2006/11/28
「硫黄島からの手紙」Vol 1…「散るぞ悲しき」を読んで 好きな映画と本(一部ネタバレあり)
国の為 重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
-栗林忠道 辞世の句-
梯 久美子著の「散るぞ悲しき」は、日本軍の硫黄島総指揮官であった栗林中将を主人公に、栗林中将が硫黄島から家族へ宛てた手紙を引用しながら、栗林中将の温かい人間愛を描いている。飲み水は涸れ、弾丸尽きる凄惨な戦場と化した硫黄島で、本土防衛の最前線として、兵士達は、国の為というより自分達の家族を守る為に戦った。その総指揮官・栗林中将の命令は、玉砕を許さず最後の1人となってでも、米軍による本土空襲の盾となれというものだった。自らも、それまでの指揮官の死に様…前線の後ろで自決という形を取らず、身分を示す中将の階級章を外して最前線に立った。以下は、3月25日、出撃前夜、栗林中将が述べた当時生き残っていた全将兵に呼びかけた訓示である。(数少ない生還者の一人…大山純軍曹の証言より)
「散るぞ悲しき」…梯 久美子著(新潮社)
「予が諸君よりも先に、敵陣に散る事があっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦いに敗れたりと言えども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功を讃え、諸君の霊に対し、涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」
この呼びかけの中で「予は常に諸子の先頭に在り」と宣言したとおり、栗林中将は、最後の攻撃時、約400名の師団の先頭に立った。陸上自衛隊幹部学校、硫黄島現地研修用の資料には「師団長(兵団長)自らが突撃した例は、日本軍の戦史・戦例にはない。この総攻撃は極めて異例のものである」と記されているという。栗林中将率いる部隊は、沿岸に沿って擂鉢山方向へ南下、翌26日午前5時過ぎに、米・海兵隊と陸軍航空部隊の野営地を襲撃した。日本軍の組織的抵抗は、とっくに終ったと思い込んでいた米兵達は、パニックに陥り、死傷者170余名を出した。更に生き残った日本兵は、既に米軍の手に落ちていた、千鳥飛行場に突入し、その場所で殆どが戦死を遂げた。
奥に飛行場が見える硫黄島の全景。
別冊宝島掲載写真(小笠原村)写す。
米軍は、勿論この時の攻撃が、栗林中将の指揮とは知らなかったが、これまでの「バンザイ突撃」どころか、物音一つ立てず整然と攻撃して来た兵士達に不意を突かれ思わぬ被害をこおむった事となった。後に「米海兵隊戦史…硫黄島」で、「3月26日早朝に於ける日本軍の攻撃は、万歳攻撃ではなく、最大の混乱と破戒を狙った優秀な計画だった」と評している。この攻撃で栗林中将は、途中で大腿部に重傷を負ったが、司令部曹長に背負われて尚、前進した。その後は、出血多量で死亡したとも、最前線で拳銃を使っての自決…とも伝えられているが、残念な事に、この絶命の時まで部下達と共に戦った栗林指揮官の最後を見届けた者は、誰一人として生還していない。(勿論、栗林中将の遺体は見つかっていない)。そして栗林中将が息耐えたとされるこの朝、硫黄島から西1380キロの沖縄・慶良間列島に米陸軍第77師団が奇襲上陸し、住民をも巻き込み、10万人を超す民間人犠牲者を出した沖縄戦が始まった。
私は、先月、映画「父親達の星条旗」を観て、アメリカ軍を苦しませた日本軍の指揮官の戦略と、その人間性に興味を持った。その指揮官…栗林氏は、第二次大戦が始まる前、陸軍大学校の成績優秀者として、アメリカ留学を経験し、アメリカの大恐慌前の空前の好景気にカルチャーショックを受けた。そしてアメリカと日本との工業力の差=国力の差を、肌で実感し、帰国後妻の義井さんに「米国は、世界の大国だ。日本はなるべくこの国との戦いを避けるべきだ。その工業力は偉大だ。米国の戦力を過小評価してはならない」と語ったという。しかし、その後の日本は、栗林氏が、アメリカ留学の実績を買われ、初代カナダ公使館附武官となった1931年に起きた満州事変を切っ掛けに、日本軍部内でも、統制派と皇道派に分れ、栗林氏の帰国直後には、統制派の永田鉄山氏が暗殺され、更に2.26事件が起き、戦争への道をひた走ることになるのであった。
栗林氏によるハーバード留学中に家族へと送った絵手紙から、硫黄島からの手紙まで収録されている。
「散るぞ悲しき」を読み進むと、愚かで残酷な戦争の歴史とは裏腹に、栗林氏の温かい人間性が浮き彫りになってくる。硫黄島での戦いの中で、日本兵を一番苦しませたのは「渇き」であったが、栗林氏は、騎兵将校でありながも「馬を歩かせると水を沢山飲む」と下級兵士と一緒に自分も歩き、一日一本の水筒の水で済ませたという。地理的に亜熱帯に属する硫黄島で、しかも穴を掘れば火山のマグマによる熱も伝わり40度を越える温度の中、「渇き」との戦いは想像を絶するものであったに違いない。皮肉にも、アメリカ兵が、あの星条旗を掲げたポールは、日本軍が集めた貴重な雨水を供給し、命を繋いで来た貯水槽のパイプであった。尚、栗林氏の人間性などについては、「玉砕総指揮官の絵手紙」(小学館)も参考にしながら、改めて書きたいと思っている。
