2007/9/23

大黒屋光太夫記念館を訪れて…No2、北の離島からオホーツクへ  歴史(音吉/大黒屋光太夫/源義朝)他

天明2年伊勢の白子を出航し嵐に遭って漂流約8ヶ月、アムチトカの島に漂着して毛皮獲りに来ていたロシア人達…ニビジモフ達と出会った光太夫達15人は、ニビジモフ達の温かい持成しを受け、長い漂流の疲れを癒したのも束の間、海が荒れて錨を降ろしていた神昌丸の真っ二つに割れた残骸を目の当たりにする。光太夫は身振り手振りを使って、ロシアからの船が何時来るかを聞いたが、ニビジモフは丸印を24書いただけで、それが24日か24ヶ月かさえも分からなかった。途方にくれる光太夫達にニビジモフは、穴倉を1つ住まいとして、提供してくれた。時は8月、暫くは魚を獲り草木を食べて暮らしていたが、ここは北の果て…。9月ともなると周囲の海は凍って何も獲れなくなると知らされる。その頃、年の若い磯吉が「エトチョア」という単語が「これは何?」という意味だと知り、光太夫は色々な物を絵に描き「エトチョア?」と聞きながらロシア語を覚えて行ったようだ。この光太夫の絵の上手さは、後々様々な形で光太夫自身にも、またロシアにも功をなす事となる。
クリックすると元のサイズで表示します 賢くリーダーシップもあった光太夫
(大黒屋光太夫記念館前の銅像)

アムチトカは、9月末になると吹雪が続き灰色の世界となった。想像を超える寒さの中、残り15人の内、5人がアムチトカの土と化して行った。当時の日本人は、動物の肉を食べる事=地獄に落ちると思っており、長い漂流の疲れと栄養失調が原因だったと推察される。ニビジモフは日本人に病人が出たと聞くと、動物の肉を光太夫に与え「生きる為に食べろ」と言い続けた。光太夫も生き伸びて日本へ帰る為に…と、禁断の肉を口にするのだった。やがて氷が溶け始める頃、光太夫はロシア人達と共に、オットセイ、海豹、ラッコ等の海獣狩りに参加し始める。機知に富んだ光太夫は、皆に生き抜く為に最も必要な気持ちの張りを与えた。2年も経つと誰もが一人前の海獣漁師になっていた。(この間1名のみ死亡)。そして7月、いよいよ5年に1度訪れるというロシア本国の船が着く時期となった。

光太夫は、ニビジモフに日本経由でオホーツクに戻ってくれるよう、一旦は交渉するが、方角も分からない上に、日本が鎖国をしている事情もあり、諦めてまずロシアに渡りロシアの偉い役人に依頼して帰国させて貰う…という計画に変更した。しかし、そのロシアからの出迎えの船も嵐の為、難破してしまった。生き残った乗組員はボートで上陸したが、光太夫達は神昌丸の難破の時以上に絶望の底へと突き落とされたように思えたという。しかし、光太夫は無学の船乗りではなかった。次何時来るかも分からないロシアからの船を待つより、自分達で船を造ろう…と考え始めたのだ。神昌丸に使ってあった船具、ロシアの船の残骸、流木等を集め、石灰と麻、海藻等から作られた当時の建築材料の接着剤である「漆喰」は、貝殻を砕いた物と海草を煮て混ぜた物で代用した。この船の設計図も光太夫が書いたと記録されている。

外で働ける僅か3ヶ月の北の果てで何処まで造れるのか?誰もが思っただろうが、悲境を乗り越えて来た海の男達はひるまなかった。そしてその姿を見ていたロシア人達も手伝う事となり、とうとう2年目の7月、帆は衣類を継ぎ剥いで作り、600石位の新造船を進水させるに至った。1787年7月18日、船はアムチトカを離れ、アレウト列島(太平洋戦争末期にも登場するアッツ島沖)に沿い、島を飛び石のような目安にして、航海30数日、カムチャッカ半島の東岸、ニジニ・カムチャックという港に辿り着いた。この時、光太夫達が乗って来た船を見て、役人は「こんな船で荒波を…!」と驚愕するも、担当の役人は都に行って帰国させる権限は無いと、帰国願いを却下してしまう。ところが当時のロシアには漂流民には生活費が支給されるという温かい配慮があった。光太夫は、時期を待ってシベリアの都…役人の居るイルクーツクを目指そうと決心した。
光太夫達が辿った絵図。クリックすると元のサイズで表示します
アムチトカからオホーツクまで…ピンクの線(クリックで拡大)


