身で、ずっと(野球はお好きではないそうですが)
ドラゴンズのチームドクターもなさっていたそうです。
中濱先生は、スペインへ留学なさっていて、ヨーロッパにも精通されているようでした。


☆五十路さんへ No1

2008/2/1  14:49

投稿者:tomoe

わたしも万次郎の大ファンで、こちらをみつけ、狂喜乱舞してしまい、まだ、全てを読んでいませんので、読んでから書け!なんですが、失礼して、中浜博先生宅ご訪問のところにだけ、コメントさせて頂きます。

わたしは、幕末ファンのアメリカ在住者なので、音吉、万次郎、彦蔵にはそれぞれ多大な興味を持っておりますが、万次郎はなんといっても、かっこいい。音吉は精神世界の方、彦蔵は文科系ですが、万次郎は、体育会系なのがかっこいいです!船乗り、クジラ取りとして、出世していくところや、二丁拳銃でゴールドラッシュの荒くれ者に混じるところなんか、たまらないです!!(河田小龍の肖像絵は、あんまりですが。)

中浜博先生の著作では、万次郎が川路聖膜のところにいたとか、岡田以蔵が護衛についていて、墓石を楯にして、以蔵が暗殺者を斬ったとか、幕末ファンとしても興味深い話がたくさんありましたが、でも、なんと言っても、この「楽天理」です!!!!

ありがたくて、涙出てしまいます。万次郎もファンですが、慶喜もファンですので。

勝海舟の話で、明治30年くらいになって、謹慎していた慶喜がはじめて皇室を訪れた後で、それを周旋した海舟に、お礼をいって、ここに「楽天理」と書いて下さいと頼んだ、というのがあるのですが、それと同じ字を、自分が書いて万次郎にあげていたというのが、感動しました。
これは、いつ頃書かれて、万次郎にくれたものだったのでしょう?将軍の時代には、さすがにこんなことを書いている暇もなかったと思うので、明治になってからかと思いますが、明治になって、慶喜が謹慎してからも、万次郎とは交流があったのでしょうかね。とても興味あります。

中浜博さんの書かれた本にも、その、乞食に「やっこ(今でもあります。地元です)」のウナギをあげた話で、「そうなってしまった運命が哀れだからあげるのだ」という話がありましたよね。慶喜と万次郎の運命といったら、これはもう、誰がそんなすごい運命を生きたか?!ってくらいの運命ですから、それを楽しむという、その心持ちを慶喜と万次郎が共有していたのが、感動です!!

また、改めて書き込ませて頂きますが、大変貴重なお写真と情報、ありがとうございました。

まずは、ご挨拶まで。


www.tomoland.net/nagamimi/

2006/9/4  13:39

投稿者:五十路

はじめまして-☆ 万次郎ファン歴約35年、名古屋近郊の主婦です。

先日、某地元紙に中濱博氏の御著書の広告掲載を見て検索の折、
こちらのブログに釘付けになってしまいました。
中濱氏も他の方もおっしゃる通り、とても素晴らしい記事になっていると、感銘を受けました。

私と万次郎の出会いは、「掘った芋いじるな」ですね。
このいわゆる「万次郎メソッド」は今でも支持者がいるほどで、
中学生だった私にも目から鱗でした。
もちろん、彼の体験と彼の柔軟性、吸収力も衝撃的でした。

昭和51年発刊の「ジョン万次郎の一生」(成田和雄著)で
万次郎の直筆レターを見た時、誠実そうな筆跡に再び感動!
また、中濱博氏が身近にいらっしゃること知り、うれしく思うと共に
ご執筆を期待したものでした。

その後(昭和52〜53年?)一度だけ主人公万次郎の
ドラマがありましたが、それ以来はなく、残念ですよね。
中濱氏の御著書からドラマ化も期待したいですね。

中濱氏の御著書は図書館にあることがわかり、明日借りてくる予定です。
ほたるさんのブログを開きながら、読もうと思っています。

興味深いブログに出会えて、嬉しく思っています。
ありがとうございました。



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