※文中、栗林忠道氏の地位については、戦死後「大将」となるが、共通して「中将」とした。
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-栗林忠道 辞世の句-
梯 久美子著の「散るぞ悲しき」は、日本軍の硫黄島総指揮官であった栗林中将を主人公に、栗林中将が硫黄島から家族へ宛てた手紙を引用しながら、栗林中将の温かい人間愛を描いている。飲み水は涸れ、弾丸尽きる凄惨な戦場と化した硫黄島で、本土防衛の最前線として、兵士達は、国の為というより自分達の家族を守る為に戦った。その総指揮官・栗林中将の命令は、玉砕を許さず最後の1人となってでも、米軍による本土空襲の盾となれというものだった。自らも、それまでの指揮官の死に様…前線の後ろで自決という形を取らず、身分を示す中将の階級章を外して最前線に立った。以下は、3月25日、出撃前夜、栗林中将が述べた当時生き残っていた全将兵に呼びかけた訓示である。(数少ない生還者の一人…大山純軍曹の証言より)

「予が諸君よりも先に、敵陣に散る事があっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦いに敗れたりと言えども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功を讃え、諸君の霊に対し、涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」
この呼びかけの中で「予は常に諸子の先頭に在り」と宣言したとおり、栗林中将は、最後の攻撃時、約400名の師団の先頭に立った。陸上自衛隊幹部学校、硫黄島現地研修用の資料には「師団長(兵団長)自らが突撃した例は、日本軍の戦史・戦例にはない。この総攻撃は極めて異例のものである」と記されているという。栗林中将率いる部隊は、沿岸に沿って擂鉢山方向へ南下、翌26日午前5時過ぎに、米・海兵隊と陸軍航空部隊の野営地を襲撃した。日本軍の組織的抵抗は、とっくに終ったと思い込んでいた米兵達は、パニックに陥り、死傷者170余名を出した。更に生き残った日本兵は、既に米軍の手に落ちていた、千鳥飛行場に突入し、その場所で殆どが戦死を遂げた。
奥に飛行場が見える硫黄島の全景。

別冊宝島掲載写真(小笠原村)写す。
米軍は、勿論この時の攻撃が、栗林中将の指揮とは知らなかったが、これまでの「バンザイ突撃」どころか、物音一つ立てず整然と攻撃して来た兵士達に不意を突かれ思わぬ被害をこおむった事となった。後に「米海兵隊戦史…硫黄島」で、「3月26日早朝に於ける日本軍の攻撃は、万歳攻撃ではなく、最大の混乱と破戒を狙った優秀な計画だった」と評している。この攻撃で栗林中将は、途中で大腿部に重傷を負ったが、司令部曹長に背負われて尚、前進した。その後は、出血多量で死亡したとも、最前線で拳銃を使っての自決…とも伝えられているが、残念な事に、この絶命の時まで部下達と共に戦った栗林指揮官の最後を見届けた者は、誰一人として生還していない。(勿論、栗林中将の遺体は見つかっていない)。そして栗林中将が息耐えたとされるこの朝、硫黄島から西1380キロの沖縄・慶良間列島に米陸軍第77師団が奇襲上陸し、住民をも巻き込み、10万人を超す民間人犠牲者を出した沖縄戦が始まった。
私は、先月、映画「父親達の星条旗」を観て、アメリカ軍を苦しませた日本軍の指揮官の戦略と、その人間性に興味を持った。その指揮官…栗林氏は、第二次大戦が始まる前、陸軍大学校の成績優秀者として、アメリカ留学を経験し、アメリカの大恐慌前の空前の好景気にカルチャーショックを受けた。そしてアメリカと日本との工業力の差=国力の差を、肌で実感し、帰国後妻の義井さんに「米国は、世界の大国だ。日本はなるべくこの国との戦いを避けるべきだ。その工業力は偉大だ。米国の戦力を過小評価してはならない」と語ったという。しかし、その後の日本は、栗林氏が、アメリカ留学の実績を買われ、初代カナダ公使館附武官となった1931年に起きた満州事変を切っ掛けに、日本軍部内でも、統制派と皇道派に分れ、栗林氏の帰国直後には、統制派の永田鉄山氏が暗殺され、更に2.26事件が起き、戦争への道をひた走ることになるのであった。

「散るぞ悲しき」を読み進むと、愚かで残酷な戦争の歴史とは裏腹に、栗林氏の温かい人間性が浮き彫りになってくる。硫黄島での戦いの中で、日本兵を一番苦しませたのは「渇き」であったが、栗林氏は、騎兵将校でありながも「馬を歩かせると水を沢山飲む」と下級兵士と一緒に自分も歩き、一日一本の水筒の水で済ませたという。地理的に亜熱帯に属する硫黄島で、しかも穴を掘れば火山のマグマによる熱も伝わり40度を越える温度の中、「渇き」との戦いは想像を絶するものであったに違いない。皮肉にも、アメリカ兵が、あの星条旗を掲げたポールは、日本軍が集めた貴重な雨水を供給し、命を繋いで来た貯水槽のパイプであった。尚、栗林氏の人間性などについては、「玉砕総指揮官の絵手紙」(小学館)も参考にしながら、改めて書きたいと思っている。