その冬は、日本でも天明の飢饉が起きた寒さで、食糧の輸送ルートが途絶え、ニジニ・カムチャックは食糧難となり、ここで光太夫達は、また3人の仲間を壊血病で亡くしてしまった。光太夫達は、3人の亡骸を丁重に弔い、春になるのを待って、共に海を渡ってきたロシア人達と共にカムチャッカ半島の西海岸、チギリスクへと向かった。チギリスクでは後に光太夫の大きな後ろ盾となる=キリル・ラックスマンの息子、アダム・ラックスマン(光太夫の帰国と共に来日)と出会い、アダムはオホーツクまでの船を用意してくれた。しかし漂流民を担当する役人は、オホーツクから更に4000キロ先のバイカル湖の畔のイルクーツクに駐在していると知る。光太夫達は藁をも掴む思いで、イルクーツクへ向かう事にした。その旅程は、夏の足としては馬車しかなく、夏は川が氾濫したりして時間が長くかかる為、川や湖が凍りつく冬がトナカイを使用したソリを使用出来て速い。ゆえに冬に極寒のシベリアを横断するという過酷な旅を選択せざるをえなかったのだった。

当時ロシアは、1555年にイワン4世がウラル山脈を越えたのを契機に、1639年には、オホーツクの沿岸まで制していた。ロシアは、このオホーツクを拠点に、シベリア大陸という極寒の地に食糧提供可能な日本との交易を望んでいたという背景があった。よって既にピョートル大帝がロシアを治めていた頃、先に漂流民としてロシアに辿り着いていた「デンベイ」をペテルブルグに召抱えて日本語学校を開設していた程であった。そして光太夫達が目指したイルクーツクは、国境の街として、支那、満州、朝鮮との交易の拠点となって栄えていた。…No3へ続く。

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2007/9/27  15:56

投稿者:ほたる

メリンダ社長様、いつもありがとうございます。

>大国屋光太夫の奮闘記、興味深いですね。

はい。私も資料を読み進む毎に、
自分の筆の力では…到底表現できないような、荘厳さを感じました。
万次郎氏の時もそうでしたが、少しは知識がありました。
光太夫は無に近い所からのスタートでしたので、
偉い(すごい)人の事を書き始めちゃったぞ…みたいな (笑)

>一念を持てば何事もなせるの教科書みたいな物ですね。

はい。この意思の強さ…岩をも砕くという感じです。

>学校の教科書に載せたいものですね。

そうなんです。
伊勢の子供達は授業にあるそうですが、
地元の子供達だけでなく、全国の子供達に知ってほしいと願っています。


☆メリンダ社長様へ

2007/9/27  15:51

投稿者:ほたる

みきさん、なかなかコンパクトのまとめられず、長い長い光太夫の話、読んで貰えて嬉しいです。

>肉食厳禁だったのが海獣捕りになったり、皆目分からなかった言語がすこしずつ通じるようになったり、船を作って航海の後は真冬のシベリア横断...

はい。牛乳も知らないで飲んでいた時は良かったみたいですが、
知ったと途端に、飲めなくなったりしたようです。
でも、どうしても帰国したいという一念を捨てなかったのですよね。
海獣獲りをする事で生活に張りをつけたのも、船を造ろうと提案したのも光太夫の機転…
賢くそしてリーダーシップがあったのですね。

>光太夫たちの適応力と前進力はすごいですね。野性的なサバイバル能力+知性の力に感動します。

素晴らしい適応能力だと思いました。物の溢れた私達に欠けているものかも知れないですね。

>勿論周囲の援助あってのことでしょうが。

はい。そうですね。初めに出会ったロシア人グループのリーダー、ニビジモフとの間には、
厚い友情を感じました。イルクーツクで別れる時の辛さを映画でも演じられていましたよ。

>冬に橇で走るほうが夏の馬車より速かったので真冬にシベリアを横断したというのは驚きつつも納得です。

はい。私もどうしてこんな厳冬の中を…と最初思いましたが、ソリだと速いと読んで納得しました。
また、雪解けの時期は、雪の量も半端ではないですから、
川や湖も氾濫したりして、道が閉ざされたりするのですよね。

>それにもまして驚いたのは、その当時既に日本語学校がロシアにあったということです。いかに南に関心を持っていたかということですね。続きが楽しみです!

ピョートル大帝からエカテリーナへ…ロシア帝国が最も栄えた時代ですが、
その時代のロシアが如何に世界を見据えていたか!感嘆します。ご期待?下さい。
…と書きつつ、また如何に簡略化して分かり易く書くか…頭を抱えています(笑)



☆みきさんへ

2007/9/24  19:50

投稿者:melinda

大国屋光太夫の奮闘記、興味深いですね。
一念を持てば何事もなせるの教科書みたいな物ですね。
学校の教科書に載せたいものですね。

2007/9/24  10:19

投稿者:みき

肉食厳禁だったのが海獣捕りになったり、皆目分からなかった言語がすこしずつ通じるようになったり、船を作って航海の後は真冬のシベリア横断...光太夫たちの適応力と前進力はすごいですね。野性的なサバイバル能力+知性の力に感動します。勿論周囲の援助あってのことでしょうが。

冬に橇で走るほうが夏の馬車より速かったので真冬にシベリアを横断したというのは驚きつつも納得です。それにもまして驚いたのは、その当時既に日本語学校がロシアにあったということです。いかに南に関心を持っていたかということですね。続きが楽しみです!

http://diary.jp.aol.com/aujzpye6s4d2/304.html


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