※文中、栗林忠道氏の地位については、戦死後「大将」となるが、共通して「中将」とした。

2006/12/13 12:36
投稿者:ほたる
涼微様、はじめまして。ご来訪及びコメントをありがとうございました。
>内容が面白かったので、無名ブログながら記事掲載させていただきますm(__)m
ありがとうございます。
>なお、ご不明な点がございましたらTOPページの前書きへどうぞ。
拝見させて頂きました。拙ブログの主旨とは少し違う気がしましたが、
ご紹介頂けて光栄です。ありがとうございました。
☆涼微様へ
>内容が面白かったので、無名ブログながら記事掲載させていただきますm(__)m
ありがとうございます。
>なお、ご不明な点がございましたらTOPページの前書きへどうぞ。
拝見させて頂きました。拙ブログの主旨とは少し違う気がしましたが、
ご紹介頂けて光栄です。ありがとうございました。
☆涼微様へ
2006/12/13 9:32
投稿者:涼微
はじめまして!こんにちは!
内容が面白かったので、無名ブログながら記事掲載させていただきますm(__)m
なお、ご不明な点がございましたらTOPページの前書きへどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/ryoubi3273/
内容が面白かったので、無名ブログながら記事掲載させていただきますm(__)m
なお、ご不明な点がございましたらTOPページの前書きへどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/ryoubi3273/
2006/12/1 1:31
投稿者:ほたる
ご来訪、及びコメント、そしてTBもありがとうございました。
>2度目の『硫黄島からの手紙』の
試写会を観てきました。
試写会に2度も足を運ばれたのですね。
私も、よく同じ映画を2度観たりしますが、
味わいがまた違いますよね。
>1度目は、ただ胸が一杯で、気持ちの整理が
出来なかったのですが、2度目でやっと
幾つかのメッセージを知ることが出来ました。
そうでしたか。。「父親たちの星条旗」も時間があれば、
もう1度、観たかったです。
「硫黄島からの手紙」も、
私も、2度以上、足を運ぶ事になるかもしれないです。
>2つの国の2つの国民に、
同じ思い、同じ気持ちのメッセージを
2つのアプローチで届けていると思います。
そうですか。。アメリカでも、多くの方に観て頂けると良いのですが。。
>つたないブログですが、
観ていただけると嬉しいです
伺わせて頂きました。
映画を観た後、また、改めて伺いますね。
今後共、どうぞ宜しくお願い致します。
☆達也様
>2度目の『硫黄島からの手紙』の
試写会を観てきました。
試写会に2度も足を運ばれたのですね。
私も、よく同じ映画を2度観たりしますが、
味わいがまた違いますよね。
>1度目は、ただ胸が一杯で、気持ちの整理が
出来なかったのですが、2度目でやっと
幾つかのメッセージを知ることが出来ました。
そうでしたか。。「父親たちの星条旗」も時間があれば、
もう1度、観たかったです。
「硫黄島からの手紙」も、
私も、2度以上、足を運ぶ事になるかもしれないです。
>2つの国の2つの国民に、
同じ思い、同じ気持ちのメッセージを
2つのアプローチで届けていると思います。
そうですか。。アメリカでも、多くの方に観て頂けると良いのですが。。
>つたないブログですが、
観ていただけると嬉しいです
伺わせて頂きました。
映画を観た後、また、改めて伺いますね。
今後共、どうぞ宜しくお願い致します。
☆達也様
2006/11/30 22:48
投稿者:TATSUYA
初めまして、達也です。
2度目の『硫黄島からの手紙』の
試写会を観てきました。
1度目は、ただ胸が一杯で、気持ちの整理が
出来なかったのですが、2度目でやっと
幾つかのメッセージを知ることが出来ました。
2つの国の2つの国民に、
同じ思い、同じ気持ちのメッセージを
2つのアプローチで届けていると思います。
つたないブログですが、
観ていただけると嬉しいです。
P.S トラバさせてくださいね。
http://amon1610.blog51.fc2.com/
2度目の『硫黄島からの手紙』の
試写会を観てきました。
1度目は、ただ胸が一杯で、気持ちの整理が
出来なかったのですが、2度目でやっと
幾つかのメッセージを知ることが出来ました。
2つの国の2つの国民に、
同じ思い、同じ気持ちのメッセージを
2つのアプローチで届けていると思います。
つたないブログですが、
観ていただけると嬉しいです。
P.S トラバさせてくださいね。
http://amon1610.blog51.fc2.com/